おじいちゃん
わかってはいても好きな人がいなくなるのは悲しい。子どもの頃のわたしにとっては“おばあちゃん家にいる”おじいちゃん。ずっと外にいて日が暮れたら部屋に戻ってくる。そしてわたしと妹の持ち物に「そりゃ何かい?」と聞くのがお決まり。びっくりしたのはその当時すでに80歳近かったおじいちゃんに老人ホームに贈るゲーム作りを依頼されたこと。廃材に魚の絵を書いて切り抜いた魚釣りゲーム。あの頃はこんな日がくるなんて思っていなかった。几帳面だったおじいちゃんに痴呆の気が表れたのは何歳だっただろう。ここ数年は入退院を繰り返し最後は意識がなく苦しそうな日が続いていたから楽になったと思うことがせめてもの救い。でももう一度だけ、食べることが好きなおじいちゃんの「うまか」という声聞きたかったよ。ずっと一緒にいたからおばあちゃんがいない天国は寂しいかもしれないけどまだ連れて行かないでね。空の上はおいしい食べ物がいっぱいあって、菊作りもできる世界だといいな。少しだけ悲しみが軽いのは、心の準備をする期間をくれたからだよ。ありがとう。これからも見守っていてね。鷲崎 十一 2015年6月13日午前5時37分 享年92歳