僕は昔から、大陸を巡り横断するための玄関口として上海を利用している。
つい最近までは、上海の市街地にローカルながらも不自由なく暮らせる部屋も借りていて、日本以外の活動拠点として利用していた。
アジア各地へのハブという点で考えると、香港やバンコク、シンガポールなどの方が利便性があるのだが、自分にとってはやはり上海の方が魅力的だ。
理由としては直観的な相性が大きいが、1920年代の魔都上海と呼ばれた時代や、その時代背景で創られた映画やドラマが好きなこと。1930年代に大陸を駆け抜けた日本人の大陸浪人たち、その中でも特に詩人・金子光春の自伝『どくろ杯』には当時の上海の日本人租界に関する描写が多く、その世界観に心躍らされたことなどが挙げられる。
そして10代で初めてチベットのラサを訪れた際、旅の始まりと終わりに上海まで船(鑑真号・蘇州号)で往復し、船旅の魅力にはまった。
その後は、インドやネパールを目指すのにも、まず上海まで船で上陸し、雲南やチベットを経由しヒマラヤを越え数ヶ月かけて目的に辿り着くのに夢中になった時期もあった。
日本での生活から気持ちを切り替え、旅を始める玄関口として上海は良いのかもしれない。

話は飛んで、チベット本土〈ヒマラヤ以北〉のチベット人には、長い歴史上いくつかの民族のルーツを持っており、特に東チベットにはモンゴルやイスラム、西夏王朝の流れを含む人たちも多い。
見た目も言語もチベット人と同化しているが、よくよく話してみると実は回族だったり、蒙古族、土族だったりすることが多々ある。
そんな東チベット圏で11世紀頃にあったとされる〈または伝説〉、古代リン国の英雄ケサル王は叙事詩としても語り継がれる有名な人物だ。
諸説あるが、そのケサル王が活躍したリン国があった場所とされるのが、チベット東部のデルゲ地方である。

<チベット・カム奥地では狼の牙のように金歯を嵌めるのが流行している。>





カムの中心地、チャムド(外国人には非開放)とカンゼに挟まれた谷間の小さな町がデルゲの中心地だ。
政治情勢が落ち着いている時期であれば、外国人旅行者も入域できる町ではあるが、ラダックやブータン、ネパールでは英語が、チベット本土では中国語が会話の手段として通じる現代でも、
この地方のチベット語を多少理解できないと、デルゲ地元民との交流は難しいディープなチベット圏である。
ある意味、町の中心部でも中国語や英語を話せない<話す必要がない>チベットの町というのは、魅力的な事だ。
もう一つ、外国人にとってデルゲに行き辛い状況としては、デルゲの先のチャムドが今も非開放地区である為、マニカンコからの悪路を往復しなければならない事が挙げられる。 一昔前のバックパッカー全盛期と比べ、格段と検問が厳しくなった今のチベット圏では、余程の自由度がある旅行者(社会的縛りが無かったり、中国に再入国できなくても気にしないなど)でない限り、外国人の無駄なチャレンジはお勧めできない。
そのデルゲに昨夏、訪れた。
デルゲパルカン(印経院)で版画を見てみたかってのと、デルゲの黒ダシェー(カムパの髪飾り、ふつうは赤色)とダシェーの飾りが欲しかったという理由で。
地震の影響や検問が問題なければ、成都を出発してバスや乗り合いバンを乗り継ぎながら、毎日8~10時間の移動で5日目くらいに着けるが、悪路による不通や、寄り道、体調管理を考えるともう数日ある方がよい。 チベット圏ではそんなに遠い距離では無いのだが、帰りも(少なくとも途中までは〉同じ道を引き返す事を考えると、それなりの気合が必要になる。
僕にとってチベット圏に来たと実感できるのは、標高4000m以上の峠をバスで一つでも越えたタイミングである。 チベット文化圏には飛行機で簡単にたどり着ける場所もあれば、もう少し標高の低い地域も多くある。 もちろん、そういう手段を使い、またそういう地域を巡ることも多くあるのだが、大体において、自分の満足度が低い。
それはなぜか?
恐らく、ローカルバスを乗り継ぎ、ウイグルのトルファンから敦煌を経由し、ゴルムドから初めてラサを目指した時の景色やバスの中の臨場感が強く焼き付いているからだと思う。
しかも当時は寝台バスでさえ無かったので、あの距離を狭いシートのボロボロのバスで走ったのが逆に良かった。
時間や体力に余裕があるのなら、これからも船やバスを乗り継ぎ旅をしたいと思う。


<黒ダシェーのカムパ、この髪飾りが欲しかった>

(ケンポラマから仏具の使い方を教わる。〉


(デルゲパルカン)


(狼の牙を買わないかと薦められる〉
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