息子の欲っする愛に
答えてあげれていない。
彼はきっと、
ママ見てー!
と言えばすぐ答えてくれる“お母さん”という“愛”を
欲している。
わたしも そりゃぁ わかってる、
答えてあげれていない。
彼はきっと、
ママ見てー!
と言えばすぐ答えてくれる“お母さん”という“愛”を
欲している。
わたしも そりゃぁ わかってる、
わかってるんよ、じゅうぶんに。
彼の求めていることは。
でも、そこで は~い
彼の求めていることは。
でも、そこで は~い
と言えない私。
いや、だって、
こっちにだってやりたいことあるし!
いま、見れんし!
呼ばれても どうせしょーもないことだし!
(ごめん)
でもな、
あなたのこと一番愛してるし、
絶対嫌いになることないし、
絶対捨てることないし、
絶対的に大切な存在だし、
そこんとこわかってよ!!
ちょっと相手にされんくらいで、親子の愛を疑わんで!
っていうのが、わたしの主訴
いわゆる「考える幸せ」、思考上の愛。
一方、彼(息子)が求めているのは
「感じる幸せ」、肌で感じる愛。
そりゃぁな、そうだろうけど。
わかっちゃいるよ、母さんだって!
見てーって言って見てもらえんかったら、淋しい思いするよな。
わかっちゃいるよ、母さんだって!
話聞いてもらいたいよな、母さんに。
まるで、恋人同士のあるあるな状況だわ。
どう歩み寄ったらいいですか