武藤金義少尉
先に『歴史バトン』 で、 好きな、若しくは特別な思い入れのある人物5人として、筆者が真っ先に思い浮かんだのが、武藤金義少尉です。
碇 義朗氏の名著「紫電改の六機」に、生き生きと活写されていて、これを読んで武藤少尉を知った人が多いのではないか、と思われます。
かく言う筆者も、この初版本を所有しており、当時はまだサラリーマンでしたが、何事でも”練達の士”というものは斯く在るべきだ、とその描写を貪るように読んだ記憶があります。
他にも、武藤少尉のエピソードは、坂井三郎中尉の著作や、赤松貞明中尉による伝聞などが、色々な本に書かれています。
しかし、何よりも「紫電改の六機」の武藤少尉の記述が、彼の短い人生の後半生を、一番身近な存在であった奥さんによる証言と、本人の手紙や日記によるものによって見事に描写され、それが故に、本人の人間的魅力が読者の心に響いてくるのです。
超人的な戦闘機搭乗員といえども、一人の人間としての感性を持ち、愛情豊な一家庭人であるという事実は、どんな勇ましい戦闘シーンよりも、読者の心を打ちます。
私は、武藤少尉が総撃墜数28機の撃墜王だから、紫電改によるエースパイロットだから好きなのではなく、この碇氏の著作の中に、生き生きと描かれている武藤金義少尉が大好きなのです。
この本を読んで筆者は、現在、このようなブログを作成することになるきっかけを貰ったと言っても過言ではありません。
いろいろなエピソードがありますが、以下に引用するのは、この本に書かれた筆者が一番好きな情景です。
名匠小津安二郎が撮ったら素晴らしい名画となるような、少ない会話の間に万感の想いが込められたシーンだ、と思うのは筆者だけでしょうか。
「七月上旬、また突然、九州大村へ転勤の由、九日朝、主人に送られて車中の人となりました。
名古屋駅に着いたのは夏の夜もとっぷり暮れて八時半ごろ、木炭バスも何もなく、長くつづく砂利道を日本刀におむつをぶら下げて肩にかつぐ飛行少尉、長女をおぶって後につく私。黙々と八キロ余りの道をひたすら主人の里へと歩きました。家にたどり着けば、その夜は尾張一宮方面が空襲で、北の空が真っ赤に染まって燃えているのが眺められ、みんな声もまばらに黙って床に転がったまま朝を迎えました」(武藤喜代子〈筆者注:武藤少尉の奥さん〉)
その2週間後の7月24日、武藤少尉は戦死します。
『戦闘概要 武藤金義
敵小型機来襲ノ報ニ接シ之ガ邀撃撃滅ノ任務ヲ以テ〇九五〇大村基地発進、一〇二五佐田岬上空高度六〇〇〇ニテ呉方面爆撃後高度一五〇〇~二〇〇〇ニテ豊後水道ヲ南進中ノ敵戦爆連合約二百機ヲ発見、激烈ナル空戦ヲ展開シソノ後行方不明』
- 碇 義朗
- 紫電改の六機―若き撃墜王と列機の生涯