富士山登山は、ただの体験だけではなく自然と人について深く考えるきっかけとなったので記録のために書きます!!
登山中
山を登りながら感じたのは、山にとっては「私たちも自然の一部に過ぎない」ということです。
そんな自然の中の厳しさを身を持って感じるきっかけが高山病。
標高が上がるごとに空気が薄くなり、呼吸を意識しないと立つのも本当に大変でした。
私は高山病発症リスクが高ったので、携帯酸素を片手に呼吸を意識しながら登山していましたが、気を抜くと直ぐにめまい、浮遊感が出てくる状態でした。
そんな症状から足元が険しい岩場で足を滑らすことも度々あり、死が隣り合わせであることを感じました。(大袈裟ですが、感じずにはいられないんです。)
それだけでなく、登山中に噴火したら山は生死を選らばさせてくれないですし、サイコパス的に言えば、その死も山にとっては循環の材料になりますから、、。
自然の厳しさに何度も下山という言葉が脳裏を横切りました。
そんな厳しい環境だからこそ、人の優しさがより強く胸に残っています。
山小屋、山頂で温かく迎えてくれる人、すれ違う登山者の「頑張れ」という一言などがいつもよりグッと刺さるんです。
また、日本人だけでなく外国の方などの見知らぬ人とのちょっとした交流が大きな力になってくれました。
山って不思議ですが、人見知りの私でもフレンドリーになれるんです😂登山中に多分100人以上とお話ししました(笑)


富士登頂の瞬間
午前3時30分、頂上に到着しました。富士山の頂上は暗く、街明かりが輝く夜景が広がっていました。
気温は真夏なのに1℃。本当に寒く、そんな環境下で口にした豚汁は、これまでで食べた中で一番美味しかったです!
そして、遂に待ちに待ったご来光。目の前に広がる景色が朝日に染まる空を見た瞬間、「ここまで来て良かった」と心の底から思ったのと同時に辛かった記憶が一瞬で塗替えられました。極めつけはその状況下で遠くから聞こえてくるサラ・オレインさんの「You raise me up」これは涙なしでは無理でした((笑))
一緒に登頂した友人と一緒に大号泣です😂


登頂を終えて下山
したとき、普段の暮らしがどれほど恵まれているのかを改めて思いました。
平地の酸素濃度は人に適していますし、安定した気候、手に届く水や食料などなど、、、。
登山中はトイレに行くのも料金がかかり水も制限がありました。こういった様々な面で制限されていたのもあり平地での当たり前な環境がどれだけ有難いものなのか。
特に水に関しては蛇口を捻るだけで水が出てくるのって本当に魅力的です!!
山などの自然が人の知恵や技術を成長させたのだなと勝手に感じていました。

富士登頂の先で私が見えたもの
物理的に言えば、頑張って登った先に見た景色は言葉では表しきれないほどの感動がありました。
これは登り切った人のみが見れる景色なのだと。
そして、自分の為だけではなく皆が一つの登頂という目標があるからこそ、「お互いを鼓舞し合い、応援の言葉を送り合う」そんな素敵な環境が整っているのかなと思いました。どんな過酷な状況であっても同じ目標を持つ人がいると更に強くなれると、人間の弱みと強みを知った瞬間でした。
これまでは富士山をみても「綺麗だな」としか思わなかったのが、今となってはそれに加えて日ごろの感謝や新しく得た価値観の反芻など様々な思考をするようになりました。本当に貴重な経験が出来て幸せです😊