こんばんは フローネです


足跡



突然ですが、

あなたは目の前に起こった物事にいちいち理由づけをしてしまうくせがありませんか?


あなたは、自分の目の前に起こった物事を自分で納得させようと、何かと理由をつけては自分の中で消化しようとしてしまいませんか?


わたしはいつもです(笑)


昨日母とケンカしたのは、私の中に怒りがまだあるからだ。


あの人がこうやって私に言ったのは、私の中に迷いがあるからだ。


他にも何か起こると、起こるたびに


これは 私の中に怒りがあるから それを見せてくれたんだ。


これは 私の中に このような記憶があるから起こったんだ。


私の中に 私の中に・・・・ なぜ? どうして? を探求し、自分で理由を見つけては納得して安心する。 それの繰り返しです。


またそのような事柄が起こってしまったのです。



お盆が明けて、兄たちが帰った朝、父が玄関先で転倒。


少しの怪我と打撲ですみましたが、そのあとから少し歩きぶりがおもわしくありません。


わたしは考えます。

「私の心がモヤモヤしてるからだろうか?内に内に入って悩んでいたからだろうか? だから家族の問題となって出たのだろうか?」と。


少し父の話をします。


脳挫傷、くも膜下であの世に行きかけてから8年。自分の身体が思うように動かず、転倒したり、怪我をしたりと、とても辛い思いをしているのにもかかわらず、


こうやって、私たちのために生きていてくれてる父。


身体も重く、立ち上がりも弱く、足の力が日に日に弱くなる父。



それでも、私のことを人一倍心配してくれている父。


天気予報を毎日しっかり見ているのは、私に天気や温度を伝えるため。


必ず、帰るときには「明日、雨やでな。明日、暑いでな、。」


ってしっかり私の目を見て言ってくれる、とても優しい父。



父の愛の深さに、毎日、泣けて、泣けて仕方ありません。


英会話のレッスンは実家でやっているので、毎日父に会います。


毎晩、帰り際、私は父の隣に座って、ハグをして、頭をなでで、額にキスを何回もし、


「パパちゃん♡ 今日もありがとうね。ゆっくり寝やなあかんで、また明日ね。」


と言って帰ってきます。


いつ、何が起こるか分からない。8年前からずっとこの気持ちは変わらずに心にあり、明日もう会えないかもしれない。という想いで父にキスをします。


心の中では、明日も会えると、いつものように会えると祈りながら。


父は、独学で船の船長の免許を取り、私たちが小さいころからずっとタグボートの船長として、家から離れて船の上で仕事をし、生活していました。


一か月家を離れ、船の上で生活をし、船長だということで、自分の部屋はあったものの、息がつまるような小さな箱のようなベッドで眠っていました。


それも何十年も。


休暇は1週間だけ。1週間したら、また船に戻っていきます。小さい私は、父の去っていく姿を見ながら、嗚咽をあげてよく泣いていました。


「お父さん、いかんといてー!! いったらあかんーー!!!号泣」



それを聞きながら、それでも仕事に帰らなければならなかった父の気持ちなんて、あの頃は察することすらできませんでした。


大きくなってから、笑い話のように
お父さんも毎回、後ろ髪を引かれる想いで、泣きながら仕事に戻っていたんだよ。って教えてくれた父の顔はとても寂しそうでした。


毎日、父親に会えるような生活だったら、どうだっただろう。と子どもながらによく思ったものでした。


そのころから、将来結婚する人は、毎日家に帰って来てくれる人にする!と決めていました。父のような旦那さんはいやだ。母のように父を待つのはいやだ。と思っていました。



1週間の間、とびきりの笑顔で父と過ごす私たち家族。


しかし、それも長くは続きません。



大きくなるにつれて、それは仮面の家族へと変化していきます。


父だけがそれを知らずに、その仮面の愛の時間を楽しんでくれていました。


退職したあと、父は鬱のような状態になり、よく私たちに言ってました。


「俺が望んだのは、こんな家庭じゃなかった!!」


それもそのはずです。仮面の家族は、毎日続けられなかった。


私は友達と出かけ、夜遅くまで帰ってこない。母も今までやっていた趣味を続けてたまにだけど、外に出かける。


家の中に父と当時飼っていた犬だけが残る。


明るい昼間でも、その犬を抱いて、何も話さない父。死にたい、死にたいと言って
ここの紐をつるしたらしねるか。。なんて私に話してきたときは


もうだめなんじゃないかと思うくらい、切羽詰まってました。

私はここでも考えます。
「私たちが、父をこのようにしてしまったんではないか? 仮面でもいいからずっと父を中心に考えて行動していたら、こんな風にはならなかったはず、、、。」



そのあと、父が大腿骨骨折で入院、そしてそのあと、脳挫傷、くも膜下で5カ月の病院生活を強いられます。


脳挫傷の時は、ICUに父の他に4人、入院している人がいました。


その人たちは、意識がない人もいれば、ある人もいて、毎日、家族の人が来ては
声をかけたり、マッサージをしたり、いろんなことをして愛する家族にありったけの愛を送っていました。


昏睡状態だった父のそばにずっと母といた私。


いつ、心のスイッチが消えてしまうか、わからない。誰かがいなくなったときにそうなるといやだと思い、私たちは2人で必ず、見ていました。


1人では、父の死を耐えきれないという気持ちで、いつも母と2人でした。


身体は疲労困憊し、心にも余裕がなく、誰でもいいから1時間父を見ていてほしい、ゆっくり休みたい。。と思う気持ちもありながら、でも父のもとを離れられない。


人間の身体って、ひとつでも機能が止まってしまうと駄目なんだ。本当に人間ってもろい生き物なんだと、あの時、本当に痛感しました。


目を開けないかもしれない父に毎日笑顔で話していました。



ふと横をみると、隣のベッドではお孫さんがおじいちゃんを毎日マッサージして、おじいちゃんの好きな音楽を聞かせて、お話しをして楽しませています。


看護師さんが身体を毎朝、拭いてくれるけど、またお孫さんが後から丁寧に、丁寧におじいちゃんを拭いてあげるんです。


わたしは、たくさんのことをあのICUで学びました。


生きている限り、伝わるということ。かっこちゃんもずっと、ずっとそのことを伝えてますよね。本当にその通りなんです。


目を覚まさなくても、話せなくても、必ず伝わるんです。愛が、心が、温かさが。


担当の先生に、意識が戻ってもきっと寝たきりになるだろうと言われた父が


その後、たくさんのすばらしい人に出会い、自分で歩き、食べることができるようにまでなりました。


奇跡としかいいようのない、出来事です。



私と母はわかっているんです。どうして、父が奇跡といわれるくらい回復したのかを。


父は、あの当時ICUにいたみなさんの命をいただいたんです。


他の4人の方は、残念ながら亡くなってしまいました。しかし、その方たちの家族と私たちの絆はどんなつながりよりも強かったんです。


愛する人のために、なんとかしたいと思う気持ちが、私たちをつなげてくれていました。毎晩、病院でご家族の人たちと会っていると、本当の家族に会っているような感じになり、そこに行くだけで落ち着く、心がほっとする、そんな関係になっていました。

その方たちの想いを全て父はいただいたんです。そして父は今も私に愛の言葉を伝えてくれる。



大腿骨を骨折したとき、飲んでいた薬を飲まなくなり、そのせいで、父の鬱状態が改善されます。


そこで、私はまた理由づけをします。


「骨折したのは大変だったけど、おかげで父が明るくなった。よかった。」


脳挫傷、くも膜下の時も。


「頭を打って大変だったけど、顔つきが前よりよくなった。よかった。」


ほんとに、理由づけ人間ギャートルズですわ(笑)


ただ、目の前にその現象が現れただけなのに、いろんな理由づけをして心を楽にしてしまう。その時の悲しい感情や不安な感情にふたをして。




ひとは、何か思わしくないことが起きた時に、


「この現象は何か意味があって、こうなってるんだ」とか


「この出来事があったおかげで、いろいろなことに気づかせてもらったのだから、感謝しよう。」などと考えてしまうのだと思います。


プラス思考で考えたり、あとで理由づけをして気持ちを楽にする「理由づけ安心策」ですね。


でも、これらは本当の理由ではないのです。


心の勉強をしている人たちはこういう風にわたしのように考えてしまいがちなのかもしれません。 プラス思考が悪いのでは決してないのですが


これは「2極の世界のはなし」になってしまうんですね。


「良い・悪い」「プラス・マイナス」の世界です。


世の中は2極なのだから、その中でより良く生きようと、プラス思考の考え方が広まったのですが、無理をしてしまう人が増えたり、感情を抑え込んでしまう人たちが増えて、バランスが崩れているような気がします。


何か嫌だとおもうとき、プラス思考にしてしまうと、そこに必ずストレスのエネルギーがうまれます。

ストレスのエネルギーを出さずに、「いやだなぁ」という感情を味わずに抑えてしまうので、エネルギーは残ったまんま。


そんなことばっかり今のいままで、やってきたのかとおもうと、ほんとに自分がかわいくて仕方がない。。(責めませんよ笑)


ストレスが来たら感じる。考えて封じ込めずに感じる。


もう、プラスに考えなくてもいいんですよ。感じていきましょう。


「プラス・マイナス」「良い・悪い」のない世界へ飛び出しましょう。


「考える人生」から変換の橋を渡って「感じる人生」に進みましょう。


それでもきっと考えてしまう私がいるのはわかってます。


父がいなくなる時があれば、きっと何かの理由づけをして、自分の心を落ち着かせようとするのは目に見えてます。


でも、いままでの私と違うところは、


そのまま、悲しい感情にふたをしたままではなく、いつでも出していいんだよ。
おもいっきり出して、悲しみの中にいてもいんだよって。


自分に言えるわたしがいるってこと。


今日も、父にありったけの愛をこめたハグとキスをして帰ります



無限なる愛をすべての人に送ります。

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