12/16(火曜)に
リハビリ病院に転院した母。
12/5に手術してからというもの
日に日に回復し
ラインの文面も
元に戻って、しっかりしてきた。
母からの返信が嬉しいし
それを見て、安心するのもあり
色んな写真を撮っては、送り、
ワクワクしながら返事を待つ
それが日課になりつつあった。
12月16日(火曜)に
リハビリ病院に転院するまでの
話はこちらから ↓ ↓ ↓ ↓
私が母の話をブログに書き始めたのは
自分の心がどうにかならないように
書き出すということに集中して
メンタルを保っていたのもある
プラス
とても大切な母のことを
形として残しておきたかった。
父のときは
辛過ぎて、どこにも
何も書けなかった。
書けたのは、
半年くらい経ってからだったと思う。
だからといって
母のことは父の事よりも辛くなかった
というわけではなく
ただ、関わり方の違いだけなんだと
自分では理解している。
12月中
母に会ったのは9回
12/25は母の弟夫婦が
面会に行ってくれた。
面会の後に
連絡をくれたが
「元気になり過ぎていて
ビックリしました‼️」
とメッセージが来た、、![]()
それくらい
母は急激に回復していた。
【12月面会日の覚書】
12/5 (金)手術
12/8(月)
12/9(火)
12/12(金)
12/16 (火)転院
12/19(金)
12/23(火)
12/25(木)母の弟夫婦が面会
12/26(金)兄と2人で面会
12/29(月)今年最後の面会
12/16の転院後
地元の病院から緊急搬送された時からの
曖昧になっていた記憶が
ポツポツと出てきて
それが時系列で繋がり始めてきたらしい。
看護師さんや、周りの人たちが
掛けてくれた言葉に違和感があったのが
やっと理解できてきた。と言っていた。
11/6夜中に搬送されてから
すでに硬膜下血腫の症状が
出ていたのだろう。
しかし肺炎で高熱だったこともあり
判断が難しかったのだと思う。
12/16以降
面会に行くたびに
進歩し続けている母を
毎回見ることになる。
12/29 今年最後の面会日
出かける準備をしていると
午前中にCTを撮ったと
母からライン連絡が来た。
その後、ラインの文字が
なんとなくおかしくて
胸が少しざわつく。
ただの間違いだよね?
なだめている自分に気づく。
そうだよ、大丈夫だよ。
自分に声をかけつつ
ひと呼吸。
母も日々不安だったように
わたしも不安だった、、
ラインの文面が少しでもおかしいと
また戻ってしまうのではないかと
思って心配してしまう![]()
自分にわからないことは
考え過ぎないようにする!
と決めてはいたものの
胸がざわつくのは
なかなかすぐにはおさめられなかった。
そんなことを考えていたら
電話が鳴った
母からだ!
「さっき先生が来てね
CTの結果を教えてくれた。
満点💯だって
」
と泣きながら話してくれた。
良かったねー![]()
良かったー![]()
お母さんが頑張ってるからだよー!
大きなプレゼントをもらったね!
よかったなー!
そう伝えて電話を切った。
母はどこかで
また状態が悪くなり
家には帰れない
そう思っていた…。
だから
今回の結果は
とても嬉しかったんだと思う。
先生に
それじゃ帰れるんですね!
と言ったらしい。
この結果が
母の大きな安心材料になることは
確実なので
ここから
さらに前向きに頑張って欲しい。
その日のお昼過ぎに
兄の運転で母のリハビリ病院に行った。
今年最後の面会日とあって
たくさんの車が駐車してあり
エレベーター🛗の中も
面会の人たちで溢れていた。
14時からリハビリが
入っていると聞いていたので
少しゆっくりめに行ったが
兄が
「リハビリしているのを見に行くか?」
というので
2人で病棟に上がった。
母の姿がどこにもない
部屋にも、いない。
きっと下の階だ、と
エレベーターに乗り
出た瞬間
外を歩いている女性に目がいった。
リハビリの先生の隣で
同じ歩調で歩いている。
何やら楽しそうだ。
あ、あの白いベスト見覚えがある…。
じっと目を凝らして
近づいてくる、その女性を見ていた。
歩行器を使って
元気に歩いているのは
紛れもない、母だった。
大きく手を振るわたし
歩行器を上手に使い
緩やかな坂を降りた母が
ゆっくり手を振っている。
その母を見て
目頭が熱くなった。








