今日は朝からハンガリー語訳してみました。
↓元記事です。
http://hosszabbitas.hu/egyeni/teli-sportok/20-ev-koszonjuk-dai
「ありがとう、だい!」
すべてはここから始まった。2002年ジュニア世界選手権で日本男子として初めて優勝した。
その後、シニアの中でもその名は知られるようになり、そして2010年バンクーバーオリンピック日本男子初の銅メダルの表彰台に立った。さらに、2005年から誰も成し遂げることができなかった優勝を2013年グランプリファイナルで勝ち取った。
加えて言うなら、日本では女子も含めて9人の国民的スターがいることを見れば、地位は大いに優れているといえる。
事実、フィギアスケートの世界にとって彼がいなければ、真の個性は乏しくなってしまう。
あの信じられないような演技は多くの人の記憶に残り、お気に入りになった。
たくさんのプログラムを彼の名前とともに結び付けることができるように、運動芸術、音楽表現は独特で類を見ず、彼以外だれも成しえることのできいないことだろう。
8歳の時、お母さんが氷の上へ連れて行った。しかしその時、彼はアイスホッケーを見ていたがすぐに他のほう(フィギア)へ視線を変えた。彼は優れたキャリアを積んでいき、自分自身の起伏のある山を築いていった。彼自身の言葉によると、3人のオリンピック代表選手の一人になるなんて考えてもいなかったという。
新しい採点システムの改正に、彼はその素晴らしい資質によって適応し、結果を出し続けた。そして日本のフィギアスケートの国民的人気と発展、スポーツ大国としての地位を確立することに大きな役割を果たした。親愛的な彼の個性と演技は多くのものを勝ち取った。
コーチの変更やより小さなより大きな怪我に見舞われた道であったが、彼はスポーツマンとして生き、そして、エリートスポーツ選手につきものの怪我もありながら、その能力でスコアを伸ばし、勝利し、フィギアスケートのレベルを押し上げるのに貢献した数少ない一人である。
2008年に彼は重症な膝の故障に見舞われた。そのために可愛そうに手術が必要だった。その年のシーズンと翌年も万全な体調ではなかった。(あえて言っておくが、エリートスポーツマンはこのような故障は本当によく起こる自然なことだと言える)しかし彼は、それを見事に克服した。
事実、翌年の終わり2014年に3度目のオリンピックに出場し6位につけた。そして尽きたことを公言した。彼の言葉によると、これまでも何回も考えてきて、いつか終わりがやってくるだろうと。それは突然で、そして本当にそうなった。何をしたいのか、将来の計画は明らかにしなかった。早いうちに自分の時間をどう使うのかをみんなに明らかにしてくれるだろう。
確かにファンにとっては複雑な感情だろう。まるで母親のような(喜びと悲しみが一つになったような)お別れだ。しかしこの男性はこの先の人生設計と幸せをつかむだろう。とにかくこれまでの年月と忘れることのできないプログラムをありがとう!
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日本語が難しいです。。
しかも、フィギアのことや高橋さんのことよくわからないので・・・何かが違うかもしれない。
でも訳しながら、うるっときてしまいました。