ユメカナの記憶喪失からの脱却 -18ページ目

ユメカナの記憶喪失からの脱却

記憶喪失の記録
思い出したことを書きとめる

ICUの個室にいた頃

意識が戻ってからも食事や水分は禁止されていた
初めは我慢できた
次第に喉が乾いてきた
水がのみたいとお願いすると、ダメですと言われた

その代わり、クチュクチュペッ!ならいいよと言われた
"うがい"のことだ
だから、喉が乾いたら、"クチュクチュペッお願いします"と言っていた

針のついてない注射器に水を入れて、少しだけ口に水を含みピンクのケースに吐き出す

私のその行為は看護師は皆、クチュクチュペッと呼んでいた

ある時、いつも冷たい友近にそっくりな看護師にクチュクチュペッお願いしますと言ったら、
"いい加減赤ちゃん言葉やめたら!!"
と言われた
でも、記憶の曖昧な私には、"うがい"という単語が出てこない
"わからないので教えてもらえませんか?"
と、お願いしたら、友近は、"自分で考えなさい!"
と言った

必死に考えた
わからない、、、
"考えすぎて疲れたな"って、呟いたら、
友近が、"こっちが疲れるわ!"
と、言い放ち居なくなった
1度、クチュクチュペッをしてる最中に、友近が、"明日からこれもやらないから!"と言われ、ビックリして水を飲み込んでしまった
わざとではない
しかし、友近は猛烈に怒り、"私がどこから水を運んできてるかわかってるでしょ!飲める水じゃないんだよ!"と言った
動けない私が、どこから水を持ってくるか知るはずもない
しかも、飲めない水でうがいをさせられてたと思うとゾッとした
飲み込んだ水は10cc位だったが

私は声も小さくしか出なかったので、用事があるとき、かすれた声で、"すみませーん"と一生懸命看護師を呼ぶ
20回位呼ぶとやっと気づいてもらえる
気づいてもらえなかった時は諦めたけど

やっと来てもらえても、
"声が小さくて聞こえないんだよね、もっと大きな声出して!"
と、言われる
出るはずがない
気道熱傷しているのだから
この時の気道熱傷の後遺症は今でも残っている
声がガサガサで聞き取りづらいとよく言われる

動けないので、オムツに便をする
しかし、看護師に怒られる
便の処理をするのが嫌なようだ
便がしたくなったら、声をかけるように言われた
声をかけると、お尻とベットの間に薄い便器のようなものを入れられる
でも、都合よく便は出ない
でも、オムツにすると怒られるので、その薄い便器のようなものをお尻の下に一時間位入れっぱなしにしてもらった
怒られるよりましだ

ある時看護師に、声をかけるときに手をあげるように言われた
私は体が動かないのに、、、
唯一、左足が動いた
なので、声をかけながら左足をあげてみた
すると、看護師が二人、私を見て、
"足あげてるよ、絶対行かない!"
と、言った
絶望を感じた

夜間担当の看護師に優しい人がいた
私のところによく来てくれて、状態を確認してくれる
その人が出勤してくれるのを心待にしていた

大半の時間、私は天井を見つめて過ごした
天井がぶら下がってる点滴の棒に名前をつけて、心のなかで呼び掛ける

何か大事なことがあった気がするが、今思い出せない、、、
なんだっけ?
モヤモヤしてきたから思い出すのはやめよう