ただありなさい

愛しなさい

囚われないように

ハートを開いていなさい

・・・・・・・・・

 

これを規範のように受けとると苦しいことになる

賢者さんは本来の状態 もともとの私たちの姿を描写しているだけ

個別の私がいる 私は行為者だ という幻想から覚めたら

区別し比較し解釈することがなくなると こうなるんだよという

ありのままの現実を語っているだけ

 

こうであるべきだ

こうするべきだ

それはもうひとつの囚われ

 

もともとの姿

自然な状態の描写

目覚めたらこうなるんだよと教えてくれているだけ

 

ああ 悟りたいな 目覚めたいな

これもまた囚われ

 

悟るのは意識

一体化から目覚めるのは意識

 

存在するすべては意識

ただひとつの意識

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病もなく

老いもなく

死もなく

苦もなく

現象界の二元性のない唯一の場所

 

ここ

この胸から上に広がっている何もなさ

何もないがゆえに

不動

不老

不死

不変

 

ここ

この何もなさ

 

私の本質

私の源

本当の私 

 

自らに気づいている意識

 

存在するすべては意識

ただひとつの意識

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

観念なくただ見れば

非個人的な流れがあるだけ

現れては消える現象があるだけ

 

そこに 

苦しみ 喜び 善 悪 正 誤 生 死 過去 未来

幸 不幸 ・・・・・・

と名のつく実体はない 区別はない

 

ただ非個人的現象が現れては消えていく

まるでスクリーンに映し出された映像のように

 

存在するすべては意識

この世界は意識が見る映像の世界

何かを成しえる個人的私は実在しない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向うには 穏やかにこちらを見ているあの人の顔がある

 

こちらには 顔はない

こちらは 胸から上に広がっている何もなさだけである

 

顔と顔が対立して存在してはいない

それは幻想イメージの姿

 

本当に 純粋に 今存在しているものを あるがままに見れば

ひとつの顔が 胸から上の何もなさの中に見える

この顔は 今わたしの持ちうる唯一の顔だ

わたしはあなたです

なおかつ

今 あなたは 自らの何もなさの中に 私の顔を見ている

私の顔はあなたのものだ

あなたはわたしです

 

どんなに仲が悪くても

どんなに利害が対立していても

初めから ずっと この何もなさはすべての人、モノを内に受け入れている

 

本当に 純粋に ありのままを見ることができれば

争いも 対立も 起こりようがない

ここには何もないのだから

すでにすべて受け入れているのだから

 

恐れ 嫌悪 対立があるということは 幻想を見ているのだ

信じている思考に合わせて 現実を見ているのだ

ここに想像上の顔を置き 負けるもんかと挑みかかるのだ

 

ただ 純粋に そのまま見る

あるがままを あるがままに見る

 

何もなさの中に 人を見る 世界を見る

同じ一つの意識から生まれた 異なる見かけをしたわたしが見える

対立は 思考が創った幻想イメージだとわかる

 

 

 

 

 

 

 

 

今見ているのは?
今聞いているのは?
今考えているのは?
今感じているのは?
 
すべてひとつの意識
 
 
考えの集積物である私の「本質」とは?
 
そのひとつの意識。
 
苦しんでいるのは?
怖がっているのは?
恥じているのは?
悩んでいるのは?
喜んでいるのは?
楽しんでいるのは?
 
考えである個の私(私が今自分と思っている私)と一体化して
本気でその「私」として体験している、ひとつの意識
 
ただひとつの意識だけ
 
存在するすべては意識
 
 
 
 
 
 
 
 

 

「風の掌さんのエゴさん、かわいいですね」

 

いや あの・・・・

そういう話ではないのですが・・・ 😢

 

 

 

 

 

 

私は何もしていない

私には何も責任がない

私はこの何もないもので ただ一つの意識で

ただここで見ていたらいいだけなんだ!

 

うれしくなったエゴさんは上機嫌

 

ふと 「掃除をしよう」が浮かびました

本棚を整理すると とても好きな本が出てきました

 

もう一冊予備に買っておこうと思い 検索すると

なんと廃刊!

「なぜなんだ!こんないい本をなぜ廃刊にするんだ!」

怒りと共にページをめくると 目についたのはこの文

 

「悟ったエゴ」 自分が目覚めていると思っているエゴ

特徴→ 人に話したい 私は目覚めていると知ってほしい

私すごいでしょうという喜びを感じる(優越感)

 

ぐさっ!(byエゴ)

(実は昨日 友人に とうとうと持論を述べて 良い気分になっていたのでした)

 

そう エゴさんは忘れていました

 

存在するすべては意識

それに目覚めるということは 

「自分はただ一つの意識なのだ すべての源なのだ」ということに目覚めるということで

分離した行為主体だと思っていたエゴは 幻想に過ぎなかったと気づくということなのです

つまりエゴは考えに過ぎない 私が思ったいた私などいないと気づくことでした  (目覚め気づくのは意識です)

 

 

エゴは悟ることはできませんし

エゴさんが

「ここにいたら楽じゃね?」と考えるということは 目覚めてはいないということです

今は 単なる知識を知って 一時いい気分になってるだけであり

そのうち ここにいる魔法は解けて 現実の問題に直面して

いままでどおり うんうん唸るのであります

 

うまい話はないもんだ・・・・。(byエゴ)💦💦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ」にいたら

死が免れられる

すべてである

現象界は 「ここ」の中にある

現象界のすべては この何もなさを源としている

 

「ここ」にずっといたら 楽じゃね?

安全じゃね?

何もすべきことはないし

何が起きても意識の起こした 全現象の一部

何をしても責任はないし 死ぬこともない

 

エゴさんは喜んだ

ラッキー!

これで私は幸せだ 安全だ 自由だ!!

 

単なる考えであるエゴさんは 大喜び

 

ところがどっこい・・・・       続く

 

生まれたものは 必ず死ぬ

創られたものは 必ず消滅する

 

100%

間違いなく

 

しかし

「ここ」だけは この運命から免れる 

 

どこ?

 

「ここ」

いつもの場所

スマホを持った手が消えていくところ

胸から上の何もなさ

以前はそこに 頭をイメージしてくっ付けていたところ

そう

スマホを見ているこの何もなさ 透明さ

 

「ここ」は 

自分自身に気づいている何もなさ

意識 無 透明さ 神 創造主・・・・・

いろいろな名前で呼ばれているすべての源

 

「ここ」には

色がない 形もない 境界線もない

何もない

何もないがゆえに

無限 広大無辺 永遠 

生まれるものがないので 死ぬことがない

創られたものもないので 消滅することもない

何もないので 変わることもない 動くこともない

 

「ここ」であることによってのみ 死を免れることができる 

 

じたばたせず 「ここ」で 意識であることだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧友と話す

 

事業のこと

家のこと

趣味のこと

夢のこと

 

ふと思う

あと何日 何年 あるいは何十年かすると

お互いに確実に死ぬ

 

どんなに功成した社長さんも

美しい女優さんも

筋肉隆々のアスリートさんも

一人残らず

100%

間違いなく死ぬ

生まれたものは必ず死ぬ

 

しかし将来の夢を語る時

死ぬことは忘れられているかのように

夢から除外されている

 

指摘すると

不快感をあらわにされるか

怒りを買うか

無視される

 

これも意識の条件付けの一つ

 

まるで死ぬことなどないかのように

生の存続を前提に考えられ語られる

 

それは意識の催眠術

この現象界が展開していくために必要な装置の一つ

 

しかし

老いが

病気が

親たち年長者たちの死が

わたしの死の現実を呼び覚ます

 

それらはネガティブな出来事のようではあるが

しかし

「私とは本当は何なのか?」

「この人生は何だったのか?」

「生や死とは何なのか?」という 

今まで顧みられなかった

本質を知りたいという強い衝動に突き動かされる

大きなきっかけになりうる

 

意識は そのように この肉体精神機構を使って

自らを探索する旅に誘う

 

誰が旅をするの?

 

この肉体精神機構と一体化して

わたしは個別化した行為者であるという夢を見ている意識自身が

 

その旅の終りは?

 

私(エゴ) 

私がしているという私

今「私!」と思っている 他の人とは違う 個別化した行為者である私

そんな「私」は存在しない

それは 肉体精神機構と一体化し

「私は個別化した行為者である」という夢を見ている意識

 

存在するすべては ただ一つの意識

すべては意識の自作自演自観照

個別の行為者である「私」など存在しない

 

それがこの旅の終り

 

存在するすべては意識

ただ一つの意識