雨女と自称していた母の納骨日は、やっぱり雨でした。


法名「釈尼願心」です。




お父ちゃんの骨壺の隣にお母ちゃんの骨壺が並びました。

四十九日法要も無事済みました。
親族だけの静かな法要でした。

大正 昭和 平成 令和と生きた母でした。苦労の多い時代もあったろうけど、晩年はゴットマザーでお茶の間を近所の友人たちの溜まり場にしていたおばあちゃんです。

あんな事こんな事、聞いておけば良かったと、今更ながら思います。

母の部屋のタンスには、好きな着物がピッチリと入っていました。手入れがいき届いてました。母の臭いが漂いました。
まだまだ整理するには、時間が必要ですね。妹は泣き出してしまいましたので、もう少しそのままにしておいてもらう事にしました。

母がいつも座っていた場所には引出と電話があります。引出しには孫たちの写真やら手紙やハガキが沢山はいっていました。

私の入院中のハガキが出てきました。たどたどしい字でやっと書いたハガキです。あれから母へは何通も出しています。引出しいっぱいに私のハガキが出てきました。
「おまえからのハガキを楽しみにしていたよ。」と兄貴に言われました。
最後になったハガキは、成田山のごぼうの絵手紙でした。

旅先から、絵手紙教室の練習の絵も送りました。母に送りたくて絵手紙を始め俳句もやり始めたのですが、これからはどうしようかな、、、

「春惜しむ遺品整理や母薫る」