まだ私にが大学生だった頃、

2つ年上の女性の先輩が同じところに住んでいました。

先輩は歯学部で

卒業まで6年で、

文系の私と卒業が同時でした。


彼女は、親から一切の仕送りを受けていませんでした。

全て家庭教師のバイトで生活し、

お安いところに住み、

授業料は免除を受けていました。


小学校の頃から

「歯医者になりたいです」

と公言してたといいます。


先輩は、

少し離れた医学部歯学部キャンパスまでの通学と

バイトのため、

原付を買っていたのですが、

当時赤いプレリュードを

同じ歯学部の友達から

超安価で譲り受けていました。

本当は無料のところ気持ちだけ対価を払ったのでしょう。

がんばってる人にはご褒美も向こうからやってきていました。


歯学部は課題も多く

国家試験もあり

文系とは比べものにならないくらい

多忙だったし

教授とのお付き合いもすごく氣を使って

大変そうでした。

その上バイトで

日々、明るい先輩も疲れ果てていました。


先輩が6年生の頃でしょうか。

ものすごく忙しいらしく

お昼ご飯も買う暇食べる暇がないから

食べてないといい、

夜も、バイトから帰ると

実習の続きや勉強で

夕食もそこそこに

時には眠いのを辛抱しながら

取り組んでいたように思います。

よく頭をぐらぐらさせて、

目をつぶり

ほぼねてる?という状態で

何やら作業していましたから。


ほおがこけていくのを見ていられず

お昼にとお弁当を作ったことがありました。

それを美味しいといって

全部食べてきてくれるので

嬉しくて

毎日作っていた時期がありました。

先輩が、

夕食付きの家庭教師のバイトに行かない時は

夕食を作って一緒に食べました。

これは一緒に作ったこともありましたし、

先輩が作ってくれたこともありました。


歯の型を取るのに協力して、

私の歯型を作ったこともありました。

歯並びがきれいと褒めてもらったっけ。

独特の歯ブラシで

独特の方法で

歯のブラッシングをしてくれて

これまでない爽快感を味わったこともありました。

親知らずを抜かせてと言われて

協力したこともありました。


患者として

親知らずを抜いてもらいに行ったときのこと



先輩  「あ〜っ!途中で折れた!

     ○○先生どうしよう。」チュー

○○先生
     「アンラッキーだったねえ

     君は。」

                  ...
     (大丈夫なん。ちょ、ちょっと。笑い泣き 

     知り合いの緊張感のなさがこわい〜)


先輩の1年先輩に当たる○○先生のおかげで

難なくその場をクリアしました。🎊


でも、、、こわかった〜!

先輩が歯科医になるかならないかの頃です。

鮮明に覚えてますもん。笑い泣き


そんな先輩も、
順調に国家試験に合格し
大学の附属病院歯科や、
同じ系列の県外の病院の歯科を経て、
開業されました。


あの頃の貧乏女子学生の姿はどこにもなく

あのあやうさもどこにもなく

立派な歯科医院の歯科医、経営者、院長、となって活躍されてます。


卒業してから遠方に離れてもいたので

もうずっとお会いしてないのですが

そんな先輩を

今も尊敬しているのです。


その先輩を

私に子供が生まれてから

一度だけ家に招待しました。

そして、どんな先輩だったかを

紹介するときに

まだ小学生だった子供に話したことがありました。


経済的に自力で大学を出て歯医者さんになった人

と。



そのせいでしょうか。


「親の収入をあてにしないで

    私ががんばってバイトして

 大学いかないとね。ウインク


昨晩

高校生になる娘が急にいいました。

びっくり。びっくり

これまでそんなことをいわなかったのに。

私が仕事を辞めるから

氣を使ってくれてるのかな。

辞める話をした時も

何も言わず、賛成してくれたね。

とっても嬉しかったよ。

ありがとう。


彼女がそんなこというのは

先輩の影響しか考えられません。

ずっとお会いしてない

先輩に

大切なことをたくさん教わり

子供まで

自立した考えをもつようになり

やっぱり今も尊敬します。


ステキな先輩へ

ありがとうございます。


随分前から

たくさんの素晴らしい人とのご縁があったんだなあと

改めて感謝がわきあがります。✨


長文を最後までお読みくださって


ありがとうございます。