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ピアンカピリピアンカの魔法の学校

魔女修行さちこの能天気ブログ。

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数秘術は、1から9までの数字のエネルギーを通じて自身を理解するもの。
生年月日とおなまえからこーんなチャートをおつくりし、そこからリーディングしてゆきます。
なにがわかるのかというと・・・
誕生数 生まれ持った性質
運命数 どのように社会や人々とかかわってゆくのか(お仕事など)、後天的なもの。
このふたつがメインとなり、生まれ持った性質と後天的なものを掛け合わせた人生の目的地や、人生を4つの時期に分けてその期間に恵みとなることやレッスンとして与えられること、一年ごとの傾向などがわかります。

タロットでは「今」にフォーカスし、その今をつくっている過去と今がつくりうる未来が目の前に展開され、細かな心のひだや自身をとりまく環境などをカードによって視覚で理解し、じぶんのハートとコミュニケーションとれる感じ。
数秘術は自分の人生を愛するために、人生を見渡した後、自分への誤解を解き、自分と仲良しになってふたたび今立っている場所を再確認する。
みたいなかんじです!

わたしのチャートを例に、メインのふたつの数字をみてみます。
まずは誕生数 33/6
ぞろ目の数字はマスターナンバーと言って、数字の意味が天地ダブルに作用。
(マスターナンバーは、あるひともないひともいます。)
現実的な行いにも3が作用しますが、あたまの上にも3がのっかっていて目に見えない分野でもなんかしでかしていて、家族や友人など直接の関わりのある人間関係からさらにもっと遠くにもそれが影響することもありますよー。知らないうちにねっていう感じ。
ちょっと変な言い方かもしれないけど・・・「神様のしごとがあるの、じぶんでうっすら気づいてるよね?」というような。
わかりづらくてごめんね。
11のひと(これは今までリーディングした中でとっても多い!)なんかは、ぼけっとしているだけなのにうっすら何かを感じ取ってしまったり(相手の気持ちとかね)、他者との境界線が不明瞭になったり(相手の望みと自分の望みが混同!)、インスピレーションを受けて行うおしごとをしたり(アーティスト!作品をつくる以外にも場の空気を感じ取って表現!)などなどの性質があります。
「わたしはここにいるけれど、あなたの中にも、目に見えない分野にもいっちゃったりして。いったりきたりできちゃうわ。どっちにもいるわ。感じ取れるアンテナを通じてね!」という敏感な感受性を持っているのです。イタコできます。(しないか。)
3は、こどもの遊びのエネルギー。創造のエネルギー。わいわいきゃっきゃ!
「わー、あのひとなんかいつもたのしそうネ~」という声がきこえてきます。
あたまにのっけた3はさらに、周囲の人に「あんな感じで生きていってもいいの?!」という戦慄を覚えさせます。
笑顔で、「こんな感じでも、神様はよろこんでおります!」ということを伝える人です。
このように書くと、まるで、アレなのですが…。
何リットルも涙を流すようなおもしろくないことがいっぱいいっぱいいーっぱいあった上で、(33は同時に6でもあり、家族関係の苦難突破マスター養成特別レッスンがながいこと続くことがありまーす!)よっこらしょと登り超えた先で「生まれてきてうれしい!たのしいことはたのしい!(3です!)」と大きな声でみんなに伝えることになります。
それがマスターナンバー33です。
その他のマスターナンバーも、苦難突破マスター養成特別レッスンを何かしらんうちに受講したりして。
よっこらしょの先に、またはそのよっこらしょの過程で、みんなに伝えることがあるのです。

そして、33でも同時にひとけた6の影響もうけるため、6のあらわす奉仕の精神を発揮してよきアドバイザーとして周囲に貢献したり、完璧な過程の調和をのぞむあまり家族を過度に心配したりと大忙しです。
競争がだいきらいで、怖いです。不調和がはじまるからです。
周りのみんなににっこりしてほしいの。それがしあわせ。
家族に笑ってほしいの。それがしあわせ。
色のイメージはインディゴ。家族で過ごす安心感に守られながら、みんながおうちに帰ってゆく夕暮れの色ですね。
老若男女、どうぶつも。身近な愛するみんなと、愛し愛され手をつないで笑顔でいたい。
これが、生まれ持った性質。

運命数 14/5
またふたけたです。カルマナンバーといって、この場合「5を生きるために4に挑む!」というちょっとややこしいことをしてしまったり。なんだかちょっと、自ら課しちゃうのね。
(カルマナンバーも、あるひととないひとがいるよ。)

まず5です。
5という数字は自由であることを望みます。空気のエレメントで、好奇心のままに動き、形を変えてゆきます。
変化してゆくものをキャッチするのもとくいなので、変わり行くものを扱う仕事も向いています。
情報、流行、人やものやシステムの変化のサポート。
本人も長期間決められた枠にとどまっていることが苦手ですので、職場が変化の時期を迎えたり、自身が異動や転職、引越しなどを経験しながら、変化に対する柔軟性がどんどん養われて、変容期間を過ぎてしまうと「ここでは何もかもやりつくした」と、うずうずしはじめてまた次のステージへ。なんてことも。
5の人は、山頂に咲く花だけが欲しくて延々と同じペースで体力配分しながら山を登りません。
山頂までの道のりに、どんなみたことのない花が咲いているかが、どんな格好をしたどんな人とすれ違い、どんな価値観にであうのかが「見たい!知りたい!」なのです。
ちょっと落ち着きないので、気がつけば「山頂のお花コンテスト(そんなものあるかしら?)」に提出できる標本もってかえるのわすれたヨ!となることもあります。
ときどき後で他のひとの持つ標本をみて悲しくなったりもします。(えーん!)
履歴書に書けない部分にこそ、5の人の宝物があります!!
さてカルマナンバーの14という数字、ほんとは自由でいたいのに、自ら自由を封印しようとしたりしちゃいます。
「自由にのびのびわたしらしくしているなんて、世間がきっと許さないわ!」などと思い込んでしまったり。
オフィスで月~金のデスクワーク、むきになって与えられた業務をキッチリこなしてみたり。
でもちょっと、はみでちゃたり、いけないいけないと、また「ぎゅう」と自分を枠に押し込みなおしたり。
すきに自由でいていいのに、軽いフットワークを今こそ使えばいいのに、体制やしくみ、制限に飛び込んでみちゃう。
それでいて飛び出ちゃう。
疑問を感じちゃう。
でもね、体制やしくみ、制限は、自由のエッセンスを魔法みたいにふりかけてあげるときが必要。
よりみんなのためによくなるために、少しやわらかくしてあげるときが必要。
そのエッセンスが、14の人です。自分とはかけ離れた人たちがいる世界へとびこみ、エッセンスをふりかけます。
本人なかなか大変ですけど。
チャレンジ精神でいろんなとこへ飛び込んで、まどをあけて新しい空気をプレゼントしたわけです。
自分では気づいていないけど、5(と14)のひとはあっちこっちで新しい空気をプレゼントして、喜ばれています。
これが、後天的な人生の運び方の傾向。

これらのことが分かるだけで、じぶんはちゃんと自分らしく生きてきたんだって、愛おしくおもえるでしょ?
陥りがちなパターン、弱点も、裏をかえせば愛おしい自分自身の性質からくるもの。
上記は例なので、実際のおしごとや人間関係のことまではここでは書いていませんが、プラスにもマイナスにも働く数字の純粋なエネルギーは、日常のいろんななやみごとをひもとくキーになるので、チャートをもとにお話してると、現実的に腑に落ちることがいっぱいです。

チャートにならんだ数字はたったひとりのじぶんをあらわすもの。
よくみると、名前の1文字1文字も数字になってるし、まったく無い数字(5と7)もあります。
(誕生数・運命数と離れた性質を持つ数字がいっぱいならんでお名前となっている方もいます。)
4つの時期では、メインの誕生数・運命数とは性質の異なる数字の影響を受けていたりします。
幼少期~大人になるころまでは誕生数6の調和とはかけはなれた「力」をあらわす8だったんだな、とか。
(人格形成の時期に受けた影響により、わたしはこういう人!という誕生数とことなる認識を持ち続けて、その影響をすぎてから「なんだか最近はあれれ?」となっている方もいます。)
課題の数字をみると、自由を願いながらも、関係性の中で辛抱を強いられることがあったのかな?とか。
周囲の人からみた「人柄」は博愛主義のやさしい人物?(まさか~)とか。
この1年は家族の心配ごとでじぶんのことはちょっと後回しかな?などなど!
チャート、たのしいでしょ!(ちなみにこのチャートのイラストおよびデザインはわたしよ!)
もちろんリーディング後はプレゼントだぜ!

さいごに。
数秘術、おたんじょうびを足し算するだけなので、ネットでも雑誌でもいろんなところで簡単に誕生数がわかります。
でも、解説を読んでその枠にとじこめないで。
決め付けないで。
数秘術でよみとれることは、オーロラみたいにグラデーションの色あいで、ドレープもあるのよ。
それが、たったひとりの大切なあなたなのよ。
オーロラの一部をみて「わたしはキイロ!」と決め付けないでね。
いろんな角度からみるたびに、きれいなグラデーションをみせて輝いてるんだから。

病をよせつけない心と身体をつくる―直観医療からのメッセージ/草思社

¥1,512
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いま読んでいる本。
幼い頃からちょっと不思議な力を持っていた著者が、力を封じたティーンエイジャーを経て大人になり、ERで看護師として勤めてゆく中でふたたびその力を受け入れる決心・覚悟をし、医療の現場で異端?ながら様々な経験を積んでゆきます。
やがて著者は「直感医療」という分野で多くの患者を診療するようになります。
著者のセッションは、患者の7つのチャクラを走査し、症状がどこからおきているものなのかを診察、患者に伝え、患者自身が魂とふたたびコミュニケーションをとるための手助けをするというものです。

この本を読んでいるとき、わたしの中のある記憶が鮮明に蘇ってきました。
著者がER時代にある若者の死に直面したとき、「彼と一緒に死を経験しなさい」という導きを受け取ります。
看護師として多くの患者の死の場面に遭遇してきた彼女ですが、このときの彼女は自身の個人的な死の恐怖を強く感じ、拒否感との葛藤がありました。
ただ、このことがおきるまえに導きに心を開く決心と必要な導きを与えてくださいという天へのオーダーをしていたのですよね。
結局、彼女はその若者が肉体を去るとき「ちょっとあの世の入り口まで」同行することになるのですが、そのときの描写を読んでいて鮮明に思い出したのは、わたしの母が亡くなったときに火葬場の煙突を見上げながら感じたことでした。
それは、「物理的な世界での行き詰まりからの解放」と「癒し」
あのときわたしと母のふたり家族だったので、ひとりぼっちで残された形になったわけですが、ただただ、静かで、落ち着いた気持ちでいました。
ひろびろとしたところに立って、大きななにかを全身でみているようでした。

わたしの母は6年間くらい、治療のための入退院を繰り返していたため、突然の事ではなかったのもあるでしょうし、亡くなる2日まえには身体の辛さから「死にたい!殺して!」と叫んだり、言葉にならない叫び声や苦痛からくる唸り声しか発しておらず、苦痛の塊になった姿をみていたというのもあると思います。
亡くなる直前、死にたいを繰り返す母に、言葉を失い、困り果て「そんなに求めてばかりでは得られないんじゃないかなあ」とぽろっと言ったとき、「じゃあどうすればいいの?」と問われ、「はて?」と首をひねった覚えがあります。
欲しいと思うことは、まず自分から与えないと。
必要なことは自身の内側から見出さないと。
などという、あの状況(物理的に時間がない)で、当人にとって漠然とした言葉はちがうね。では、どうしたらよいのかしら???
わたしはその時、「はて?」となっちゃいました。
くたくたになりすぎていたわたしにも、できることがあるというひらめきもとっくに枯渇していました。
肉体としての不快の塊、今迄の人生の怒りの感情の爆発(肝臓の病気でした)、それそのものの存在になっていた母は、すごい力を発していて、対するわたしはとってもちっぽけでした。

それより少し前、正気だった(?)とき、意識不明の母と一緒に救急車乗って、病気で意識を取り戻したときにふたりでお話しました。
「産んでくれてありがとう。わたしはちゃんとこれからしあわせになるね。」って。母もそれを受け取ってくれたのがわかりました。
そのときのわたしたちのいたところとは、母は別の場所にいってしまったんだなと感じていました。
だからもう、どんな言葉をかければよいのかわからなかったのです。

さいごに病室をあとにするとき、どうやって言葉をかけたのか覚えていませんが、わたしが病院から帰宅してほとんど死体みたいになりながら眠りこけているとき、母は息を引き取り、病院に舞い戻ってからはあれやこれやと忙しく、次に母と会えたなって思えたシーンは件の火葬場の煙突の前だったわけです。
煙突から立ち上るものを見て、こんだけ大きな開放と癒しが待ってたんだ。っておどろいたんです。
「母ちゃんすごいなー、じぶんでそっちに行けたんだなあ。」
って、母を尊敬しました。
「生きてたときのあのお母さんは、もうわたしの中に溶けたんだなあ。」
って、納得しました。

身体を去り、目でみることのできない扉の向こう側へゆくこと。
人生を送っているときには想像できない程、大きな癒しに迎えら入れられること。
たまたま図書館で手に取った本で、よみがえってきた記憶でした。
タロットカードを手にしたのも、母の病気がきっかけだったような。
亡くなる数年前、わたしだけに明かされた担当医からの余命宣告。
わが身を養うための仕事、いつでも心細いお財布、繰り返し歩いたばかでかい病院までの道のり、病室。
台風のようにわたしを巻き込み混乱させる感情。その繰り返し。
あのときのわたしは、幽霊みたいに生きてました。足元おぼつかないのよね。
そんな日々で、「こういったことをこえた、何かがあるはずで、わたしはそれをみたいのだ」と強く思った。
「自分に起きていることを知りたい」と考えました。

この本は、病気を含み「自分の人生をつくっているのは自分自身である」という考えに触れることができ、
自分の内側へ注意を向け続けることで、身体を健やかに保つことにもつながるんだなってことが分かります。
ほんとの意味で病気を治癒できるのは、本人だけってことも。
そのサポートをしてくれるプロフェッショナルはいろいろいて、お医者さん以外にも頼れる存在がいてくれるのはありがたいよね~。
頑なな心をやわらかくして、必要な知恵を受け取れるようでありたい!と思いました。
星新宿御苑〈ねむの木〉さんにて
http://www.nemunemu.jp
10日、17日、24日 いずれも19:00以降。

星立川駅ちかくのお店でも承ります。
こちらはお日にちお時間を、お客さまとご相談のうえ決めさせていただいております。詳しい場所はその際にご案内いたします。

お問い合わせ・ご予約
pinetreebookhappychild@gmail.com
まつもとさちこ まで

11/1の庭園セラピーにお越しくださったみなさま。ありがとうございました~♥️
お客さまにも恵まれ、魅力的なセッションを行う仲間たちからもたくさん学びつつ、実り多いいちにちになりましたっ!
この日、いま行っていることにプラスアルファできたらいいな~と以前から気になっていた分野のことが、くっきり耳にとびこんでくること3回。
サインと受け取って、さあ!いろいろ関連本を読みあさってみるぞ!と、改めて決意できたのも収穫です。
たのしみ!

美しい庭園に囲まれた日本家屋にいると、じぶんのからだがリラックスして心が開いているのがよく分かります。
いすとテーブル、の組み合わせに比べ、畳と座卓で何かすることは、おへそから下の裾野がどっしりと広がっているような感覚がありました。
床は物を置いたり移動したりするものという感覚ですが、畳には直接身を置く受容性があるわね~!なんてごきげんなきもちに。
畳から座布団を持って立ちあがり、襖を開けて座布団をしまいにゆく。
ただそれだけの行為にも、なんだかとってもワクワク。
きぶんは住み込み中居さん。
舞台はずばり、全盛期の熱海。
頭の中のじぶんは、お着物姿の市原悦子であると完全に思い込み、チマチマ小走りしながら(妄想の観光客に)「いらっしゃいませ~( ´ ▽ ` )」などと口走っていました。
ようするに、畳とふすまにかなりはしゃいじゃいでたよ!

庭園セラピー、かなりいいぞ!
来年もたのしみですもみじ