おかあちゃんの庭のボケの花が満開です。
3月12日、母は天寿を全うして旅たちました。97歳でした。
12日の朝に眠るように一人で旅立ったようです。生前の口ぐせは「ピンコロリンと死にたいね~」でした。
本人の希望どおり、前日までお茶飲み友達と私が送った成田山の羊羹を食べておしゃべりしていたようです。
突然の知らせに驚くというよりは、実感がわかず、「こんな風に突然な出来事になるのだ」といたって冷静でした。
「引鶴や空の彼方へお母ちゃん」
母の顔に会うまでは、実感がなくふわふわしていました。
真岡線に乗り、母の待つ家に向かいました。
仏間に白い布にまとわれておかあちゃんは眠っていました。
どこからでてきたのでしょうか?生まれて初めて全身で泣きました。
先に来ていた妹とも泣きました。
おかあちゃんと3人でしばらくすごすことができました。
みんなが、そういう時間を作ってくれました。
母は美しい寝顔です。声を掛ければ起きてくれそうです。
でも、母の顔に触れると氷のように冷たかった。
一男六女、孫14人、曾孫17人、あっぱれな人生を全うしました。
葬儀は、コロナ感染対策で参列者を制限した形で執り行いました。
火葬場へ向かう時、男体山と日光連山がくっきりと見えて、見送ってくれていると思いました。
「男体山旅たつ母や花一輪」
私にとって偉大な母です。
ゴットマザーのあっぱれな人生の幕引きでした。
ありがとう❗️おかあちゃん❕
今夜 一人になってやっとブログに書くことができました。
少しだけ落ち着きました。