ひだまりとこもれび -14ページ目

裏事情と表参道

八方塞がり?
九方目を探せば良いだけの話だ。




おはようです。桜雪です。真の活路は意外なところにあるものだと思います。

朝はテンションが低いので、長くは書きません。
だって今布団の中ですし。


ここから旅行のおはなし。
旅行いいですよね。
久しぶりに旅行するときはテンションが上がってわくわくします。


ワクワク(´∀`*)≡(*´∀`)ワクワク
※おちつけ


今まで行ったことあるのは、国内だけで海外はないです。でも一回くらいは海外も行ってみたいですね。


国内で行ったことがあるのは北海道・福島・千葉・山梨・大阪・沖縄あたり。

名古屋行ってみたいです。食べ物がとっても美味しそう。


もうきりがないので、この辺で。



桜雪

おかしいお菓子





ポテトチップスうずしお味ってないですかね。
ないですよね。
巻き込まれそうですよね。







桜雪

言葉の重み

永遠なんて安っぽい言葉で、僕は人生を語りたくはない。




こんにちは。桜雪です。
久方ぶりに長い文章を書きたくなったので、哲学テイストな記事を書きましょうか。

テーマは言葉の重み。


言葉はとても面白いです。口を開くだけでそれは自然と出て、時に人を幸せにし、時に人を殺します。


言葉には全てが詰まっていているときもあれば、何も詰まっていないときもあります。言葉遊びはそんな言葉を使った極上の、しかしささやかな遊びだと思います。


そんな言葉の持つ重み、乃ち「言葉の重み」が、最近全般的に軽くなっているように思えてなりません。


特に代表例は「永遠」。

「うちら永遠に心友だからね」

そんな、今のご時世の女子中学生や女子高生にありそうな「永遠」の使い方は、本来の一般的な「永遠」という言葉とは、どうもかけ離れているように思えます。

永遠とは不変な無限の時間の連続ですから、則ち「変化」とは対極の概念と言えます。


故に「永遠」なんて言葉、雑多で物事がすぐに変化してしまう現代の社会においては、恐らくまあ無縁な言葉なはず。


しかしながら、「永遠」という言葉が毎日の生活で使われ、広く浸透しているのもまた事実です。


「永遠」でありながら「永遠」でない、新しい意味合いを持つ「永遠」が誕生している。


「永遠」ってそんなにも軽い言葉でしたっけ?

少なくとも僕は、毎日の生活で自然に使うよりかは、まるでお伽噺のような非現実的世界で、ロマンチックかつ、少しばかりシニカルに使われる方がしっくりきます。


「永遠」は重い言葉だと僕は思います。ところが、その言葉の重みがなくなろうとしている。気軽に使われるようになっていると言い換えてもいい。


別に「永遠」という一例を挙げて、僕は「永遠」が好きだ、嫌いだ、崇拝する、嫌悪する、だの何だの言うつもりはありません。


ただ、言葉の重みが軽くなっていることに、しっくりこないことがたまにあるというだけです。


そもそも僕の方がおかしいのかもしれませんが、それもまた一つの考えなのだと思います。


長々と書きましたが、
最後まで読んでくださった方、ただの戯言と流してくださって構いません。
ただ、共感してくださったら嬉しいです。




桜雪

シーソーシーン

See-Saw-Seen
Seesaw-Scene






こんばんは。相も変わらず桜雪です。
シーソーのように、人生がグラグラしてるような気がしてなりません。
上がれば下がり、
下がれば上がり。


そう言えば漫画とかでありそうな、体重の重い人がシーソーに乗るともう一方の軽い人が空を飛ぶことってあり得るんですかね。


実際に可能だったら、多分軽い人飛ぶ時かなり恐そうですね。
どっちかというと「飛ぶ」より「跳ぶ」でしょうか。僕は体重は軽いですが、絶対やりたくないです。


しかも跳んだは良いとして、当然ながら重力には逆らえず、なす術なく落ちる訳で、大怪我は免れないように思います。

仮に、死にでもしたらシーソーに乗るだけでなく新聞にも載ってしまうかも。



そんな、最後にシーソーに乗ったのがいつか覚えていない僕の呟きなのでした。



桜雪

なんか

れっつ空気椅子 イス (何















桜雪