はじめ吃音なんか治らないと思ってました。
治るという表現そのものに違和感は
ありましたが。

大学に入ったばかりの頃。
友達0。サークルにも何も入ってない。
周りからは陰キャラだと言われ
バイトもクビになりました。


家でゲーム三昧です。
たしかにあの時の自分は
ただ息を吸って吐いて、飯を食うだけの物体しかなかったです。


それでも人生諦めるにはまだ早い。
そこからは挑戦の連続です。
苦手な飲み会も週5ペースで行き
大学生のノリにも必死で食らいつき
バイトもそれこそ泣きながらやってました。


バイト先の料理長の言葉を
今でも覚えてます。
「敷島が、何の病気であろうと、もううちのメンバーだから、ちゃんと働けよ」と。


世の中、不思議もんで
がわりと色が変わることがあります。
あれは社会が変わったんじゃなくて
自分が変わったんだと。

そこからカナダのスターバックスで働き、その自信から、吃音改善サークルを作ろう、
できるできないじゃない
するかしないか。


「吃音理解のある社会を」と
社会に変わってもらう前に
できることはある。


まずは自分が変わること。

その想いがPGLというグループを作ったんだと思います。


しかし、その想いも虚しく
解散を迎えました。


吃音改善はできなかった、そう思われても仕方ありません。


吃音が無くなり、大学1年の時に夢見た
生活を今送っています。


ツイッターを見ると
吃音関連のことが多く呟かれてます。


最後なので
正直に言います。

もう疲れました。
吃音嫌だとか、死にたいとか、社会が悪いとか
誰が悪いとか


日頃の愚痴をツイッターに呟く
その人生がいかに惨めか。

「どうすれば良くなるのか」じゃなくて
「自分なんて、、」ばかり。


ごめんなさい、ぼくはまだ
人生楽しみたいんです。


もう吃音から逃げたいです。
PGLを解散させたのも、
昔の自分に戻りたくないから。


やっと手に入れたこの人生。
楽しんで、楽しんで、楽しみたい。


吃音で悩む全ての人へ。
吃音は治せます。


治そうと努力しましたか?
大体の人がそうじゃないですよね。

理由は簡単。
もうこれ以上傷つきたくないから。

それで途中で諦めて
ほかの吃音者にこう言う訳です。
「吃音は治せないよ」


吃音は治さなくても生きていける。
これがまた厄介。


自然治癒か僕みたいに気持ちで
吃音治した人達はたくさんいると思います。
でも吃音界隈には出てこない。


だから、吃音症は平行線。
いくら論文が発表されても
吃音関係の作品が出ても
ニュースで取り上げられても
俺たちの人生は
なーーーーんにも変わんねぇ。


そうですよね?

てか、もう気づいてるでしょ。

自分を変えれるのは自分だけ。

吃音で悩む全ての人へ。

最後の最後に言わせてください。

吃音は治せます。

諦めんなよ。

他力本願じゃなくて、自分で変えて。

絶対できる。

失敗したらまた次に行けばいい。

なんでそんな頑張らないけんのか

思った人。

そりゃそーやん。

もうここまで人生きてるから。

吃音が無かったらいいのに、、、とか。

いやいや、吃音があるからねもう。

じゃあどうするか。

今ある手札で勝負する他ない。

前見て、ただひたすら

前を向く。

これがぼくの吃音の最後の景色です。