これもまた良いものですね。
自然の移り変わり、そんなことを楽しめる
毎日でいたいですよねえ。忙しい中でも。
さて、先週末は大阪にいました。
電車に乗ろうとした時のことです。
当然ながら(と思っているのですが)きちんと整列して待っていたんですね。
他の方々も、もちろん並んでいましたよ。
ボクの前には二人の方が、先に並んでいました。
と、駅員さんが、折りたたみ式の「板」を手にして近寄ってきました。
そうです、わかりますよね?
車いすの方が下車するので、この板は、「橋」になるわけです。
電車が着き、降りる人から…と思いきや、前に並んでいた二人の大人は
さっと乗り込んでしまったのです!
「うっそ~!」
と思っている間に、駅員さんは「いつものことさ」って様子で、
「すみませんねえ」
と言いながら、板を渡しました。
と、そこで事件は起きたのでした!
あなたなら、どうします?
まず、下車が優先でしょ?でしょ、でしょ?
それゆえ、待っていたんです。
と、後ろに並んでいた20代の女性が、待っているボクを追い越して、乗り込もうとしたんでありますよ、はい。
どういうわけか、とっさに手で彼女を押さえて、
「車いすの方が先でしょ!」
と、少々、きつい言い方(まるで、クラスの子をしかる先生みたいに…)で
言ってしまったのです。
しかし、とりあえず、彼女、待ってくれました。耳には、音楽を聞いているんでしょうね、
イヤホンを入れたまま。
他の方が、ちゃんと待っている中、無事に車いすの方は下車できました。
さあ、乗り込もうとした瞬間、彼女にきつい言い方をしてしまったかなと反省中のボクは、無意識に、一言、声をかけていたんです。
「ありがとうね」
どんなに正しいと思っていても、やっぱり、いやなもんですよね。
知らない人に、いきなり、注意するって…怖いことでもあります。
彼女、なんとなくですが、うなずいて、少し困ったような顔で順番を守って
車内に入りました。お互いに座ることもできたのですが(離れて)、後味の悪いったら、ありゃしない。
この「ありがとう」。
実は、わけがあるんです。
遅まきながら旅し始めた海外。
初めてのスイスで、こんな光景を見て、感動していたんです。
車両通行止めの通り。
そこに、小学生の男子が二人、自転車に乗って走っていました。
すると、スイスの警官が、
「ほら、きみたち、ここは自転車に乗れないよ。押して歩きなさいね。」
ええ、ええ、確かにボクの耳には、そう聞こえたのです、はい。
すると、その子たち、素直に自転車を下りて、押して歩いて行ったのです。
その後ろ姿に、警官がさらに一言。
「Thanks!」
この場面が、脳裏に焼き付いていていたんです。
日本では、あまり見かけない光景(覚えていないだけかも)。
彼女が素直に聞いてくれたから、今、こうして書けるんだけど、こんなことが
大切なんだろうなあと、今さらながら感じてしまうわけです。
誰よりも先に入って、席をとる。
だって、あたし、通勤も長くて、疲れているんだから…。
そうですよね、疲れているんですよね。
目の前にいる人が、どんな状況なのか、想像する力。
これがあれば、今、誰を優先すべきか、何を守るべきか。
もっと、わかるんじゃないかなあ。
争いも同じなんだなあ。
ひとたび、争いごとを「当たり前」と認めてしまったら、それが優先すべきことに
なってしまい、一人ひとりの「大事にしたいこと」は、後回し。なんですよね。
え?
話が大きすぎるって?
でもさ、平和がいちばんだから!
ね!