写真家ルッチーこと鶴岡です。






Beトレでぢんさんから「ブログおもしろい」認定を受けた

じゅりちゃんがこんなこと書いてた。




▪病気だろうが障害があろうがどうやって生きていこうか?


すごく大事なこと書いてあるよ。






私はうつ病で障害者認定(精神2級)を受けています。

私が持っていたうつ病は

双極性2型

というタイプ。

ズドーンと落ちる鬱状態がひどくて、

でも時折チョーハイテンションな躁状態にもなるというもの。

躁状態の時は無理してお出かけしたり

無駄な買い物たくさんしてた。

今なら笑えるけど、当時はそうしないといられなかった。

身体の中で別の誰かにコントロールされてる感じだった。






で、障害認定を受けたのが三年前。

障害者手帳をもらったときには



もう、うつなのは仕方ねーやー



って思えた。

もう治らない、というこの先の人生は真っ暗だ、というあきらめ。

ここで一つ自分の中で何かが折れた感じがした。

でも、同時に治すことをあきらめたんだよね、ここで。

病気のままでもいい、って思えた最初の地点。

うつを治そうとするのを止めた、一つのターニングポイント。






この先、うつのままの自分だとして

じゃあ、今後どうしますか?






ってこと。






障害者認定を受けて、病気の自分を

「しかたないや」

って思えた。

病気が治らなくても仕方がない、

障害者認定受けるまでの病気だから仕方ない。

公的に「あなたは障害者です、あなたの病気は重いです」ってラベルを貼られた。

でも、そこから自分がどうするのか、

どうしたいのかは自分で決められる。

病気という事実があって、でも

幸せになるのか、不幸になるのかは

自分で決められるんだよ。






私、病気ですが、なにか問題でも?

と吹っ切れるのか、

私は病気だから○○できない、

と拗ねるのか、






どっちを選ぶのさってこと。



病気の人(自分)を不幸扱いするな、

障害を持つあの人(自分)をかわいそう扱いするな、



っていうのはそういうこと。

病気でも幸せになっていいのだから。

病気でもやりたいことをやっていいのだから。

病気という事実を使って自分をどう見るのかってことだけ。

それは自分で決められる。

病気で不幸だと決めてるのも自分。

障害で「私、かわいそう」と思ってるのも自分がそう思いたいから。






事実、自分も「俺って、うつでかわいそうでしょ」って思ってた。

その裏には

もっと自分を見てよ、

お母さん、もっと見てよ、

見てくれなくて寂しいよ、

っていう本音が隠れてた。

病気を持っている意味、

病気だとどういうメリットがあるのか、

その裏にはどういう本音が隠れているんだろうね。






そして病気と「自分はダメなヤツ」は結びつかない。

だって、病気じゃなくても

「自分はダメなヤツ」って思ってる人はいるし。

病気という事実を使って自分をダメなヤツにしてるだけ。

自分をダメにしてるから、

自分を大切にしないから

その現実が周囲で起こっているだけ。






こういうことです






吹っ切るのか、拗ねるのかは自分で選べる。

吹っ切ろうとしても吹っ切れない人は拗ねきるのも大切。

一回とことん拗ねてみて、とことん自分の「どうせ」を味わってみる。

自分も拗ねきって、

親の文句をカウンセリングや自助グループで

吐き出してラクになったからね。






で一度そういうところに足を入れると

出てこれないんじゃないか、

そこを卒業できない自分はダメってする人もいるけど大丈夫。

卒業のタイミングは勝手にどこかからやってくるよ。









もう医者から「病院に来なくていい」とは言われたけど、

障害者手帳を返す理由はないから持っててもいいよ、

と言われてる。

そういう意味は毎日見ているモノなのだけど

不思議と当時のうつで苦しかった頃に戻る感じはしないよ。

それは病気、障害者という事実と自分の価値が切り放されてるからだよ。

そしてそれは自分で決められる。

現実は自分が作り上げてる世界。






双極性2型は治療方法が確立されてない病。

だから一生付き合っていく病気として扱われている。

障害者認定まで受けて、それでもこの病気を卒業できた

自分という前例がここにいるから。

病気で苦しんでいるあなたも大丈夫。

そんなあなたも幸せになれる、そう信じています。







photo by ゆっきー