本州アイヌとその暮らし:関根達人先生
★日本列島には北のアイヌ民族、中のヤマト民族、南の琉球民族が暮らしていた
★明治政府による国民化政策以前のアイヌ民族は文字や絵による記録を残さなかった。
★夏泊半島にもアイヌが暮らす犾(エゾ)村があったが消滅。津軽半島では存続したが1756年に弘前藩が強制的に和人の戸籍に編入し、本州アイヌは消滅した
★シャクシャインの蜂起により松前藩が存亡の危機にさらされたときは弘前藩も出兵した。
★尻屋崎の貝塚は本州アイヌがアワビを幕府の中国向け輸出品として献上するために加工した場所
★本州アイヌの熊猟は矢にトリカブトを塗っていた。熊の胆の採取量は長期飲食しない冬眠明けが多いため春狩猟が行われた。
松前北海道から睨みを。ひょうろくさんは江戸に。
アイヌ語地名ケンコハネパネ

どうしてもひょうろくさんが好きなので松前廣年のことも書留める

寛政元年(1789年)のクナシリ・メナシの戦い(寛政蝦夷蜂起)で松前藩に協力したアイヌの酋長を蠣崎波響が描いた『夷酋列像』は、模写の目的で全国の画家に借用され、明治35年以降行方不明となっていました。それが昭和59年、フランスの小都市ブザンソン市立美術館で発見され、注目を集め波響の研究もはじまりました。
遺物の年代から、14世紀前半から15世紀末のアワビなどの加工に関わる遺跡であると考えられている。平成18年に国の史跡に指定された。
離頭銛・中柄・骨鏃は、大型の魚類や海獣猟などに用いられたと考えられるものであり、北海道の中世アイヌ文化との関連性をうかがわせる。中柄・骨鏃には、金属加工具による加工痕が認められる未製品が多くみられ、これらが当遺跡で製作されていた可能性を示している。
離頭銛・中柄・骨鏃は、大型の魚類や海獣猟などに用いられたと考えられるものであり、北海道の中世アイヌ文化との関連性をうかがわせる。中柄・骨鏃には、金属加工具による加工痕が認められる未製品が多くみられ、これらが当遺跡で製作されていた可能性を示している。




