エリックプランクトン
よく言い間違えます。
エリッククラプトン
声に出して一度言ってしまうと、もう病みつきですね。
嘘です。
言い間違えたことなんて一度もありません。
エリッククラプトン、スティーブウィンウッドのライブを

大阪城ホールにていってきましたー。
凄いですね。
凄いですね。
クラプトンまでが遠かったですね。
クラプトンがキン消し暗いの大きさでリアル感全くありません。
演奏も強烈すぎて、音も強烈過ぎてリアル過ぎてリアルじゃなかったです。
テレビみてるみたい
すんげーなぁ。
クラプトンと同じ場所で同じ時間を共有していることがなによりすごい
それに客層が面白かったです。
若もんはアウェイ
紳士淑女の皆々様がとても多かったとです。
さすがですね。

世代の壁がなく不変ですね
ちょっとウトウトってした瞬間があったんですが、
なんかクラプトンの生演奏でうたた寝も贅沢ですねと
全てがポジティブにいくかとおもってたら、
あららアタシなにやら物事をむづかしくかんがえてしまうようです。
クラプトンのギターの音を聞いていたんですが、
クラプトンはこの旋律に制約を感じたことはないのだろうか?
あの指板からはどうやっても抜け出せないことを感じて
茫然自失したことはないのだろうか?
音楽という制約を感じて音を奏でたことはあるんだろうか?
なんでも不自由のなかで自由を見出す。
本当の自由であれば音っていう概念自体が制約になるんではなかろうか?
いろんな制約のなかでルールのなかで表現して行く。
音楽、映像、スポーツ、ビジネス、恋、人生もそう。
だったら表現者っていうのは制約された中から、
そのルールの中から表現していることになるなぁ。
だったら本当に表現するとしたら表現しないことが表現なんじゃないか?
あ、あかん、スパイラルや。
何が言いたいかも制約がなくなって
何が言いたいかわからんくなってきた。
あかん、あかん。
むづかしいことは抜きにして楽しもっと。
わお和お。





















