女神リトリートで花の窟に
行ったときのことを思い出しながらの回想
   
 

 
『すべてが許されているを体感する』

 

 
小さい頃から
ドライブなどで連れて行ってもらっていた
慣れ親しんだ土地でのリトリート
 
  
 

女神リトリートのパートナー
外山りえちゃん
  

 
 

 
最後は熊野がいいと
女神開催時から言ってくれていた 
 

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子供の頃は
父がよく車でここに連れてきてくれていた
 
 
高校のときは
中間・期末のテストが終わると
友達とお菓子をいっぱい持って
音楽を聞きながら海辺でパーティーをしてた
 
 
車の免許を取ってすぐのころは
毎日のように来て
 
 
友達と浜辺に座り
夜中まで、心の悩みを
語り合ったりもした
 
 
 
今でも
心に何かあると
必ずここに来て、太陽の暖かさを含んだ
七里御浜の砂利に抱かれるように
寝っ転がり
 
  
 

背中に太陽を感じて
心のわだかまりを溶かしてもらったりしている
 
 


そんな 

『わたしが子供のころから知っている』場所は
  
 

  
女神のメンバーと足を踏み入れた瞬間 
 

 
 

『初めて訪れた場所』になり 
 

 

あふれんばかりの愛で
満ち満ちている土地であったことを知った 
 
 
 
花の窟のスケールの大きさ
愛の深さ、暖かさ
ずっと優しく見つめてくれていた
その慈愛の心を
 
 
 
新たに体感できたような気がする
 

 
 
 
女神・最終リトリートの
たったひとつの決めごと
 

 
「ひとり、ひとりが姫であること」
 
  
 

参拝したい人は参拝する
ソフトクリームを食べたい人は食べる
海を見に行きたい人は見る
  
  
 

何をしてもいい
どこに行ってもいい 
 
 

何ひとつとして縛りはなく
すべてが許されている
 
 
 
『みんなが姫でいたらどうなる?』
 
『みんなが自由にしていたらどうなる?』
 
  

心でそんなことを考えていたメンバーも
いたことだろう 
 

 
 
自由にする
わがままをいう 
 
 

  

ということが『悪いこと』だと
小さなころから教えられていたならば
  
 
 

 
『姫』となることが『悪いこと』
と思ってしまって躊躇する人もいただろう
 
 
 
 

 
でも 
あえて『それ』をしてもらった 

  
 
 

 
してみなければわからないことが
世の中はたくさんある
 
  
 
 

 
頭の中での理解と
体感、経験から通して腑に落ちることでは
雲泥の差がある

   
 
 

実際、それをやってもらって
腑に落ちた女神メンバーのひとりが
 
 
わたしにこういった。
 
   
 
 

 
『みんなが姫になるっていうことは
こういうことだったのですね』
 
  
 
 

  
『こういうこと』というのは、
 
  
 
 

 

すべてがあつらえてもらったかのように
好循環で進んでいくということ。 
 
 
 

 
 
 
 

その言葉を伝えてくれた女神は
このすぐあとにミラクルを起こし
 
  
 
 

 
女神メンバーが
その恩恵に受けることになる♡

 

  
 
 

 
この最初の写真に写る後ろ姿の女神が  
 

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大事に、大事に
手で体感している大綱が
  

 

 

一本、一本が
伊邪那美命の子供である
神たちが宿った藁縄で

  
  
 

 
この後ろ姿の女神が
ミラクルを起こす張本人でございます(笑)

 
 

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