薩摩の心 〜鹿児島県日置市伊集院町〜 | 旅するカメラ

旅するカメラ

旅と歴史、そしてカメラ。

日置市伊集院町は戦国武将の島津義弘公が幼年期を過ごした場所。
さらに義弘公の菩提寺(妙円寺)がある町でもある。
そんなJR伊集院駅前には躍動感溢れる銅像が建っている。
実にかっこいい!!

伊集院町
島津義弘公は1600年の関ヶ原の合戦に西軍として参戦。
小早川秀秋の裏切り等もあり、一瞬にして西軍は壊滅。
みな後ろの伊吹山中に退却して行ったのだが、島津軍だけは「西国に島津あり」の勇士を東軍の大将である徳川家康に見せ付けなくては行けないという最後の賭けに出て、敵中を強攻突破。その際、東軍の福島正則らに「敵ながらあっぱれ」と言わしめたほどである。
だが、さすがに東軍の追っ手は厳しく、島津勢が薩摩に帰り着いたときは1千あまりの軍勢がわずか80人になっていたと言う。それほど壮絶な帰還であったのだ。(この時、甥の島津豊久が壮絶な最期を遂げている。)

そのような歴史から関ヶ原の戦いで敵中突破後苦闘の末に薩摩へ帰還を果たした島津義弘公をしのび、関ヶ原の合戦前夜の9月14日(旧暦)に往復40キロ程の道のりを鎧兜を身に固めて鹿児島城下の武士達は夜を徹して義弘公の菩提寺である妙円寺に参拝したことから始まったのが「妙円寺詣り」。
今も10月の第4日曜日と前日の土曜日に鹿児島市内の照国神社前から伊集院町にある妙円寺(現・徳重神社)までウォークラリーとして引き継がれているのだ。
この日は次の週末に妙円寺詣りを控え、境内には関ヶ原の合戦の東西両軍の幟が立っていた。

伊集院


明治2年の廃仏毀釈で円妙寺は廃寺となり、明治4年に義弘公を祭神として徳重神社が創建された。
さすがにあちらこちらに「丸十字」」の島津家の家紋が。

伊集院




境内の片隅には義弘公が85歳で没した際に殉死した13名の供養塔がひっそりと佇んでいる。。

伊集院



その後、島津義弘が幼年期を過ごしたと言う伊集院城(一宇治城)へ。

伊集院
伊集院
ひとつの曲輪を「○○城」と呼んでいるらしい。
伊集院


一宇治城内はすっかり公園として整備されていたが、堀切などから規模の大きな城であった事が分かる。

伊集院
伊集院



「神明城」と呼ばれる曲輪は島津貴久とザビエルが会見した場所だと言う事で記念碑が建っていた。
伊集院


幼い義弘がもしかしたらこの場所を駆け回っていたのかもしれない・・・と思うとなんだかジンと来る。


と、一通り見学した後、再び駅に戻り「伊集院まんじゅう」を買った。
何と言ってもまんじゅうの形が島津の家紋なのだ。
この伊集院まんじゅう、安い割には美味しいのでお気に入りなのだ。
鹿児島を訪れた際は「薩摩の心」をお土産に買って帰えろう。

伊集院