昨日、画期的な公立中学校長のチャレンジについて
知った、という話を書きました ↓
で、とてもとても気になったので、
ご著書を読み始めましたっ! (早い)
そしてそして、
前半しか読み終わっていないにもかかわらず…
その前半が、あまりにも
それそれ、それですーーーーー!!!
と叫びたくなる記述の連続であるため、
この興奮が冷めやらぬうちに、
いちいちブログに書いていくことにしました、はい。
今、スピリチュアル・ファーマーである だんなさまと
子供たちが、
故郷へ帰省中であるため、
スピリチュアル・ファーミング ネタ をしばしお休みし
(って、開始から数回分しか書いていませんが…💦)
この「学校改革」ネタ を しばらく書いてみたいと思います。
昨日も書きましたけれど、
私はこの3年間、ずっと子供たちに
しつこく言い続けてきたことがありまして…
それは、
「すべての大人の言うことが正しいとは限らない、
何事もすぐ鵜呑みにしては ダメよ」
(母である私の言うこと↑も、もちろん含めて です)
まあ、自分で考えて行動するようになってくれないと困るので、
これは大事なことではあるのですが、
かといって、幼い本人たちにまかせっきり なわけでもないのです
このことは、後述する「シュタイナー教育」の観点から、
大切なポイントとなってきます。
放置 は違うだろーよ
巷には、いくつかの「オルタナティブ・スクール」と呼ばれる学校もありまして、
私たちも、何か所か見学や体験に行ったりしたのですが、
子供の意思を尊重
みたいな感じで「自由」にさせているところなども多く、
夫婦二人で、ちょっと なんか 違うかな。。。
と思ったりしまして、
(これは、後述します)
それで結局、
いわゆる「過疎地」に引っ越しをすることで
そこの公立小学校に「賭け」たんですね
結果…
んー…
んー…
んー………
えーと、
本来でしたら、具体的に「何が」んー… なのかを、
赤裸々に記述しないと、
ブログとしては読まれないのかもしれませんが。
ちょっと、
パス っ!
あ、いえ、聞きたい方がいらっしゃれば、
対面で お話させて頂くこともできるかもしれませんが、
基本、愚痴りたくないのです、もう。
なので、
だいたい、今みなさんが小学校・中学校に対して抱いている不満(があれば)
それと、似たり寄ったり だはず。
ですので、
学校改革を目指していらっしゃる保護者ならびに教育関係の方々は、
お心当たりがありましたら、
行間を読んで頂き、
理解してくださると信じつつ、
具体的な例はすっ飛ばしていきたいと思います。
(追々、避けて通れないところでは、
一般的な話としてちょこっと触れますが
そこを強調していってしまうと、
肝心の「改革」の方へパワーが回らなくなりますゆえ…)
で、ですね、
先ほどから「後述する」と書いている
子供の意思・自由
について。
シュタイナー教育では
シュタイナー教育に携わる教師の資質 として
ほぼ完ぺきな大人の見本 として存在せよ
という教えがあるのです
どういうことか。
日本で言うところの小学校期は、
特に低学年の時期、
子供は 大人の模倣をして
人としての「ひな形」を確立していく時期
とされているんです
うちの子もそうですが、
まー、よく先生のマネをしています。
それも、本人がそうとは気づかずに、
(つまり、物まねして笑いを取るなどの目的があるわけではなく)
自分に取り込んでいるんです
親も当然、マネされています
簡単に言うと、そういう年ごろだから です
健全です
ですが、
誰の「どんなところ」をマネ(コピー)するか
は、
大大大問題
なのです!
場合によっては、
親自身が、最もコピーしてほしくないところ こそを
いち早く コピーしてます (笑)
ですので、基本的に
子供が小さい頃は、
本人の意思
とか
自由
とか
発現させるには 時期尚早
なのですが、
このことは、意外と知られていません
何となれば、
いくつかのオルタナティブスクールでは
その理念を築いた創始者が
子供の意思 を最大限に尊重する
と言っているので、
それを尊重している
のが現状です
ですが、
シュタイナーに言わせると
小さな子供にはそもそも
尊重すべき意思など まだ確立されていない
(小さな子供にも「意思」はあるかもしれませんが、
それが果たして人間として最大限"理想的"かと聞かれれば
その情報・経験の少なさゆえ、
そして周囲の大人の自覚の少なさゆえ、
大抵、答えはNoである、あるいは、
周囲にもそれは
まだわからない=未知数
ということ)
なので、周囲は、まず自らが限りなく理想的な人間であるよう努め、
そして、それを模倣してもらう
というのが、
特に小学校期には大切
というのが、シュタイナー教育の「肝」なのです
どうですか?
耳が痛くないですか?
(私は 痛いっす。。。)
そしてそして、
これが、
現在、教員になられている大人のみなさんの、
一番聞きたくないこと
だったりしませんか?
…というのが、本日のテーマなのです
過去3年間、
家庭訪問や、保護者面談や、
その他、学校へ乗り込んで行った際、(あれ、穏やかでない感じ???)
私が、再三言ってまわっていたのが、
↑これです
子供をあーだこーだ責める前に、まず
私たち自身、どんなですかねぇ~?
と。
それはまあー、見事に、毎回、
無視されます
そう、
図星であろうから
指摘されたくない であろうから
せんせーたちにとっては、
「自分が人としての鏡たる存在でない かもしれない」
というのは、
絶対に認めたくないこと であろうから
口で何と言おうとも。
こういうことを書きますと、
まるで喧嘩を売っているように捉えられる方が
必ずいますが、
そこの、気分を害されたあなた のことです
気分を悪くした時点で、すでに
自分の非を半分以上認めてしまうことになるのです
だって、該当しないのであれば、ムキになる必要はまったく無いのですから
「あなたの言う通りですよね!」と
優雅にご対応ください。
それこそが、ここで指摘している「高い人間性」の証なのです。
そもそも、
教員採用試験に受かったからといって、
人格が完璧な人など、
どこにいるのですか?
(まあ、いらっしゃるとは思いますが、
少ない、ですよね、きっと)
教員採用試験は、
最低限の人格と
それなりの知識があれば
合格できるのですから
それでも、受かった後 教師になって、
普通に犯罪犯している人
いっぱい出てくる昨今ですが、
教師だから完璧でないといけない
なんていうのは、妄想でしかありません。
教師も ただの人間です
ですから、
子供たちも、そのように見ざるを得なくなるのです
せんせーも ただの人じゃんね、と
ですが、ですが、
これでは、ダメなんです
繰り返しますが、
小さい子供たちは、
模範となる大人を身近に必要としているのです
それは、
言葉として表出する部分だけではなく、
人格としてにじみ出る すべての部分において
適切な「見本」 を必要としている
という意味なんです
もちろん、親は 最初に接する大人ですので、
極めて重要です
精進潔斎が必要です
そして、
学校関係者に「見本」を求めるのであれば、
親もそれなりに「見本」である必要があります
親が、人として精進潔斎に励んでいれば
その姿だけで、子供は十分健全に育つことでしょう
あるいは、親がそのことに無頓着だったとしても、
学校に一人、そういう先生がいてくれたら、
子供の将来は まったく違っていると思います
とにかく、子供たちを
絶望させたら ダメなんです
それは100% 大人の失敗です
子供自身のせいではありません
こうした「潔さ」自体を
子供は大人に見出したいと思っている
以前から、書かせて頂いていますが、
力で子供たちをねじ伏せる 時代は
終わりました
まだそういうやり方をやっているところは あるとは思いますが、
断言します、
そこに未来は あり得ない
それは、その大人のエゴでしかない
その大人が 完全燃焼できないのを
周りの弱者 = 子供 になすりつけているだけ
ではありませんか?
そして、
そういったことを
大変理知的に、とくとくと説明してくださったのが、
この本なのです ↓
『学校の「当たり前」をやめた。』 千代田区立麴町中学校長 工藤勇一
次回から、
この本を少しずつ読み進めつつ解析してみたいと思います

↑この講演会はすでに終了しています
ここまで読んでくださって
本当にありがとう
88また書きます88