まずは強みの例として、私の強みのお話をします。



私は競うことが強みです。

競争は私を鼓舞させ、集中させ、最高の結果を出すための果てしない努力を生みます。

それが私にとって心地よく、生き甲斐なのです。

これが無ければ、人生はたちまちつまらないものになります。


どんなに自己ベストを出しても、競争相手に勝たなかったら全く面白くありません。

金メダルが欲しいのです。
1位になりたいのです。



自分との戦いだけでもいいのですが、

競争相手に勝つことも私の強みなのです。
競争相手に勝つために自己ベストを尽くすのも強みです。


よく人は、他人と比べるな、自分のベストを尽くせと言います。

それは当たり前です。

自分のベストを尽くさずして、結果は出るのでしょうか?成長するのでしょうか?



人は言います。「やることに意味がある」

確かにやることに意味があります。
踏み出したその一歩はとても大事です。


しかし私は、このような記念受験のような態度で物事に立ち向かうのはナンセンスだと思っていることが強みです。


やるからには1番になり、やるからには唯一になりたいー

それが私の飽くなき欲求であり強みです。



こう見ると、私が勝ちに飢えた寂しい人間かのように思えてくるかもしれません。


違います。


私はただ、競争場面において大きな力を発揮する強みがあるだけです。

だから競争は私にとって成功しやすいことなのです。

例えば、100m走、リレー、舞踊大会、代表決定戦、体育の実技テスト、舞台本番...

もともと備わっている身体能力は無視できませんが、私がただの練習よりも本番に強いのは、

そこで本当に勝敗が決まるというリアル感や胸の高鳴りがあるからです。

そして私はそれをうまく活かしてパフォーマンスすることができます。そして結果を出します。

それが私の強みなのです。



そうとわかっていて、わざわざ競争のないところへ行くでしょうか?


しかし今の私は競争のないところにいます。

なぜ毎日がなんだか物足りないのか...それは私の人生に競争が欠如しているからです。

しかしこの人生を選んだのは他ならぬ自分です。

選択を誤ると、自分の強みはまったく発揮できないことになります。


自分の強みは何で、どのような場所や状態でそれが発揮できるのか、

そこは自分で、
人生の選択をしていかなくてはなりません。

強みを生かすも殺すも
自分次第です。




競争性という強みは、なんだか大変そうね、
そう思った人もいるでしょう。


「全てにおいて競っていたら(実際そんなことはないが。)、気が休まらないんじゃない?」

「そんなに競っていたら、戦争も好きなの?」


この考えは単純すぎます。


私は、勝てない勝負はしません。
数学は大の苦手ですが、数学の模試で全国1位になろうなんて思ったこともありません。
勝負すらしません。
だって、競争にならないですから。

私は競争が好きなのです。



私は、フェアなプレーを望みます。競争は神聖なもので、いかなる時も公平である必要があります。

相手への敬意があり、競うに値する勝負しかしません。

だって、不公平で尚且つ価値のない競争は競争とは言わないですから。
勝ったって嬉しくありません。

もう一度言います。私は競争を好みます。


私は平等性を重んじています。

すべての人は等しく平和で、健やかで、夢への公平なチャンスを持つべきであると考えています。

暴力や搾取で人々の人生を奪い、支配し、傷つけていくことは、競争ではありません。

人々を騙して権力を手にし、振りかざす行為は競争ではありません。

それは競っているのではありません。

無理やり踏みにじっているだけです。

欲望もやり方も汚いですね。


恐怖心から来ているのでしょう。

相手を(不幸な方向へ)コントロールしようとする人は、たいてい自分を誇示したかったり寂しかったり、不安だったり、恐かったりする人です。

私もそうならないように気をつけたいです。


私は願っています。
世界中の子どもたちが手を繋ぎ合える世界を
あらゆる人々にチャンスが与えられる世界を


私は、自らの強みである競争性という立場から、このような世界の実現に貢献できるやり方をすでに知っています。

それを選ぶか選ばないかは私次第です。

強みは、それを発揮できる場で
はじめて機能します。



大事なのは、どんな強みを持っているかではなく、


その強みを最大限に発揮できる場をしっかりと見極め、そこに行くこと


です。




つづく。


※ 私の強みは他にもありますが、そのうちのひとつを例にしてお話しました。
※私の強みは、ストレングス・ファインダーの結果をもとにしています。