唐突ですが、私のティーンエイジは、アイドルと尾崎豊の日々でした。


 尾崎の話は後日にさせていただくとして、女性アイドルにはまり、自分でファンクラブに入ったりしはじめたのは、中学1年のときの「堀ちえみ」でした。


 彼女は大阪・堺市金岡の出身で親近感もあり、お嬢様風でないところや「トップアイドル」らしくないところが魅力でした。

 「潮風の少女」「真夏の少女」「待ちぼうけ」と、シングルが発売されるたびに買っては、デビュー当時から応援していました。


 ファーストアルバムのときはまだ彼女の歌唱力は難があり(結局それほど歌唱力は伸びませんでしたが)、アルバム収録曲の「亜麻色の風」では、聞いているこちらがズッコケそうなほど音を外していて、それでも「OK」を出したディレクターの苦労を、中学生ながら思いを馳せたものでした。


 アーティストの成長とともに、ファンも末永く応援していく、という姿がそこにイメージされそうですが、しかし、アイドルをいくつか応援した者に分かるのは、アイドル応援の一番楽しい時期はやはり「デビュー時」なのだ、ということです。


 本人のリアルな姿とは無縁な、歌手名(本名と同じでも違っても、それはどちらでも良い)と、本人の姿を使って、事務所や音楽プロデューサーが、その歌手の「イメージ世界」を構成し、それで新規ファン獲得のプロモートをしていくのです。そして、歌手はそのイメージに「沿って」役割を演じていくわけです。


 「モー娘。」のようなグループであれば、その「デビュー当時」のイメージを比較的長く保っていられますが(年を取ったメンバーを「卒業」させていくやり方で)、一人の歌手の場合、どうしても本人の年齢的な成長による変化は避けられません。


 また、「ボイストレーニング」をしている以上は、少しは歌が上手くなっていくものです。「大人っぽい」歌詞や曲にも挑戦していきます。しかし、それはデビュー当時の初々しさや可愛らしさ故に応援していたファンには、「本人が本人で無くなっていく」ような喪失感をもたらすものです。


 いつしかアイドルは「引退」を発表しますが、すでに「デビュー当時」にはまっていたファンの大半がファンを辞めた後です。


 振り返って、今になってCDを聞き直したりすると、「亜麻色の風」を聞いてしまったりするのです。ヘタを楽しむ感覚。これが「萌え」の源流なのではないか、と思ったりしています。


(今日の書き込みを思い立った理由は、先日の夜、夢に渡辺満里奈の「ホワイトラビットからのメッセージ」や、芳本美代子の「雨のハイスクール」が流れていたからです)