12/16(火曜)に

リハビリ病院に転院した母。

 

12/5に手術してからというもの

日に日に回復し

ラインの文面も

元に戻って、しっかりしてきた。


母からの返信が嬉しいし

それを見て、安心するのもあり
色んな写真を撮っては、送り、
ワクワクしながら返事を待つ

それが日課になりつつあった。



12月16日(火曜)に

リハビリ病院に転院するまでの
話はこちらから  ↓   ↓    ↓    ↓   


 私が母の話をブログに書き始めたのは

自分の心がどうにかならないように

書き出すということに集中して

メンタルを保っていたのもある

 

プラス

 

とても大切な母のことを

形として残しておきたかった。

 

父のときは

辛過ぎて、どこにも

何も書けなかった。

 

書けたのは、

半年くらい経ってからだったと思う。

 

だからといって

母のことは父の事よりも辛くなかった

というわけではなく

 

ただ、関わり方の違いだけなんだと

自分では理解している。


12月中

母に会ったのは9回


12/25は母の弟夫婦が

面会に行ってくれた。

 

面会の後に

連絡をくれたが

 

元気になり過ぎていて

ビックリしました‼️」

 

とメッセージが来た、、笑い泣き

 

それくらい

母は急激に回復していた。


【12月面会日の覚書】

12/5 (金)手術

12/8(月)

12/9(火)

12/12(金)

12/16 (火)転院

12/19(金)

12/23(火)

12/25(木)母の弟夫婦が面会

12/26(金)兄と2人で面会

12/29(月)今年最後の面会

 

12/16の転院後

地元の病院から緊急搬送された時からの

曖昧になっていた記憶が

ポツポツと出てきて

それが時系列で繋がり始めてきたらしい。

 

看護師さんや、周りの人たちが

掛けてくれた言葉に違和感があったのが

やっと理解できてきた。と言っていた。

 

11/6夜中に搬送されてから

すでに硬膜下血腫の症状が

出ていたのだろう。

 

しかし肺炎で高熱だったこともあり

判断が難しかったのだと思う。



12/16以降

面会に行くたびに

進歩し続けている母を

毎回見ることになる。

 



12/29 今年最後の面会日

出かける準備をしていると


午前中にCTを撮ったと

母からライン連絡が来た。

 

その後、ラインの文字が

なんとなくおかしくて

胸が少しざわつく。

 

ただの間違いだよね?

なだめている自分に気づく。

 

そうだよ、大丈夫だよ。

自分に声をかけつつ

ひと呼吸。

 



母も日々不安だったように

 

わたしも不安だった、、

 

ラインの文面が少しでもおかしいと

また戻ってしまうのではないかと

思って心配してしまうえーん

 

自分にわからないことは

考え過ぎないようにする!

 

と決めてはいたものの

胸がざわつくのは

なかなかすぐにはおさめられなかった。

 

そんなことを考えていたら


電話が鳴った

 

母からだ


さっき先生が来てね

CTの結果を教えてくれた。

満点💯だって泣き笑い

 

と泣きながら話してくれた。

 

良かったねー笑い泣き

 

良かったー笑い泣き

 

お母さんが頑張ってるからだよー!

 

大きなプレゼントをもらったね!

よかったなー!

 


そう伝えて電話を切った。

 

 

母はどこかで

また状態が悪くなり

家には帰れない

 

そう思っていた…。

 

だから

今回の結果は

とても嬉しかったんだと思う。

 

先生に

それじゃ帰れるんですね!

と言ったらしい。

 

この結果が

母の大きな安心材料になることは

確実なので

 

ここから

さらに前向きに頑張って欲しい。

 

その日のお昼過ぎに

兄の運転で母のリハビリ病院に行った。

 

今年最後の面会日とあって

たくさんの車が駐車してあり

エレベーター🛗の中も

面会の人たちで溢れていた。

 

14時からリハビリが

入っていると聞いていたので

 

少しゆっくりめに行ったが


兄が

「リハビリしているのを見に行くか?」

 

というので

2人で病棟に上がった。

 

母の姿がどこにもない

部屋にも、いない。

 

きっと下の階だ、と

エレベーターに乗り

 

出た瞬間

外を歩いている女性に目がいった。


リハビリの先生の隣で

同じ歩調で歩いている。

 

何やら楽しそうだ。

 

あ、あの白いベスト見覚えがある…。

 

じっと目を凝らして

近づいてくる、その女性を見ていた。



歩行器を使って

元気に歩いているのは

 


紛れもない、母だった。

 

 

大きく手を振るわたし

 


歩行器を上手に使い

緩やかな坂を降りた母が

 

ゆっくり手を振っている。

 


その母を見て

目頭が熱くなった。


 

先ほど、心温まるメッセージを

いただきました。

 

言葉の一つひとつが

まだ胸に深く残っています。

 

大切な人がいなくなるかもしれない

そのことを分かっているからこそ生まれる

心からの温かい言葉。

 

その温もりに

心から感謝しています。

 

 (母の実家からの眺め・・。)

 

    

おすましペガサス今までのまとめおすましペガサス

 

 

11/2から体調を崩す

 

 

 

11/5 地元病院に入院

安心するも

 

 

次の日、院内で転倒
 

11/7 緊急搬送
(硬膜下血腫、手術の必要性あり)

その後安定し
肺炎治療に専念&リハビリ
(11/7〜12/2)

 

 

12/2(火)リハビリ病院転院
症状悪化しつつある

12/5(金)緊急搬送10:00
12/5硬膜下血腫手術15:30
 

12/5以降
経過良好(短期記憶低下)

 元の母に戻りつつある

 

母が入院してから、
私のメンタルを保ってくれたのは
友人や、周りの人たちからもらった
たくさんのポジティブな言葉でした。
 

先のことは、正直どうなるかわからない。
不安が消えるわけでもない。
それでも、心のどこかに
ほんの少しでも「大丈夫」を置いておきたかった。
 

そんなとき、
前向きな言葉をかけてくれた友達、
さりげなく気にかけてくれた周りの人たちの存在が、
私を何度も支えてくれました。
 

言葉には、不思議な力があります。

弱っている心に、そっと寄り添い、
立ち上がるための小さな灯りをともしてくれる。
 

本当にありがとうございます。
この感謝の気持ちを、忘れずにいたいと思います。

 


🔸前回からの続き🔸


あ、ラインが来た。

 

 

母からだった泣き笑い泣き笑い泣き笑い

 

 

 

目がハート「ゆっくり休んでから来てね。」


 
その文字を見て、

号泣してしまったわたし・・・。
 


すぐに兄に

泣き笑い「お兄ちゃん!お母さんから短いけれどラインきたよ〜!」
 
と送った。嬉しすぎた!

何度見ても泣けた。
 
もうラインなんて出来ないかも、

と思っていた。

 
生きている、動ける、私と理解してくれる
だけど、愛のかたまりで、

私の応援団長だった母は
いなくなってしまうんだ、

とばかり考えていた

まさかこんな時がくるなんて、

感激しかないっ(涙)
 

その日を境に

母はどんどん普通に戻ってきた

次のラインでは



目がハート「友達にラインした。
大正琴の先生にもラインした、

先生と、電話で話したい」


など、いつもと変わらない言葉が

出てきていた。

 

大正琴と先生と

ラインで話せるから、と

ラインの話し方を伝えたが

 

これがなかなか

難しかったらしく

出来なかった様子、、。


そんなときもあるある!

 

 

次の日になると

 
目がハート「爪切り、鏡、ノート

持ってきてください。」


と書いてあり、みなりにも

気を遣うように

なってきているのがわかる。
 

泣き笑い「お水は普通に飲めているの?」


と聞いてみた

リハビリ病院のときは
嚥下状態があまり良くなくて
水分もトロミのついたお茶、
食べ物も刻み&トロミだったから

どこまで嚥下が

改善しているのかを知りたかった。

 

目がハート「普通に飲めている」
 

と返信が来た。

わぁぁぁぁ〜
頭を手術した次の日から
こんなに変わるんだぁぁぁぁぁ〜!
 

と思ったが、反対に
頭を打つって

怖いことだなと思った。
 


やる気も、体力も、嚥下力も、記憶も
おかしくなってしまう・・・。
 

ここまで戻ってきてくれて
本当にありがたかった。
 

 

何度も言うが
母と普通にラインができるなんて
夢のまた夢だったから


大きなギフトをいただいた気分。
 


12/2

母が手術をする前
おかしいところがありながらも
リハビリ病院に転院したとき

脳外科の先生は

 

ショボーン「名前は言えますけれど。。
少し喋るときに考えますね。

言葉が出しにくい感じですね。
左の頭を打っているので
失語症、または

高次機能障害などの症状が
出てくる可能性もありますね。」

 
と言っていた。


 
今は
失語どころか、
普通に言葉が出てきている。



しかし、2日後の

12/7(日)の夜に
こんなラインが入る。

 

 

目がハート「夕方体温はかるとき、

看護師さんが何かおかしいと言っていた
なにかおかしい、」

 


なんだろうと思って気になって
電話で少し話してみた
 


看護師さんが、体温と酸素を測って
さっと出て行ったのが気になったらしい。
 

どこか悪いところがあったのか?

と思ってしまい、

それが頭から離れないらしい。

 

 

気になるようなら
消灯前にトイレに行く時に
看護師さんに聞いてみてねと伝えると



目がハート酸素なんにもでした。

と連絡がきた。

 


術後から不安や心配がかなり
出てきているように思う。
 


週末が終わり
月曜に面会にいくときも

面会時間は14時〜16時までなのに

午前中にラインがきて

 

 

目がハート「時間かかるのかなぁ〜。
大丈夫ですか〜?」

 

 

と心配のラインが来ていたり


前回入院していたときのことや、

リハビリ病院に転院したときのことは
あまり覚えていない。



それ以前のことは
全て、しっかりと記憶に残っているが

 
最初に緊急搬送されてからの記憶が
かなり曖昧になっている。

 


そして、それ以降
新しいことをあまり覚えられない。

今いる病院の名前や
今度、転院する病院の名前

あとは、リハビリで絵を描いているが
何を描いたか覚えてないなどあるらしい。
 

かと思いきや
レメディーの入った缶の開け閉めが
少し、複雑なのだけど
それらをサラッとやってのけたり知らんぷり   
 

すこしおもしろい展開になっている。
 
 
今、一番気になるのは

『心配性がさらに大きくなって

出てきている』

というところ。
 


根本が『心配』になっている

プラス耳があまり聞こえないので

自分の「心配」のフィルターを通して


看護師さんや、薬剤師さんの言葉を

聞き間違えてしまう。
 


昨日も面会に行った際

開口一番に

 

目がハート「昨日も今日も調子良く、

ご飯もしっかり食べて
頑張る気まんまんだったのに

薬剤師さんが、

頭の血液が広がってて

それに対する薬を

出さないといけないと言ってた

だから、かなり落ち込んでしまった」

 

と言っていた・・

 

 

薬剤師さんは

病状を伝えることはできない。

 


担当の医師からしか

今の病状は言えないのだから
 


どういうふうに
聞き間違えたのか。

もしかしたら

ガーン「頭の水を出す漢方の薬を飲んでいます。」
 
と薬剤師さんが言ったのを

聞き間違えて、

頭の水が広がっていると

思ったのかもしれない。

 
あとで、母からラインが来て
 

薬剤師さんが
「大丈夫ですからね、

心配しなくていいですよ」と

言いに来てくれたと言っていた。
 

伝え方によって
聞き間違えてしまうこともあるので


言葉の選び方って
すごく大事だなと思った。




しかし、そんな心配をよそに
母が日に日に元気になっていった。
 

手術をして、脳への圧迫が取れたのが
一番大きいとは思う。

しかし
それまでに、
友達からレイキを夜となく昼となく

毎日のようにレイキを送ってもらったり
レメディーを摂ってもらったり

他にも
母に必要だと思ったものは
お膳立てされていたかのように
目の前に現れてきていた。
 

わたしがやってきたのは

思考や心配で頭をいっぱいにしないこと。
人の意見に耳を傾けること。
わからないこと、できないことは必ず出てくる
それに対して、反発しないで、サレンダーする。

 

母が自分で何もコントロールできなかったとき
もう生きていくことを選択していなかったと聞いた。
 

今日もラインで
色々とノートに自分で書き出していたらしく
 
目がハート「よくここまで戻ってこれたなっと我ながらビックリ!
あんたのおかげやなぁ、ありがとう。」

 

って書いてくれていた。

一番がんばったのはお母さんだよ。


心からの気持ちを母に伝えた。


12/16(火曜)
リハビリ病院の転院が決まった。


手術をしてから11日目のことだった。





 




 


 


 

 





 

おすましペガサス今までのまとめおすましペガサス

 

 

11/2から体調を崩す

 

 

 

11/5 地元病院に入院
安心するも

 

 

次の日、院内で転倒
 
11/7 緊急搬送
(硬膜下血腫、手術の必要性あり)

その後安定し
肺炎治療に専念&リハビリ
(11/7〜12/2)

 

 

12/2(火)リハビリ病院転院
症状悪化しつつある

12/5(金)緊急搬送10:00
12/5硬膜下血腫手術15:30
 

12/5以降
経過良好(短期記憶低下)

 


12/5(金)
朝9時40分ごろ

そろそろ仕事に行こうと思っていたら

電話がなった。


母が転院したリハビリ病院

脳外科の医師からだった。
 

 


あんぐり12/2の状態と比べて
喋り方や、動作が鈍くなっているので
CTを撮りました。

結果、脳内の血液がさらに広がって
脳を圧迫しているので、

救急車で病院に搬送します。

10時過ぎには出発しますので
ご家族さまは、

今すぐにそちらを出てください。
家族さまがいらっしゃらないと
手術もできませんので、
よろしくお願いいたします。

 

 

不安わ、わかりました!

すぐに出発します。

よろしくお願いします。

 

 

と言って電話を切り
すぐに病院にいかなければいけないことを

夫に伝え、急いで病院に走った。


母のカバンを忘れずにいれる。
カバンの中に必要なものは

全部いれているので、
それをわたしのカバンに詰め込むだけ!

これをしているだけでも
準備をする時間がかなり軽減される。
 

母が 搬送される病院は

3日前までいた病院だ。

 
 

どれだけ急いでも

1時間以上はかかる

 

 

急ぐけれど

慎重に

安全運転ででも、

少し早めに行くよう心がけた、、。

 

いやいや、ぶっ飛ばしていたダッシュ

 

病院に着き

救急窓口に行き受付を済ませ

待合室の椅子に座っていると

 

看護師さんが

書類を持ってきて

 

ひらめき入院手続きの書類の記入

お願いします。

あと、コレとアレとアレを

こうして…。

 

 

色々話してくれていたが

2度目なので

話を半分聞きながら

書類を書き始めた。

 

2度目でも手を抜かず

11/2からの様子を書いたら

看護師さんに褒められた泣き笑い

 

待合室で待っている間も

たくさんの患者さんたちが

座っている

救急でかかる人、多いんだな…。

 

 

救急の看護師さんに呼ばれ

病室に上がるというので

 

エレベーターの近くで

待っていたら

ベッドに寝たままの母が来た。

 

 

あんぐりまぁ、まぁ、まぁ

なにがあるかわからんなぁあせる

 

などと話していたと思う。

特に理解力がないわけでもなく

返答が出来ない、わけではないが

 

元気な時よりも様子が違っていたのは

わかっていたから

 

リハビリ病院の脳外科の医師に

手術になると聞いたときも

 

私はそれほど動揺しなかった

 

手術してもらえてよかった

とさえ思ったくらいだ。


 

母の言動などを見て

違和感を感じて、すぐCTを撮り

搬送指示を出してくれた

リハビリ病院の先生には

感謝しかない。

 

 

搬送先の脳外科の医師から

説明を聞き、

同意書などを書き

入院の手続きをして

  

もう一度、母に会い

少し話しをして

家族の待合室に行った。

 

お昼を過ぎても

母の手術の順番がなかなかこない。


手術を受ける人が

少なくとも3人以上はいたと思う



待合室で待っている間

他の人たちの会話を聞きながら

充電している母の携帯を見ながら

(許可は取ったよ)

 

携帯は使わないかもなぁ、、

って思ったけど

連絡が取れる唯一の手段なので

母の近くに置いておきたかった。

 

15:30に

母が手術室に行く前に

会うことができた。

 

私の手をきつく握りしめる母

なかなか離そうとしない

 

そうだよね

不安だよね、怖いよね。

 

なにをするのか

わからないんだもの。

 

局部麻酔だから

ドリルの音も聞こえるだろうし

 

なにをされるんだろう!って

なるだろうなぁ悲しい

 

ずっと私の手を離さないので
わたしは母の顔を見ながら

 

泣き笑い一緒にベッドの横に寝て

手術室に行っちゃおうかなぁー?笑
 

ちょこっと処置するだけやでな

大丈夫!いってらっしゃいうさぎのぬいぐるみ

 

そういって見送った。

約1時間後に手術が終わり
ICUにいる母に会いに行った。

局部麻酔だったから
術後でもすぐに話ができた。
 


泣き笑いがんばりましたね!えらかったね!

と母に伝えた。



頭の左側に透明の絆創膏が貼ってあるのが

痛々しい、、。


泣き笑い痛い?

と聞くと


母が、

 

不安頭は痛くないけど

ぼぉーっとしてる

 

と頭あたりを手で撫でる感じに

しながら何度もいうので

 

泣き笑い局部麻酔かけたからね

まだ麻酔がきいていて

ボーッとしてるだけだよー。

大丈夫だからね。

ほんとがんばったねーっ!


と伝えて、母の顔をじっと見ていた。


 少し呂律がまわってない気がするが

術後すぐだから

あまり心配しないでおこう

 

看護師さんが

病室に来て

 

ひらめき手や脚が動くか見せてね!

 

と言って母の動作を確認していた。

 

動きは手も脚もよく上がる

強いて言えば、右脚が少しだけ

上がりにくいように見えたかな。

 

その後も少し話したが

 

それ以上はいられないなという

雰囲気になったので

 

母に

泣き笑いもう少し居たいけど

時間の制限があるからね、帰るね。

また月曜来るからね!

 

と言って、後ろ髪をひかれながら

帰ってきた。

 

病院から連絡が来たりしないだろうか

心配しつつ、

 

帰りは急ぐこともなかったので

ゆっくり運転して帰ってきた。

 

わたしの心は

なんだか安心していた。

 

【手術やってもらってよかった】

 

という思いのほうが

心配よりも強かったからだと思う。

 

 

でも、こんなとき

週末は面会出来ないのは

もどかしい笑い泣き

 

手術してすぐに1人だなんて

次の日も会えないだなんて

 

きっと心細いはずだ

 

手術の前に

手をしっかり握って離さなかった

母の手の感触を思い出していた。

 

 

ほんとに頑張ったなぁ。

 

きっと良くなるはず!

 

週末、なにもありませんように。

 

そう祈りながら

その日の夜を過ごした。

 

12/6(土)

 

お昼過ぎに病院から電話がかかった。

 

ドキドキしながら

電話に出ると

 

「車椅子で3Fに上がりました!

食事も全部ではないですが

食べられてましたよ。」

 

という報告だった。

 

え?車椅子で!

すごくない?車椅子って笑い泣き

ごはんも食べたの!えらい!すごい!

 

にしても

紛らわしいのよ!

ドキドキするじゃないっ


電話、ほんと嫌だわガーン

 

でも、よかったーーーー笑い泣き笑い泣き

 

すぐに兄に連絡をして

喜びを分かちあった


 

あ、ラインが来た。

 


母からだった泣き笑い泣き笑い泣き笑い

 



「ゆっくり休んでから来てね。」

 



その文字を見て

号泣した笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き


 



母がリハビリ病院に転院したのと

そこの看護師さんに

言ってもらった言葉で

心、落ち着き

 

昨日は(12/4 木)

久しぶりに

木曜レッスンに顔を出し

子供たちの元気な姿に

癒されつつ

見守っておりました。

 

 

リハビリ病院に変わっても

週に3回は母に会いに行こうと

思っていたけれど

 

 

あんぐり「あなたまで体を壊しちゃ

元も子もないでしょう!

そんなにこなくていいから

大丈夫!大丈夫!」

 

 

という言葉をいただき

そのお言葉に甘えて

今週の面会は、2回にしました。

 

でも、どうしても

前回の母の様子が頭に浮かんで

心配になってくる。

 

寂しさももちろんある。

 

 

毎日のように会っていた母に会えなくなるって

こんなに寂しいことなのかと

今更ながらに思う。

 

 

今日(12/5 金曜)

朝の仕事が終わったら

病院に走るのだけど

 

この3日間でどうなっているだろうか

心配しかない、、、えーん

 

だって

最後に話した言葉が

 

ことばになってなかったから、、。

 

だけど

この3日の間に

またまた色んな人からの

ギフトがあった。

 

 

英会話教室(実家)の前の

砂利道は、いつも柿の葉が落ちて

葉っぱだらけになっているのに

キレイに掃除されているびっくり

 

 

次の日に行っても

また、その次の日に行っても

柿の葉が何もない…。

 

いつも声をかけてくれたり
娘さんが帰省されたときなど
お土産をいただいたりしている

ご近所のおばさまが

キレイにしてくださっているんだ。


そう思いながら
実家に入ろうとすると

 

ひらめき「お母さん どう?

良くなってきたん?
寒くなってきたし、急がなくても

ゆっくりしたらええでって言ってな。」

 

とまた右隣のご近所さんから

声をかけてもらって・・

ウルウル泣き笑いしてしまった。

 

 

お昼前に

銀行に行った時も

知り合いに会い色々話を聞いた。

 

 

妹さんを介護していて

介護保険や、身障のこと

リハビリショートスティのことまで

話してくれた。

 

そして最後に

 

ひらめき「まよてぃ、大丈夫よー!」

 

 

って笑顔で言ってくれた。

 

 

まじ、出会う人たち

みんな神ですかーーーっ笑い泣き

 

 

って思う事ばかりが続いて

涙目になりそうな顔で銀行に行った。

 

 

母、自分の口座のパスワードを

忘れたため

 

銀行の窓口で

そのことを伝え

 

母が考えそうな数字を

入れてみたら、ビンゴ‼️

 

はぁぁぁぁぁー

よかったーー泣き笑い

 

 

ホッとした飛び出すハート 
 
 
お昼ごはんを作りながら
夫に、それらの出来事を話し
 

久しぶりに、昼寝をして
レッスンに向かった。

 

リハビリ病院に転院してから
母からのラインはない・・・。

 


朝も昼もリハビリがあるし
ラインどころの騒ぎじゃないだろう。
 
いやいや、もうラインが打てないんじゃないか。

 

前にも書いた思いが、またチラホラ出ては消え

出ては消えるの繰り返し・・・。
 
 
回復期のリハビリ病院に行ったのに
 
心もモヤモヤは晴れず・・・・

 

 

 

さて、そろそろ朝の仕事に行く時間だ・・

と思って2階から下に行ったら
 
 


電話がなった

 

 


 

母が転院した、

リハビリ病院からだった・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

12/2(火曜)

母の転院の日

すごーく早く出発してしまい

8:45までに着けばいいものを

8:10に着いてしまう、、(笑)

 

今日は、道がこんな感じで笑い泣き

「ひゃーーっ笑い泣き笑い泣き」って

楽しみながら運転してました。

 

これくらいの霧だったら
前が見えないって思っても
車で進んでいくと、す〜っと見えてくる。
 だから楽しめるんだけれど・・笑
 
小学生のとき、父が運転していた車で行った
十国峠にはたまげた!前が全く見えなくて
車線しか見えなくて、ハラハラドキドキで父に
「がんばれー!!」って本気で叫んでたのを思い出した。

霧の中を走り抜けると、霧がきえて
視界が晴れやかになってきた。

「明けない夜はない」

 

「晴れない霧はない」


悩みやわだかまりも
すぅ〜っと霧のようにいつかは晴れ渡る
 
なんだか、わたしの心を比喩してくれているかのようだった。
 

 


週末は面会できないから
今日の母はどうなんだろう。

最近は、元気になってきてくれていて
会うのも嬉しかったが、離れているとどうも不安になる。

そう思っていると
目の前に大きな太陽があらわれた!

そうだ!日の出でる国だったんだ。

こっちがわに走るということは
日の出でる方向にはしってるということだ
 

 

霧のおかげで、太陽の光と景色が
なんとも幻想的に写っている。


太陽に何回も何回も助けられているなぁ
 
太陽がなければ、わたしたちは生きていけないもんね

そして、誰にでも平等に照らしてくれる

空気と同じ、ありがたい存在である。

 


母の病室にいくと
ベッドの横になっていた母が
私の方を見て、ニカッっと笑顔になった
 
看護師さんが
「まぁ、素敵な笑顔やね〜!」って言ってくれたくらい
めっちゃ大きな笑顔だった。
 
持って行った服に着替えていても
やさしい看護師さんはずっと声をかけてくれている

 

「え〜!おしゃれだわ〜!見習わないといけないわ〜!」


それを聞いた母が、照れたように手で口を隠しながら
笑っている。 

他に母に関わってくださった看護師さんや
リハビリの指導員の人も病室にきてくれて
 

「向こうでもリハビリ頑張ってね!」

 

「来た時は大変な状態だったのに
こんなに元気になられて!!」

 
たくさんの方達の励ましの声に
母が涙を流がす。

 

本当にね、頑張ったよね。母、がんばった!
 

しかし、私の中で一抹の不安があった・・・。
 
少し前から、ラインの返信が
文章になっていなかった。
 
何を書いているのかわからない。。
 
入院したすぐは、大丈夫だった

普通に文章を打ってきていた・・。
 
それから熱がさらに出始めて、
ラインが見れなくなり
 
熱が下がり回復しはじめて、
体にもまひがなく、大丈夫そうだったのに
 

手の力がないだけではない間違いだとは
なんとなくわかっていたので
 
母に会ったときに確認しようとしたが
手先がうまく動かないのではなく

言葉が出てこなくなっていた。

色んなことを一気に話をすると
いっぱい、いっぱいと返事がくる。

すべてを「いっぱい いっぱい」で表現している。

 
看護師さんたちは、前の母を知らないから
あまりおかしく感じなかったかもしれないけれど
 
母は、前よりもしゃべるのに時間がかかる
そして、返事の語彙が少なくなっている
 
難しい話の返事がすぐにできない

高次機能障害の恐れがあるかもしれない。
 
頭の左側を打っているから
失語症になる可能性も否めない。
 
これからどうなるんだろう
リハビリでどこまで克服できるのだろうか。
 
わからない。

 

またわからないの闇の中に吸い込まれる

朝の霧の中にいるような気分になった。
 
リバビリ病院の担当の先生が
じっくりCTの画像を見せてくれながら
時間をかけて母の状態を説明をしてくれた
 
とてもいい先生だった。

 

だが、ここはリハビリをする病院だから
治療をすることはできない

もし、母の状態が悪くなったら
他の病院に行くことになる。
 
心不全に、硬膜下血腫
どちらも命取りになるときがある。
 
高次機能障害だとしたら
自宅に戻ることは難しいのかもしれない。


病院でも転倒しないとは限らないですね。
看護師や介護士が24時間ついているわけでもないし

夜間となれば、さらに人数が制限されますから・・。
などともしかしたら、のことをたくさん話してくれた。

どこの病院もそうだけど・・💦
いい先生だったけど、先生の話を聞いているだけで
気分が悪くなりそうだった・・・

逃げたいって思ったけど、わたししかいないし・・。

看護師さんがやってきて
これからの入院生活のことなどを教えてくれた
そして
携帯電話はいつも出れるようにしておいてください。
と言われた・・

 

電話がくるとドキッとする。
前の病院からは
よく確認の電話がかかってきていて

かかるたびに寿命が縮まる思いだったのに・・


元々電話がきらいだけど
 
ますます、電話がきらいになりそうだ・・。
 
ラインがこないとか
思っちゃだめだなぁ・・

悲しいけれど、ラインが来るのを
期待してはいけない、そう、いけない。

ラインを打つのも一苦労してたんだろうなぁ

「なんで、なんで、なんで、なんで」って
帰り際に何度も言っていた。
 
「なんで、わたしがこんなことになるん。」の

なんで。なんかな。


 
がんばるって言ってたのに。
母から機能を奪わないでほしい。
 

母が何事もなくリバビリに専念でき
自分の思うように話ができて、動けて、歩けて
 
笑顔で家に帰ってこれますように。

 
天気がわたしに伝えてくれているのならば
 
 
   明けない夜はない


この太陽のように、明るく照らす未来がくるはず!