21.4.28 Q.T

 「わたしは主を愛する。 主は嘆き祈る声を聞き わたしに耳を傾けてくださる。 生涯、わたしは主を呼ぼう。 死の綱がわたしにからみつき 陰府の脅威にさらされ 苦しみと嘆きを前にして 主の御名をわたしは呼ぶ。 「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」 主は憐れみ深く、正義を行われる。 わたしたちの神は情け深い。 哀れな人を守ってくださる主は 弱り果てたわたしを救ってくださる。 わたしの魂よ、再び安らうがよい 主はお前に報いてくださる。」

‭‭詩編‬ ‭116:1-7‬ ‭新共同訳‬‬

「わたしは主を愛する。 主は嘆き祈る声を聞き わたしに耳を傾けてくださる。」と聖書は語っている。ダビデは祈りの声に耳を傾けている神を愛すると告白した。そして祈った。神様に全て委ね、全てお願いした。神様に全て委ねるとこを既に頭の中では理解さている。しかし、私はどのぐらい神様と交わったんだろう。どのぐらい神様にお願いしたわだろう。

デイリーブレットのQ.T本文の中で12歳の娘がパパに本を読んで下さいと願う話が出た。自分についてすごく考えるようになった。私は我が子たちが何かを願った時どんな反応したんだろう。10回の中9回は怒ったり無神経したんじゃないか!心に余裕がない、体力が落ちてやすみたいとかを言い訳にし、かなり神経的な反応をしたんじゃないか!実は我が子たちが私に更に委ね、更に願えば嬉しいと思いながら、自分の行動は心と全く合わなかった。だから我が子たちが私に願うのが少なくなたんだろう。涙が出そうに心が痛い。我が子たちに申し訳ない。今日からでも優しい親になろう。我が子の声に更に耳を傾こう。そして我が子が私に全て委ね、願い、愛するパパになろう。

神様は私の声に耳を傾く方だ。私のように神経的な方ではない。私が我が子に願っているように全て委ね、願うのを待っている。ただ、私が誤解して神様から離れた。委ねよ。願おう。神様が喜ぶ子供になろう。

今日の1日がその決心の一歩になれるよう頑張ろう。