入院した日、ずっとずっと朝まで付き添っていた
熱が高くて大変なのに
 
 
わたしの顔を見て
「ごはん食べたか? もう寝なさい」
って気遣ってくれる父
    
これを実況中継したブログがこちら 命ある限り
どうしても書き記しておきたかった
 
 
父が身体を張って伝えていることを
 
 
人間の本来の意志は「生きたい」ということ
 
 
脳が働かなくなっていても意志はある
生きている限り、人間の脳は「生きたい」に向かう
 
 
身体の機能がついていかなくなるまで
脳には「生きたい」という意志がある
 
 
 
父を見ていて、人間の素晴らしさを学んだ
 
 
父は「負けない」と思った
 
 
「胃ろう」と聞いて
昔の知識しかなかったわたしたちは
 
 
父はもう食べられなくさせられる!と勝手に
思いこみ、何度も何度も拒否した。
 
 
昔は、寝たきりで食べられなくなった人が
延命処置として胃ろうにすることが多かったから・・
 
 
でも、父からのメッセージを受け取ったわたしは

「きっと父は食べることができる」
そう信じて、信じ切って、出来ることをやってきた。     でも、熱で身体が弱り、体力が衰えた父が 嚥下力があるわけがなく嚥下評価をしてもらっても いつも2回目で、むせてしまっていた。
 
      口から食べさせてあげたい   でも、 
血管の細くなった手足に点滴をしている父を
見るのが毎日辛かった
 
 
何度も、違う場所に針を刺す看護師さんも大変だっただろう。 針を入れ替えるのに、30分以上かかったこともある     毎日、母とわたしは悩んでいた。 何も知らない私たちが悩んでも仕方がないんだけど   何が一番、父のとっていいのかを考えていた。     3回目の嚥下評価で、食べられたけど 結局何も食事らしいものが出ずに   担当医の口から「胃ろう」の話が出て 看護師長さんからの口から何の説明もなく「胃ろう」 理由は「体力が・・・誤嚥性肺炎が・・・」     私たちだって、それくらいは分かる。 でも、病院側がリスクを負いたくないからそう言ってるんだ!   父の、「食べられた」ことへの良いフィードバックも 納得できるくらいの説明もなく   「胃ろう」「胃ろう」と言ってる意味が分からなかった。     でも、他の階の知り合いの看護師長さんが 再度、担当医と他の看護師さんたちと話し合いをする場を 持ってくれ、母と私が言いたいことは全て話した。     その時も結局、わたしたちは納得できなかったけど     その日の、父を担当してくれていた 看護師さんが、嚥下の話をしてくれた。     嚥下評価が良くっても 次の日から、3食すぐにでるわけではないこと。   1食から始まって、それもゼリーとかから 始まるから、それと点滴だけでは、十分な栄養が取れないこと。     今の父の状態では点滴も大変だし 胃ろうをして体力をつけて、嚥下の力をつけていくのが 最善だといこと     それらを聞いて、やっと母と2人で納得して 父の「胃ろう」を承諾することができた。     延命のためじゃなく     父は「食べることができる」から胃ろうをした。     「生きる力」がある限り、人間として生きている限り どういう状態になった人でも可能性はあると思う。      言葉を話せなくても、意志は絶対にある。     私たちの想いは聞いてるし、伝わる。       今回、母の勘が冴えに冴えて 胃ろうの記事(「いかにして患者さんの食べる力を取りもどすか」という取り組みをしている石川県、金沢市の小川 滋彦先生)
を見つけたり、     口腔ケアの記事を新聞で見つけたりして 延命だけでなく、      小川先生のように 地域多職種によりサポートで在宅高齢者の 「食べる力」を回復させ社会復帰をさせるための     「胃ろう」もあるんだということを 母が情報として持ってきたことはなんだか不思議。。笑       いろんなご縁があって ここに連れてきてもらったような気がして       ほんとうに、みなさまに感謝の気持ちでいっぱいです。       まだまだこれからだけど、 誤嚥性肺炎の可能性がないわけじゃないので   慎重に食事もしていかないといけないけど       「父を信じ切って」   母と2人、見守りながら、笑わせながら進んでいきます。       無限の無限乗の ありがとうございます