何気ない会話の中で、ふと耳にした言葉があった。
『拘り(こだわり)』
普段なら気にも留めない言葉かもしれない。
でもその時、少し違和感を覚えた。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)になると、
自分で体を動かすことができなくなる。
だからこそ、
『もう少しこうしてほしい』
『この姿勢の方が楽』
と、周りの人にお願いすることが増える。
でもそれを、
『拘りがあるから』
と言われたことがあった。
正直、その時こう思った。
楽な姿勢を求めることは『拘り』なのだろうか?
普段、自分で動ける人はどうだろうか?
無意識に楽な姿勢を取る
体がしんどくならないように動く
自分に合ったやり方を選ぶ
これって、
『拘り』ではなく、『当たり前』のことで、
特別なことではないよね。
むしろ、自然なことだと思う。
長く生きていればいるほど、
自分に合った動き
しっくりくる姿勢
習慣
ができていく。
私も、動けていた頃はそうだった。
でも、動けなくなって初めて気づいた。
『この姿勢のときは、こうした方が楽なんだ』
『この角度が少し違うだけで、ツライ』
という細かい違いに。
もちろん、私はすべてを細かく要求しているわけではない。
多少のズレは気にしない
許容できる範囲であればそのままにする
そうやって、自分なりに折り合いをつけている。
我慢していないわけではない
それでも、
『拘りがあるから』と言われるのは、正直つらい
と感じた。
もしかしたら、言った側に悪気はないのかもしれない。
でも、動けない側からすると、
『わがまま』『面倒な人』
と受け取られているように感じてしまうことがある。
だからこそ、
その言葉がどう届くのか、
その言葉が持つ意味を知ってほしいと思った。
ここで少し考えてみてほしい。
普段の生活の中で、
歯磨きの順番
お風呂で体を洗う順番
寝るときの枕の形
着替えの手順
物を置く位置
こういったもの、無意識に決まっていないかな?
これも全部、その人なりの『拘り』で、
実は、誰にでもある。
ただ、自分で自由に動けるから気づいていないだけ。
もし、自分でそれができなくなったらどうだろうか。
思うように体が動かせない
微調整ができない
違和感があっても直せない
その状態で、
『それ、拘りだよね』
と言われたら…
どう感じるか、少し想像してみてほしい。
ALSの人にとって、
楽な姿勢を求めることは拘りではなく、生活そのもの。
だからこそ、
言葉の選び方
伝え方
を、ほんの少しだけ意識してもらえると嬉しい。
そして何より、
『自分だったらどう感じるか』
を一度考えてみてね。
それだけで、当事者との関わり方はきっと変わると思うから。
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