昨日2月11日(祝日)母が退院しました。

退院するまでは、退院してから大変だなぁ、なんて思って
その日が近づくたびに憂鬱になり、色々考えたりして、
寝付けなかったりしたんだけど

とうとうこの日がやってきた・・。

退院する前から、

早めにきてね

カートを持ってきてねなどなど
ご要望がたくさんあり

先が思いやられるな・・と気持ちおもーくなりながら
迎えに行ったわけです。

祝日ということで正面玄関は閉まっており
時間外入口から入ったので
あやうくカートを忘れてしまいそうになり・・・
 
病室に足早に歩いていたら
目の前に退院していく人たちがいて
おばあちゃんが車椅子に乗っていて、家族の人がカートを押していて

『あ、カートやん。』となり

取りに行ったわけでして(笑)
 
退院していったおばあちゃんありがとう!

教えてくれて爆笑
 
病室にいくと、

帰り支度をすませ待っている母。

「すまんのなぁ、これ、たくさん荷物あるのよ〜!笑」


って言っているのを、うんうん聴きながら
荷物をカートに入れ、

看護師さんの説明を聞いたあと

詰所の看護師さん、リハビリの先生たちに挨拶をすませ
エレベーターに乗り込みました。

車に荷物を積むために
近くに車を持ってくるから中で待っていてね、といったのに
外にでてきて手伝おうとする母。
 
退院するのが、うれしいんだなぁ、

この人・・。


退院する前はストレスでお腹がゆるくなり、他の病気になっていないかと

心配なラインを送ってきていたけれど

便を検査したら、なにも悪いところはなく
それを聞いた途端に、お腹のにかにかもなくなり、便も正常に戻りまして。

ほんと、病は気から、でございます。
 
車の乗降も介助なしでできる。


ニトリに母の部屋にひくラグを

買いにいったけれど


軽い掃除機を買っちゃったりして、

思わぬ出費ね、と笑いながら


一緒に買い物をしていたら、

急に幸せな気持ちで満たされた。

これって現実なん?泣き笑い

このお店は、母が体調が悪くなる前
母の誕生日を記念して、

伊勢に旅行に行った時に寄った。

この前を通るたびに、

母と前のようには一緒に来れないんだと
苦しい気持ちになっていたのに

こんな幸せなことがあるのだろうか。。。
 

そんな気持ちで満たされていた。

そのあと、母が行きたいと言った

 

松阪の「更科そば」に行って

 

 

初の天ぷらとかけそば定食を頼み

 

 

 

一緒に食べたんだけど

食べる前から

目の前に母がいる。


というこの光景を見て

またまた

夢じゃないのか、これは!って
何度も、何度も思ったりして泣き笑い




ここも旅行の帰りに寄ったお店だったので

やばいじゃないか、この感情は!


夢じゃないじゃないよ

目の前に母がいるんだよ!と


小躍りしたくなるような、

叫びたくなるような


至福の感情がぶわっと出てきて

たまらなかった。

頭は考えて、悩んでいたけれど


実際、こうやって母と過ごしてみないとわからない。


こんなに嬉しかったなんて、

自分でも想像できなかった。
 
もう一度、母と娘でいられるチャンスをもらったんだと思った。
 
母も、できることなら、

もう一度、地元に娘と帰りたいと
思っていたらしい。


よかった。叶ったよ。おかあさん、

叶ったよ泣き笑い

高速を降りて、地元に着いた瞬間

 

「あぁ、帰ってきたね、涙でてくるわ、、ありがとう」

そう言って、涙ぐんでいた。


家についたら、

きっと疲れるだろうと思っていたが

私の考えとは裏腹に

奥の部屋にいって、

ガタガタ音をたてている。

なんと!

 

なんと!母は帰ってきてすぐに

秋物の服と、冬物の服の入れ替えをしようとしていた。

そして、部屋の片付けがはじまり・・・

わたしにこっぴどく叱られた(笑)
 
だけど、やりたいことは止まらず

言葉では

「1日に、ひとつのことをやることにする。

あなたには迷惑をかけっぱなしだから、もうかけないようにする。」

 

と言っていたが、母の中の「ひとつ」は

ずっと昔から「5つ」くらいなので

彼女なりに、少なくなっているのだろう。


昨日は、実家に泊まり、母の隣で寝た。

夜中にトイレにいくときは
リビングが真っ暗なので、トーチを持って歩いていくのだが
心配でついていく(笑)
 
暖房をつけていると、乾燥するので
加湿器をずっとつけていたけれど、夜中に加湿器の水がなくなり
台所にいき、寒い中水を入れていたら、お腹がいたくなり
トイレにかけこんだりしていて

わたし、全く眠れませんでした(笑)
 

母の活発ぶりは次の日も続いていて

私より朝早く起きて、

朝ごはんを作って待っていてくれて


またわたしを至福の気分にさせてくれた。

喉が弱く、乾燥していたのか、

寒かったのか
咳をしたりして、わたしを心配させたが


昼からは、少し風があったけど、

暖かい日差しの中
近所を歩いて、ご近所さんに会うたびに
おかえり!おめでとう!よかったな!と声をかけてもらって

気にかけてくれていた気持ちが嬉しいと

また涙ぐんでいた。


今も母は、わたしの夕食を作ってくれている。

そのおいしそうなにおいの中で

わたしは、まだ母の娘でいられることの幸せを噛み締めている。

今夜も心配しながら、

母の隣で寝ることにしよう。

 


おかあさん、おかえり。

 

退院おめでとう飛び出すハート

 

 

 

 

おはようございます!



お友達から

立春のご挨拶をいただいて

ふと、調べてみたの。

 

この日の気持ちが1年続いたら

幸せすぎるやーん!っていう日に

したらいいらしいので

 

ここに立春過ごしかたメモ📝を

置いておきますね♪

 

🌸 立春の過ごし方メモ🌸


立春を調べてみたら

「新しい一年の始まり」と考えられていて、

この日の空気が、そのまま一年の流れになるそうです。


【控えたいこと】

・大掃除(運気まで掃き出すと言われる)

・悪口やケンカ(その気分を引きずりやすい)

・新しいことの開始(気が切り替わってからが◎)

・水を使いすぎる家事(土台の気を流す象徴)

・土いじり(土の気が乱れるとされる)


【おすすめ】

・穏やかに過ごす

・感謝を意識する

・春の和菓子を楽しむ

・不要なものを手放す準備


「動く」より「整える日」🌱

 

今日はいつもより

心穏やかに、にーっこりとして

過ごすぞー爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑

 





   *謹 賀 新 年*

 あけまして 
  おめでとう

   ございます
 
 本年も

  どうぞよろしく 

    お願いします 
 


母が体調を崩し、
入院してから早2ヶ月と16日。

 

リハビリ病院に

転院してから

1か月が経ちました。


おかげさまで、

今は杖あり、なしで歩いたり
1階のロビーの自販機で

コーヒーを買い
飲んだりすることも

できるようになりました!


メンタル的には
少し不安定なところもあり
元々の「心配性」も手伝って

事実と妄想を

ごちゃまぜにして
自らを悩む方向に持っていく・・という
すこーし厄介な部分はありますが
 
それにしがみついている

というよりは


私に話して
その妄想を指摘してもらい

やっぱり違うのね、

スッキリ!
となりたい感じなので
前よりは安心しています。

 

今でも

ホメオパシーの先生と

連絡を取り合い

適切なアドバイスを

いただいているので

 

私のメンタルも

落ち着いたまま

保たれております。

 

母のことがあり

兄との仲も急速によくなり

いつか母が旅立つときが

来るとしても

仲良くしていける安心感があり
これも今回の大きな収穫でした。
 


というわけで
母も元気になりつつあるので


本日は、その裏側で起きていたこと、について
書いていこうと思います。
 

母が入院して困ったことは
愛犬のお世話と夕食の準備でした。

母と一緒にいるから
穏やかにしていた愛犬も
母がいないと、2時間でも3時間でも吠える

2階で塾をしている生徒たちは
さほど気にしていないようでしたが
わたしは申し訳なく思っていました。

 

そして

いつも母が色々考えて作ってくれていた夕食が
突然なくなってしまい
夕食の準備をしなくてはいけなくて

これには
かなりまいりました(汗)


塾の少しの隙間時間に

母が準備してくれた夕食を
食べる習慣がついていたので

 

夕食を作り時間を
捻出しなくてはいけなくて

手作りできる時間がある日は
極力作っていたけれど


時間があまり取れないときは
ご飯だけ炊いて、サラダを作り(レタスをちぎっただけ)
そして、このようなものを活用していました。


 

 

 

 
夫が肉と生野菜しか食べないような人なので

煮ものなど作らなくて良かったのは
ありがたかったですが
・・・。

 
 

母が入院したての頃は

母の体調がかなり悪く
 

私も不安がいっぱりで
仕事以外は何も手がつかず

途方に暮れていた時に

 

お友達から

送ってもらって

涙を流して喜んだのが

こちらの

 

【いのちのたね薬膳セット】

 


 

 

本当に嬉しかったし

 

自分も周りの人たちに

送ってあげたいと思えるセットでした。

 

お味も優しくて

私は少し天然塩を足して

いただいていましたが
 

食べると毎回、気持ちが

ホッコリしたのを

いまだに覚えています。

 

食事はこのように

お友達に、または食材に

助けてもらい

状況に慣れつつありましたが

 

愛犬をずっとみているわけにも行かず

ペットホテルにお願いすることにしました。
 
実家には犬、自宅には猫がいて

わたしが実家で犬と一緒に生活して
夫が自宅で猫と、というふうになるなと思って
やってみてたんですが

うまくいかなかったんです・・。


うちの外国人夫は
世話をしすぎる傾向があり

自宅の猫を
それはそれは猫っかわいがりして
毎日2時間も遊んでしまっているので

自宅の猫は、夫の顔を見ると
遊び友達が来た〜!っとなり

遊び始めるまで
にゃおにゃお、にゃおにゃおと
ずっと話しかけるんです。

最初は優しく接しているんですが

だんだん、イライラしてきて
自分の時間がないと怒り出し
わたしに軽く八つ当たりをはじめる・・

なんとも面倒な状況になっていて

わたしが、実家で犬とともに暮らすのは

無理でございました(笑)
 

イライラが募っていたのは
この時だけで、あとは落ち着いていて
1月の初め頃は、
わたしは実家、夫は自宅で
過ごしていたんですけどね・・・。
 
まぁ、そんなこんなで
ペットホテルで愛犬を預かってもらい
わたしは、母の病院へ行ったあと仕事をして
週に2〜3回はご飯をつくり
あとは、お持ち帰りでお願いしたり
無理のないようにしておりました。
 
ペットホテルの人が
とってもいい人で

寂しがりやなうちのふくちゃん(愛犬)と
一緒に毎晩お布団で寝てくれていたんです(泣)

おかげで寂しがらずに
というか実家にいるよりも愛情をたっぷり注いでもらって
他のわんちゃんたちと楽しく過ごしていました。
 
毎日、写真を送ってくれては
何をしたか、どういう様子だったかなど
丁寧に教えてくれて、
本当に感謝しかないです。
 

愛犬は、1月12日に
兄が名古屋に連れて行ってくれて
(元々は兄が飼っていた)
世話をしてくれることとなり

ペットホテルに預ける代金は
考えなくてもよくなりましたが

車に乗って、去っていくときは
さすがに号泣してしまいました。
 
7歳から〜12歳まで5年間
実家で育てていたので
かなり寂しかったです・・・。
 
今は、生活的には
落ち着いていますが
 
母がやっていた仕事というか

毎月やっていたことが
全部こちらにやってきて

それをこなしていくのに
足りない頭をフル回転させております(笑)
 
 
早く帰ってきて
ご飯作ってほしいです・・・。
 
って言えるようになって
ほんとうに嬉しい(泣)
 
母からさっき連絡があり
今日は1時間ほど外を歩いたそうです。

買い物にいくことを設定して
リュックに4キロのおもりを入れて
背負って歩いたそうで・・泣
 
日々、がんばっております!
 
 



 

 

 

 

 


 

12/16(火曜)に

リハビリ病院に転院した母。

 

12/5に手術してからというもの

日に日に回復し

ラインの文面も

元に戻って、しっかりしてきた。


母からの返信が嬉しいし

それを見て、安心するのもあり
色んな写真を撮っては、送り、
ワクワクしながら返事を待つ

それが日課になりつつあった。



12月16日(火曜)に

リハビリ病院に転院するまでの
話はこちらから  ↓   ↓    ↓    ↓   


 私が母の話をブログに書き始めたのは

自分の心がどうにかならないように

書き出すということに集中して

メンタルを保っていたのもある

 

プラス

 

とても大切な母のことを

形として残しておきたかった。

 

父のときは

辛過ぎて、どこにも

何も書けなかった。

 

書けたのは、

半年くらい経ってからだったと思う。

 

だからといって

母のことは父の事よりも辛くなかった

というわけではなく

 

ただ、関わり方の違いだけなんだと

自分では理解している。


12月中

母に会ったのは9回


12/25は母の弟夫婦が

面会に行ってくれた。

 

面会の後に

連絡をくれたが

 

元気になり過ぎていて

ビックリしました‼️」

 

とメッセージが来た、、笑い泣き

 

それくらい

母は急激に回復していた。


【12月面会日の覚書】

12/5 (金)手術

12/8(月)

12/9(火)

12/12(金)

12/16 (火)転院

12/19(金)

12/23(火)

12/25(木)母の弟夫婦が面会

12/26(金)兄と2人で面会

12/29(月)今年最後の面会

 

12/16の転院後

地元の病院から緊急搬送された時からの

曖昧になっていた記憶が

ポツポツと出てきて

それが時系列で繋がり始めてきたらしい。

 

看護師さんや、周りの人たちが

掛けてくれた言葉に違和感があったのが

やっと理解できてきた。と言っていた。

 

11/6夜中に搬送されてから

すでに硬膜下血腫の症状が

出ていたのだろう。

 

しかし肺炎で高熱だったこともあり

判断が難しかったのだと思う。



12/16以降

面会に行くたびに

進歩し続けている母を

毎回見ることになる。

 



12/29 今年最後の面会日

出かける準備をしていると


午前中にCTを撮ったと

母からライン連絡が来た。

 

その後、ラインの文字が

なんとなくおかしくて

胸が少しざわつく。

 

ただの間違いだよね?

なだめている自分に気づく。

 

そうだよ、大丈夫だよ。

自分に声をかけつつ

ひと呼吸。

 



母も日々不安だったように

 

わたしも不安だった、、

 

ラインの文面が少しでもおかしいと

また戻ってしまうのではないかと

思って心配してしまうえーん

 

自分にわからないことは

考え過ぎないようにする!

 

と決めてはいたものの

胸がざわつくのは

なかなかすぐにはおさめられなかった。

 

そんなことを考えていたら


電話が鳴った

 

母からだ


さっき先生が来てね

CTの結果を教えてくれた。

満点💯だって泣き笑い

 

と泣きながら話してくれた。

 

良かったねー笑い泣き

 

良かったー笑い泣き

 

お母さんが頑張ってるからだよー!

 

大きなプレゼントをもらったね!

よかったなー!

 


そう伝えて電話を切った。

 

 

母はどこかで

また状態が悪くなり

家には帰れない

 

そう思っていた…。

 

だから

今回の結果は

とても嬉しかったんだと思う。

 

先生に

それじゃ帰れるんですね!

と言ったらしい。

 

この結果が

母の大きな安心材料になることは

確実なので

 

ここから

さらに前向きに頑張って欲しい。

 

その日のお昼過ぎに

兄の運転で母のリハビリ病院に行った。

 

今年最後の面会日とあって

たくさんの車が駐車してあり

エレベーター🛗の中も

面会の人たちで溢れていた。

 

14時からリハビリが

入っていると聞いていたので

 

少しゆっくりめに行ったが


兄が

「リハビリしているのを見に行くか?」

 

というので

2人で病棟に上がった。

 

母の姿がどこにもない

部屋にも、いない。

 

きっと下の階だ、と

エレベーターに乗り

 

出た瞬間

外を歩いている女性に目がいった。


リハビリの先生の隣で

同じ歩調で歩いている。

 

何やら楽しそうだ。

 

あ、あの白いベスト見覚えがある…。

 

じっと目を凝らして

近づいてくる、その女性を見ていた。



歩行器を使って

元気に歩いているのは

 


紛れもない、母だった。

 

 

大きく手を振るわたし

 


歩行器を上手に使い

緩やかな坂を降りた母が

 

ゆっくり手を振っている。

 


その母を見て

目頭が熱くなった。


 

先ほど、心温まるメッセージを

いただきました。

 

言葉の一つひとつが

まだ胸に深く残っています。

 

大切な人がいなくなるかもしれない

そのことを分かっているからこそ生まれる

心からの温かい言葉。

 

その温もりに

心から感謝しています。

 

 (母の実家からの眺め・・。)

 

    

おすましペガサス今までのまとめおすましペガサス

 

 

11/2から体調を崩す

 

 

 

11/5 地元病院に入院

安心するも

 

 

次の日、院内で転倒
 

11/7 緊急搬送
(硬膜下血腫、手術の必要性あり)

その後安定し
肺炎治療に専念&リハビリ
(11/7〜12/2)

 

 

12/2(火)リハビリ病院転院
症状悪化しつつある

12/5(金)緊急搬送10:00
12/5硬膜下血腫手術15:30
 

12/5以降
経過良好(短期記憶低下)

 元の母に戻りつつある
 
12/16 リハビリ病院に転院
経過良好(記憶が繋がり始める)
毎日リハビリ奮闘中

 

母が入院してから、
私のメンタルを保ってくれたのは
友人や、周りの人たちからもらった
たくさんのポジティブな言葉でした。
 

先のことは、正直どうなるかわからない。
不安が消えるわけでもない。
それでも、心のどこかに
ほんの少しでも「大丈夫」を置いておきたかった。
 

そんなとき、
前向きな言葉をかけてくれた友達、
さりげなく気にかけてくれた周りの人たちの存在が、
私を何度も支えてくれました。
 

言葉には、不思議な力があります。

弱っている心に、そっと寄り添い、
立ち上がるための小さな灯りをともしてくれる。
 

本当にありがとうございます。
この感謝の気持ちを、忘れずにいたいと思います。

 


🔸前回からの続き🔸


あ、ラインが来た。

 

 

母からだった泣き笑い泣き笑い泣き笑い

 

 

 

目がハート「ゆっくり休んでから来てね。」


 
その文字を見て、

号泣してしまったわたし・・・。
 


すぐに兄に

泣き笑い「お兄ちゃん!お母さんから短いけれどラインきたよ〜!」
 
と送った。嬉しすぎた!

何度見ても泣けた。
 
もうラインなんて出来ないかも、

と思っていた。

 
生きている、動ける、私と理解してくれる
だけど、愛のかたまりで、

私の応援団長だった母は
いなくなってしまうんだ、

とばかり考えていた

まさかこんな時がくるなんて、

感激しかないっ(涙)
 

その日を境に

母はどんどん普通に戻ってきた

次のラインでは



目がハート「友達にラインした。
大正琴の先生にもラインした、

先生と、電話で話したい」


など、いつもと変わらない言葉が

出てきていた。

 

大正琴と先生と

ラインで話せるから、と

ラインの話し方を伝えたが

 

これがなかなか

難しかったらしく

出来なかった様子、、。


そんなときもあるある!

 

 

次の日になると

 
目がハート「爪切り、鏡、ノート

持ってきてください。」


と書いてあり、みなりにも

気を遣うように

なってきているのがわかる。
 

泣き笑い「お水は普通に飲めているの?」


と聞いてみた

リハビリ病院のときは
嚥下状態があまり良くなくて
水分もトロミのついたお茶、
食べ物も刻み&トロミだったから

どこまで嚥下が

改善しているのかを知りたかった。

 

目がハート「普通に飲めている」
 

と返信が来た。

わぁぁぁぁ〜
頭を手術した次の日から
こんなに変わるんだぁぁぁぁぁ〜!
 

と思ったが、反対に
頭を打つって

怖いことだなと思った。
 


やる気も、体力も、嚥下力も、記憶も
おかしくなってしまう・・・。
 

ここまで戻ってきてくれて
本当にありがたかった。
 

 

何度も言うが
母と普通にラインができるなんて
夢のまた夢だったから


大きなギフトをいただいた気分。
 


12/2

母が手術をする前
おかしいところがありながらも
リハビリ病院に転院したとき

脳外科の先生は

 

ショボーン「名前は言えますけれど。。
少し喋るときに考えますね。

言葉が出しにくい感じですね。
左の頭を打っているので
失語症、または

高次機能障害などの症状が
出てくる可能性もありますね。」

 
と言っていた。


 
今は
失語どころか、
普通に言葉が出てきている。



しかし、2日後の

12/7(日)の夜に
こんなラインが入る。

 

 

目がハート「夕方体温はかるとき、

看護師さんが何かおかしいと言っていた
なにかおかしい、」

 


なんだろうと思って気になって
電話で少し話してみた
 


看護師さんが、体温と酸素を測って
さっと出て行ったのが気になったらしい。
 

どこか悪いところがあったのか?

と思ってしまい、

それが頭から離れないらしい。

 

 

気になるようなら
消灯前にトイレに行く時に
看護師さんに聞いてみてねと伝えると



目がハート酸素なんにもでした。

と連絡がきた。

 


術後から不安や心配がかなり
出てきているように思う。
 


週末が終わり
月曜に面会にいくときも

面会時間は14時〜16時までなのに

午前中にラインがきて

 

 

目がハート「時間かかるのかなぁ〜。
大丈夫ですか〜?」

 

 

と心配のラインが来ていたり


前回入院していたときのことや、

リハビリ病院に転院したときのことは
あまり覚えていない。



それ以前のことは
全て、しっかりと記憶に残っているが

 
最初に緊急搬送されてからの記憶が
かなり曖昧になっている。

 


そして、それ以降
新しいことをあまり覚えられない。

今いる病院の名前や
今度、転院する病院の名前

あとは、リハビリで絵を描いているが
何を描いたか覚えてないなどあるらしい。
 

かと思いきや
レメディーの入った缶の開け閉めが
少し、複雑なのだけど
それらをサラッとやってのけたり知らんぷり   
 

すこしおもしろい展開になっている。
 
 
今、一番気になるのは

『心配性がさらに大きくなって

出てきている』

というところ。
 


根本が『心配』になっている

プラス耳があまり聞こえないので

自分の「心配」のフィルターを通して


看護師さんや、薬剤師さんの言葉を

聞き間違えてしまう。
 


昨日も面会に行った際

開口一番に

 

目がハート「昨日も今日も調子良く、

ご飯もしっかり食べて
頑張る気まんまんだったのに

薬剤師さんが、

頭の血液が広がってて

それに対する薬を

出さないといけないと言ってた

だから、かなり落ち込んでしまった」

 

と言っていた・・

 

 

薬剤師さんは

病状を伝えることはできない。

 


担当の医師からしか

今の病状は言えないのだから
 


どういうふうに
聞き間違えたのか。

もしかしたら

ガーン「頭の水を出す漢方の薬を飲んでいます。」
 
と薬剤師さんが言ったのを

聞き間違えて、

頭の水が広がっていると

思ったのかもしれない。

 
あとで、母からラインが来て
 

薬剤師さんが
「大丈夫ですからね、

心配しなくていいですよ」と

言いに来てくれたと言っていた。
 

伝え方によって
聞き間違えてしまうこともあるので


言葉の選び方って
すごく大事だなと思った。




しかし、そんな心配をよそに
母が日に日に元気になっていった。
 

手術をして、脳への圧迫が取れたのが
一番大きいとは思う。

しかし
それまでに、
友達からレイキを夜となく昼となく

毎日のようにレイキを送ってもらったり
レメディーを摂ってもらったり

他にも
母に必要だと思ったものは
お膳立てされていたかのように
目の前に現れてきていた。
 

わたしがやってきたのは

思考や心配で頭をいっぱいにしないこと。
人の意見に耳を傾けること。
わからないこと、できないことは必ず出てくる
それに対して、反発しないで、サレンダーする。

 

母が自分で何もコントロールできなかったとき
もう生きていくことを選択していなかったと聞いた。
 

今日もラインで
色々とノートに自分で書き出していたらしく
 
目がハート「よくここまで戻ってこれたなっと我ながらビックリ!
あんたのおかげやなぁ、ありがとう。」

 

って書いてくれていた。

一番がんばったのはお母さんだよ。


心からの気持ちを母に伝えた。


12/16(火曜)
リハビリ病院の転院が決まった。


手術をしてから11日目のことだった。