ずいぶん昔から心や体のことを探究してきた。

人がどのように病気になったり、またどのように癒えるのか?

身近なところでは母がつねにどこか不具合をもっているので

(まあ、これには深層心理での様々な事情があるのだろうが)

興味を持ち始めたのだと思う。

また、友達にも、恵まれた生活をしながら、

なかなか自分の調子にのれぬまま、人生にもがいている人も多い。

私もそのひとりだった。

 

でもね、その理由はシンプルだったね。

心と体の両輪のバランスがくずれ、空回りしていたから。

体に症状(病)がでるのは、「心にムリさせてるよ」のサインで、

自分にブレーキかけていたのだ。

どうも人間って、心のほうが過大になりやすい。

まあ目にも見えないエネルギーだから、動かそうと思えば

ムリもできちゃう。

いくらでも膨らませられる、イメージも爆走できちゃう。

でも本当は、負担がかかって、苦しくなって、サイレンなってる状態

なのに、がんばりつづけようとすると、

自分のもう傍らの「体」が、症状をもって、ストップかけてくれる。

うまいこと両者が自分自身のために、バランスをとろうとしてくれるのだ。

 

よく元気ない人に、体調が悪いときに、

気持ちが先だから、なにか楽しくやっていたらいいんだよ、と

アドバイスしたりしてきた。(自身に向けてもだが)

でも、それはかなり無神経で乱暴だったと気づいた。

楽しく動きたくても動けないからツライのに、ね。

本当は、「これ以上、もう心にムリや負担をかけないで

等身大で自分らしく過ごしていたらいいよ」って

今なら言うかな。

 

わくわく、とか楽しむ、とか、その言葉のイメージに

ひっぱられがち。

でも、そのとき、心が求めているのは、

もう○○をやめたい、ムリだ、とかっていう休息なのだ。

赦しともいえるかな。

もちろん、それは、いつの間にかねじまがってしまった状態から

本来の健やかな自分にもどるための…

体が思うように動けないのに、心を無理に動かそう(ワクワク)とする

から、益々どつぼにはまっちゃうんだよね。

等身大の自分と仲良く手をとって、

その安らぎと喜びを味わいながら日々すごす、

が大事なのだと思う。

そんな安寧から、心も体も健やかにひらき始めるのだと思う。

 

そもそも、なんでそんなに自分を鼓舞したり震い立たせる必要があったのか?

それは、「親や社会の理想」をめざして、認められるようになりたかったから。

そうして周りに愛されないと、この世では生きていけない

と思い込んできたから。

外の人の理想をイメージして、それに応えることで

愛される、自分は大丈夫、と思ってしまっていたのだ。

でも、そのやり方で達成して得られる承認、愛を求め続けるには

一生エンドレスの取り組みが必要…

そんなのムリっしょーー

あきらかに方向がちがう。

もうずっと怖くて目が離せなかった、手が離せなかった外の人を

手放しても大丈夫。

自分が自分のままで生きていく、

マイペースに、自由に…

ずっと外をみて、緊張し、力をいれ、がんばっていた力みをぬいて

そっと息をぬこう。

やっぱり今必要なのは、体にもこころにも、休息だ。

本来の自分にもどるためのね…