前回の記述通り、今回からは
善悪二元論シリーズ!!
のつもりだったんですが、
結論に若干の揺らぎを発見できた為、
我輩の論文提出は待っていただきたい......(>ω< )
その揺らぎの談義の途中、発展して困った話題でも挙げさせてください
発展進行としては以下の通り。
A「善悪二元論的に自分の定義を言えるかい?」
B「そうですね........(あーだこーだ)、みたいな...?」
A「なるほど。なら、その人たちの違いは何だ。何の差だ?」
B「受けてきた愛情の差ですかね(微笑)」
A「(°ω° )」
B「な、何ですか?」
A「いや....前々からの言い振りだと『Aには愛が足りてない』と聞こえて。」
B「まぁ、そうです」
A「......え?何?何が言いたいの(焦)」
B「Aは誰かを本当に愛したことが無いのかなって。」
ということで、今日のテーマは「愛情」
愛情の最も普遍的でありながら長期性を持つのは
やっぱ「家族愛」でしょう。
しかし、「家族愛」を実感するのはどのラインなのか。
まさか肉親から「愛してるよ」の一言で済む、そんな話でもないはずです
では何が必要で、どういう状態を「実感」していると言えるのか
私が思うに、それは「献身や命」であると考えています
誰かの為に自身を負に導いて尚、満足できる心理状態
これが「献身の愛」、
他のどんな人たちよりも重く考えられるその命
これが「命の愛」、
これらが最も働きやすいのが、肉親や家族であると思っております
ただ、これらは正しく「最上級の愛」でなくては、
最も普遍的愛情の家族愛には相応しくないでしょう
つまり、献身や命の愛を家族に向ける時、
他の人間を家族と秤に掛け、家族に重きを置かねばならないのです
逆に言えば、家族に勝る重さの他人がいたならば、
もはや「家族愛」は一方的であるか、最悪、存在もしていない
あらゆる状況で家族に愛を感じるからこそ
「家族」には価値があるのであって、
それを上回る愛は、新しい「家族」の形成とも言えます
例えば、幼少より親から暴力(愛の鞭)を受け、家族に向ける愛情が欠損し続け、
学校やその他の環境下で友人に施される優しさに「友情」を感じたならば、
当人にとってはもはや肉親より友人が「家族」でしょう。
こう考えてみると、絶対的愛のやりとりと言うより、
子の「逃げ場」が「家族」を形成しやすいのではないか
帰る家に帰りたくなくなったら、その時、愛は失われるのでは。
その「消失」を繰り返す度の家庭での「補給」が追い付かない場合、
帰るところはすでに親の元ではないと考えられる。
そして、幼少期失った愛情は、一生涯なかなか戻ってこない。
親は一生懸命愛を注げど、その愛が子に「愛」と伝わらなければ、
家族愛なんて存在しないのです。
うむ、私はこういう「愛」とか「優しさ」の話が好きだ。
午後にももう一本行こう。
アデュー...
善悪二元論シリーズ!!
のつもりだったんですが、
結論に若干の揺らぎを発見できた為、
我輩の論文提出は待っていただきたい......(>ω< )
その揺らぎの談義の途中、発展して困った話題でも挙げさせてください
発展進行としては以下の通り。
A「善悪二元論的に自分の定義を言えるかい?」
B「そうですね........(あーだこーだ)、みたいな...?」
A「なるほど。なら、その人たちの違いは何だ。何の差だ?」
B「受けてきた愛情の差ですかね(微笑)」
A「(°ω° )」
B「な、何ですか?」
A「いや....前々からの言い振りだと『Aには愛が足りてない』と聞こえて。」
B「まぁ、そうです」
A「......え?何?何が言いたいの(焦)」
B「Aは誰かを本当に愛したことが無いのかなって。」
ということで、今日のテーマは「愛情」
愛情の最も普遍的でありながら長期性を持つのは
やっぱ「家族愛」でしょう。
しかし、「家族愛」を実感するのはどのラインなのか。
まさか肉親から「愛してるよ」の一言で済む、そんな話でもないはずです
では何が必要で、どういう状態を「実感」していると言えるのか
私が思うに、それは「献身や命」であると考えています
誰かの為に自身を負に導いて尚、満足できる心理状態
これが「献身の愛」、
他のどんな人たちよりも重く考えられるその命
これが「命の愛」、
これらが最も働きやすいのが、肉親や家族であると思っております
ただ、これらは正しく「最上級の愛」でなくては、
最も普遍的愛情の家族愛には相応しくないでしょう
つまり、献身や命の愛を家族に向ける時、
他の人間を家族と秤に掛け、家族に重きを置かねばならないのです
逆に言えば、家族に勝る重さの他人がいたならば、
もはや「家族愛」は一方的であるか、最悪、存在もしていない
あらゆる状況で家族に愛を感じるからこそ
「家族」には価値があるのであって、
それを上回る愛は、新しい「家族」の形成とも言えます
例えば、幼少より親から暴力(愛の鞭)を受け、家族に向ける愛情が欠損し続け、
学校やその他の環境下で友人に施される優しさに「友情」を感じたならば、
当人にとってはもはや肉親より友人が「家族」でしょう。
こう考えてみると、絶対的愛のやりとりと言うより、
子の「逃げ場」が「家族」を形成しやすいのではないか
帰る家に帰りたくなくなったら、その時、愛は失われるのでは。
その「消失」を繰り返す度の家庭での「補給」が追い付かない場合、
帰るところはすでに親の元ではないと考えられる。
そして、幼少期失った愛情は、一生涯なかなか戻ってこない。
親は一生懸命愛を注げど、その愛が子に「愛」と伝わらなければ、
家族愛なんて存在しないのです。
うむ、私はこういう「愛」とか「優しさ」の話が好きだ。
午後にももう一本行こう。
アデュー...