お父さん
  内山まよ(宮の上小二年)

 
お父さんは
まつさか、からかえってきたじかんは
八時二十分です
 
お父さんは
おみやげに
メロンとかしんをかってきてくれた
 

 
 
*  *  *  *  *  *
 
父の帰ってくる時間を、正確に詩の中に
入れることによって 

「わたしは、まっていました。」
という表現より何倍か強い
父待つこころが読み取れます。
 
若しこの行がなかったら
平板な詩になっていたでしょう。
 
内山まよさんの作品に
次のような詩もあります。
 
 
 

お母さん
 
 
おかあさんは
このごろこしが
いたいといっていた。
 
お父さんが
お母さんのかたを
たたいてやりました。 
 
わたしは
かわってお母さんのかたを
たたいてやりました。 
 
あとから
お父さんのかたを
たたいてやったら
 
お父さんが
かがみにうつる
わたしをみていた。
 
 

*  *  *  *  *  *
 
 
まだ二年生らしい幼い書きぶりですが
この少女のやさしさが
どの行からもキラキラと
こぼれてくるような詩です。
 
妻の肩をたたく夫
かわって母の、
そして父の肩をたたく少女
 
そして、肩をたたかれながら
鏡にうつる少女を満足げに見つめる父
 
それに気づいた少女の
おそらく微笑んだであろう顔
 
そうした情景が
この一見、モタモタとした書きぶりの詩から
鮮やかに浮かんできます。


  
**  **  **  **  **
  

この言葉を書いてくださったのは
今は亡き、児童文学者の小倉肇先生
 
 
わたしの詩にスポットライトを当ててくれ
いのちを吹き込んでくれた。
 
 
実家で母がわくわくしながら
わたしに手渡してくれた新聞の切り抜きには
 
先生の想いがいっぱい詰まった
言葉が残されていた。
 
 
詩を書く子どもたち  小倉 肇 

 

x

 

 


子どもの本来持っている
すこしもじっとしていたくない
  

自然や、文化や、あらゆるものに
溢れんばかりの関心をもっている特質。
  

それにともなう心の動きが
生き生きと現れている詩に出合うときほど
楽しいことはありません。
  

子どもの詩には
上手、下手はないように思います。
  

ただ心の動きが
うまく表現されたかどうかで
  

いい詩が生まれるか
あるいは形だけの詩の体裁をとった
死んだ文章になるかが
決まるように思います。
 
  

こんな近くに
こんな素晴らしい人がいたのに

 
なんども新聞で先生のことは
見かけていたのに
 
こんな形で
巡りあうなんて
 

先生はもう
この世界にはいない 
  
 
三重再発見
(伊勢から熊野へ 再生を願う巡礼の道 東熊野街道)
その1〜その10を完成させ

三重県民に熊野街道への関心を
もたせてくれた先生。

 
現在、熊野古道が
広く注目されるように
なったのは小倉先生の功績は
とても大きく
  

次の世代へと
引き継がれることでしょう。
 

妖怪や、おばけ、妖精などのお話も
大好きだった小倉先生。
 

 

身体はなくなっていても
必ず、会える。
 
 
 
そんな気がしています。
 
 
 
 
いのちを吹き込んでくれて
ありがとうございます。
 
 
 
わたしも
先生のように
 
 
子供たちの一人ひとりの
素晴らしさを見つけ
 
みんなが一緒にようにでなく
 
 
みんな違ってみんないいと
子供たちが思える世界になるように
 
 
 
その子供達を見つめる
大人たちもそう思える世界になるように
 
 
 
出来ることから
始めていきたいと思っています。
 
 





日々の自分を楽にする
 
無料メルマガ登録はこちら

http://www.reservestock.jp/subscribe/38626