私の家は母子家庭で、母は出稼ぎに行き、五歳の時から祖父母に育てられてきた。
家に帰ればお母さんがいるのが当たり前、という周りの友達が羨ましくて。毎晩祖母に問いかけた。
「どうして家は周りと違うの?どうして?」
そんな私の問に祖母は
「離れていても、家族全員健康でいれればそれは幸せな事だよ。」
当時の私には到底理解出来ない返答だった。健康でも、傍に母はいない。母に会いたくて寂しくて、遠くに住む母に手紙を書く。
これのどこが幸せなの?
その意味が理解できたのは、私が中学三年生になった頃。
冷たい雨の日。
お風呂上がり、リビングでテレビを観ていると、急に電話が鳴った。その頃も母とは一緒に暮らしていなかったので、その電話には祖父が出た。
電話に出て数秒で、祖父の顔色が一気に変わった。ただならぬ空気に私は怯えた。
「おばあちゃん、もう危ないって。」
祖母は初期の肺がんを患い、手術を受け、通院していたが、その後腰の骨に転移が見つかり、また病院に入院していたのだ。
冷たい雨が降る中、祖父、近くに住む叔父、弟、私を乗せた車は、普段より暗い夜道を急いだ。
病院に着くと、祖母はほかの入院患者とは違う部屋に隔離されていた。
祖母の顔を見ると、一気に涙が込み上げた。
「おばあちゃん、かえでだよ。わかる?おばあちゃん死んじゃいや」
その時既に祖母はとても喋れる状態ではなかった。
祖母の着けた酸素マスクからは、凄まじい音がした。
酸素ボンベから、マックスで祖母の肺に酸素を送っているのがよく分かった。
それから数十分後、遠くに住む母が遅れてやってきた。
久しぶりに家族全員揃った、でももうおばあちゃんは…。
そして、まるで家族全員が揃うのを待っていたように、おばあちゃんは安らかに、深い眠りについた。
この時思った。おばあちゃんのあの言葉、どんなに離れていても、家族全員が健康で暮らせている事が何よりの幸せなんだと。
おばあちゃん、おばあちゃん…。
あれから3年が経ち、私は20歳になった。
成人式には参加しなかったけれど、振袖は着た。
一目惚れした、深緑の振袖。
おばあちゃん、私ももう20歳になったよ。
深緑の振袖、似合うかな?
直接見せたかったな。
おばちゃん、ここまで育ててくれてありがとう。
