「初めての一人暮らし」

 

「この部屋がいいです。今日現金で買いますので。」

とここに住み始めて一年になる。

あの時の自分の判断に間違いはなかったと今も思う。

すでにこの部屋は誰かが検討をしていてローンの申請をしているところだった。

人生のあらゆる側面が潤っていそうな人たちが、みなファミリーで見学に来ている中で、

女一人でやってきた私は他の物件を検討することもなく、即断即決で交渉に入った。

鈍い落ち着きをたたえた初老の営業担当者は少し身をそらしながら、半信半疑の眼で私をみている。

私は丹田に気合をためていう。

「即決めます。本日ここで」

「今ここを検討しておられる方は実は取り置き期限は過ぎていますので、ちょっと上と相談してきます。」

担当者は席をたった。

・・・・・・

私はよく夢をみる。

信じられないという人があるが、私は1歳くらいから夢の記憶がある。

気持ち悪いほど体感があり、起きても記憶の薄れない夢はたいがい正夢になる。

ある時は母が赤い服を着た女性と車でぶつかる夢を見た。

朝起きて母に「今日は車の運転に気を付けて」と警告したが

母は夢の通りに赤いヘルメットの女性と車でぶつかって帰ってきた。

まだ前の夫と離婚の気配もなかった二年前、私は自分が新しいマンションに引っ越しする夢をよく見るようになった。

夢の中で私は空を飛んでいて、北に山があり、南に海が開けている街を見下ろしていた。

地面に着地し部屋に入っていった。なぜかそこにいたのは私と娘だけで

夫の姿はなかった。

・・・・・・・・・・・

「失礼いたします。現金でとのことですが、以前そのような方が反社会勢力の方だったことがございまして、大変失礼ですが、お名刺などお持ちでしょうか」

担当者は満面の笑みで私を見ながら私の背景を解剖しようとする。

「そして、大変失礼ですが資金源はどこからでしょうか。」

にこやかに言葉で突き刺す営業マン。

「財産分与です。」

私はきっぱり答えた。

「さようでございましたか。」

私がここへきた背景が少し明るくなった担当者の奥の緊張が少しゆるんだ。

 

 

 

 

前の夫と結婚して間もなく、私は億の借金を背負った。

平凡なサラリーマンの子供として育ってきた私は、今まで味わったことのない

岩壁を背負うような息苦しい日々が始まった。

「君は働かなくてよい、僕のために僕だけをにサポートしてくれ」

結婚してすぐそういって私に仕事を辞めることを求めた一年後のことだった。

彼の経営していた会社は経済不況のあおりを受け瞬くまに赤字となった。

私は彼の会社に入り、共に会社を立て直し、そこから12年で超富裕層となった。

もうこれでお金に困ることはないだろうと安心したころ、私はこの新しい家の夢をみるようになったのだった。

夢は一度となく繰り返しみた。なんとも気味が悪い感じがしていた。

夫は資産のすべてを自分で管理したがったので、

私は彼を疑うこともなく任せてしまって、自分はこつこつ仕事を続けていた。

ある時夫が起きぬけにぽつりと言った。

「経済の自由を獲得したとたん、なんの喜びも感じなくなったんだ。

朝目が覚めると陰鬱な気分に襲われて、もう僕の心を癒すものは麻薬しかないんじゃないかって思ったりする。」

夫は長年の経済苦から解放されると同時に生きがいを奪う亡霊にとりつかれた。

火を追うごとに夫の様子がおかしくなって、夫はパソコンにかじりつくようにないり、私との対話も減っていった。

不眠に悩まされた彼は私の寝息で眠れないと私を寝室から追い出した。

携帯を肌身離さずチェックしては、頻繁に着信のある通話相手に怒声をぶつけるようになっていった。

毎日食事を作りにきてくれていた家事支援のふうこさんがあるとき私に耳打ちをしてきた。

仕事からの帰宅が遅くなった私に、イライラをぶつける夫に私は言った。

「ところで、我が家の資産はどうなってるの?」

「投資先が倒産した。」

夫はぽつりと言った。

夫を問いただすと、資産のほとんどを複数の詐欺案件に投じてしまい、もはや保険しか残っていないと言い出した。

私に事実を打ち明けてしまった夫はそこから崩れるように自暴自棄になった。

事実確認をする私にいらだった夫は、「もう離婚する」といいだし、

ものの二週間で離婚を成立させてしまった。

離婚届を市役所に提出したそのあしで、私はこの内覧会にやってきたのだった。

かくして私の二度目の離婚が成立し、独立した娘の家の近くのこの部屋で、

私は人生初めての一人暮らしを始めることになった。