こんにちは!まちゃこです
今日は『私が過去に受けた虐待の話』をしていきたいと思います
私は子どもの頃、体と心の虐待を受けて育ちました。
4歳の時に父親が他界し
母が私と妹を育ててくれました。
虐待は、小学生の頃が一番ひどく、
母親に口答えをすると
頭や体を叩かれたり蹴られたり
物が飛んできたり
(いつか、勉強机の横の棚に置いてある、学校サイズの重たいセロハンテープが飛んでくるかもしれないと思って、怖かったです)
辞書の背で両眼を殴られたり
(椅子ごと後ろにひっくり返った私。正気に戻った母は慌ててアイスノンを持ってきました)
鉛筆で腕を刺されたり
(今でも腕に跡が残っています)
長い髪の毛を、ハサミでバサバサと切られたり
(けして散髪ではありません。次の日の遠足の写真には、無造作に切られた短い髪型で、暗い表情の私が写っていました。)
髪の毛をつかまれて床を引きずられたり
寒い冬の日に部屋着でベランダに長時間出されたり
(ベランダの隅で用をたし、床がコンクリートで冷たかったため、段ボールを敷いて座っていたら、母は暖かい部屋の中から私の姿を見て、不倫相手と2人で馬鹿にして笑っていました。未だにその時の事を馬鹿にして、笑い話していることに疑問を感じています。)
お風呂上りの裸の私に、包丁を向けてきたり
(無防備な状態でそれはないと思う。刺されたりしてないけど、「刺してあげようか?」と脅されました。)
夜中、家から何度も外に出されたり
(靴を履いていた時はラッキーでしたが、裸足の時や靴をマンションの6階から投げられ、探しに行かないといけない日は、暗い中で自分の靴が落下した場所を予測しながら見つけ出すのが大変でした。暗い夜道を裸足で歩き、数キロ先の母方祖父母の家の玄関前まで助けを求めに行きましたが、母が怒られると思って、また数キロの道のりを引き返したことを覚えています。)
体の暴力は小学校の低中学年がひどく
私が窓側にいつも逃げて耐えていたので
ブラインドはボコボコに凹んでいました。
私が泣き叫ぶ声が頻繁に外まで響いていたり
アザやたんこぶをつくって学校に行っていたので
同級生の間では
私の母は綺麗で怖い母親だと思われていました。
体の暴力も悲しかったですが
言葉の暴力が一番辛かったです。
「やいとをすえるよ。」
「あんたは人間のクズ」
「あんたは最低の人間」
など、長時間毎日のように
もう思い出せない位、
悲しい暴言を吐かれていました。
私はいつか体が大きくなった時に
自分が母親をどついてる様子を想像をしては
養育されている身で反抗できない状況をやり過ごしました。
私は長女だったので
亡き父親に代わって
母と妹を守りたい気持ちがありました。
また、私の母は教育熱心の完璧主義で
良い学校を出て、良い会社に就職し、良い男性と結婚することが
子どもの幸せだと思っていたので
私は複数の習い事の他
学校の宿題以外にも
複数の通信学習教材やドリルをさせられ
塾にも通っていました。
(子どもの頃はさせられていた感満載でしたが、大人になるにつれてさせてもらっていたと、感謝の気持ちに代わっていきました。学習教材の添削は、家事も仕事もしながら母がしてくれましたし、中学受験勉強時も、朝5時に起きて私の勉強を横で見てくれていました。お金も沢山かけてくれていました。)
おかげで私の通知表はいつもオール5の優等生で、中学受験も無事合格しました。
(母はとても喜び、自慢げでした)
虐待をする一方で
私を幸せにするために
一生懸命に頑張る母の愛も感じながら育ちました。
「母を守りたい気持ちと
母の愛を感じていた」
だからこそ、
私は今まで、これ程具体的に
自分が受けていた虐待の事を
話す(放す)ことができなかったのだと思います。
中学に入り、
身長も伸び、体育系の部活動で筋トレもしていたためか
体の虐待はなくなりました。
母親が言っていることが間違っていると
確信レベルで理解できるようになり
言葉で論理的に言い返す力がついていきましたが
言い訳や屁理屈として扱われたり
「大人ぶるな」と言われていました。
母からの言葉の虐待は弱小化しながら続きましたが
私は学校生活が充実していたので
小学生の時ほど打撃を受けることが減っていったと思います。
同時に、
勉強をして成果を出し
自分に力をつけることで
家族を守れることを感じていました。
私は大学進学によって親元から離れ
遂に実家を脱出することができました!
大学生活では
生まれて初めての自由を知りました。
私は母とはほとんど連絡を取らなかったので
「なしのつぶて」
とよく言われました笑
母の事や家族は大事だし、愛していました。
でも
私だって嫌なことは嫌!
嫌がることをする人から離れることは
普通の選択だと思います。
大人になった今も
実家は私の居心地の良い場所ではありません。
実家と呼んでいいのかも正直よくわかりません。
自分の家が、自分の実家(一番安心できる場所)だと思っています。
因みに妹は一切虐待を受けていません。
扱いにも育て方にも差がありました。
最近、
母親に(虐待の事ではありませんが)過去にあった出来事で、
私がすごく傷ついた事に対しての謝罪と
感謝してもらうことに成功しました!!
(言わせた感満載だったので、たぶん反省はしてないと思います)
スカッとまであと少し!!
因みに、とある先生から、
私と母は過去性で恋人関係にあり
私は今世で復讐されていると
言われたことがあります。
セルフ前世療法で
DV夫との過去性を知ったこともありました。
人も世界も癒されるためには
過去や歴史レベルの大浄化が必要なのだな
と思うこの頃です。
あと、スターシードは地球上で生きづらさを抱えるため
理解のある親を選んで生まれてくるといいますが
私の場合はそれもありませんでした。
「なんでここまで大変な人生を選んだの?」
と自分に問いかけています
ただ、今日、生まれて初めて
母から受けてきた虐待の話を
具体的に話す(放す)ことができました。
生まれて初めて、
母よりも自分を優先できた、大切にできたことに
はなまるをプレゼントしたいと思います。
私は、自分に子どもが出き、
母親よりも守りたい人ができました。
そのことが
私を強くし、同時に私を守りました。
私の母は今でも
偽善者のお面を被り、言葉巧みに
私と私の子どもを利用してでも
自分が支配とコントロール権を握ろうとしています。
なので、この手段を取らざるを得なくなりました。
これからは
この私で生きていきます。