「十五夜」と「15の夜」は、同じものではない
前書き(これは2009年の話です。)十五夜とは、秋の収穫を祝う収穫感謝祭。そんなものだそうです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー友人M島くんが、月でも見ながら酒でもなどと誘われ寒空の下に。約束の場所に行って見ると、そこには酒ではなく、なぜかバイクとばっちりキメたM島くん...。「よし、行くべ」とヘルメットを渡された。俺、薄着なんですけどと、心の声。まさか、十五夜に走りに行くなんて、思いもせず。ただただ薄曇りの空の下、月が見える場所を探すぞとあてなく走り。だけどなんだか、心地よかった。頬を通り抜ける夜風の温度、そして匂い。ルーティングの日常に、流れ込んだ非日常。その一瞬、一瞬が僕の心を開放していく。まさにこれは「15の夜」ではないか。『盗んだバイクで走り出す 行き先もわからぬまま 暗い夜の帳の中へ誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に自由になれた気がした 15の夜』バイクは盗んじゃないですが、行き先もわからず ただただ走り、誰かに縛られたりしては無かったけど、夜に吸い込まれ、僕は、あの日、自由になれた気がしていた。「落書きの教科書と外ばかり見ている俺的なものでは無いですよ」「盗んだバイクで走り出さないし、自由は...。求めてしまうかもですが、十五夜はそういうものでは無いです。」そんな会話をしたのが、今はとても馬鹿馬鹿しくて懐かしい。十五夜という言葉を聞くと、今も僕は『15の夜』を思い出す。そして今日も僕は、十五夜の夜に、『15の夜』を聞きながら、暗い夜の帳の中へと走り出して行くのであった。END