最近は、野菜や果物がたべたくって 
 
イチゴ~イチゴ~ いちご
 
とつぶやいていたら、いただきました ラブ
 
おおきなイチゴ♡
 
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
それから立派なしいたけも きのこ
 
うれしい~!!
 
八百屋さんからいただいたもの。
 
八百屋さんには、やっぱり立派なお野菜があって
 
見ただけで元気になります おねがい
 
 
ありがとうございます♡
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、
 
この間のブログから、改めて考えていました。
 
3年ほど前と、今とでは、なぜそんなに仕事の位置づけが変わったのかしら? 
 
ということを。
 
 
 
そもそも三年前というと。
 
わたしは厄年入り口31歳 バレエ でした。
 
 
 
そして、自分のお仕事を、肯定的に捉えられないアラサー時代だったように思います。
 
(というか、その前から、そうだったなぁ ニヤリ
 
もちろん、やりがいがあったり、この仕事にプライドを持っていた
 
というところは、ずっと変わりません。
 
自信をもって、お客様にきものをご紹介したくって
 
仕入れにも力を入れていたし、
 
着付の勉強も必死でやったし、接客についても勉強したり、あれこれ考えたりしていた。
 
 
 
じゃあ、どうして肯定的に捉えられなかったのか?
 
 
 
それは、プライベートでした ふんわりリボン
 
若女将である前に、女の子でありたかった。 心の奥では。
 
だけど、いつだって、女の子である前に、若女将だった。
 
 
 
和歌山という土地では、どうやっても、知り合った人と、絶対にどこかで、つながっています。
 
呉服屋だ、といえば、すぐに身元はわかってしまう!という恐怖がつきまとっていて
 
どんなときも、店の名前を傷つけない私であらなければ
 
という重圧を感じていて、それに負けている状態で、自分を外では見せていたのだと思います。
 
 
 
「どうありたいか」
 
よりも
 
「どう見られるか」
 
が勝っていた。
 
だからこそ、苦しかった。
 
 
 
いまにして思えば、そうしたプレッシャーがあったからこそ
 
楽観的で南国的な性格の私のような人間か
 
若女将としての立ち居振る舞いや、着付けの技術をなどを身につけることができた、
 
と思えるのですが ニコニコ
 
 
 
ちょうど、3年ほどまえに
 
それまでやってきた「仕事」を0まで更地にして 
 
改めて、私の立場で、何をすべきで、何がしたいのか、
 
をじっくりと考えなおしました。
 
着物とは、一般のひとたちにとっては一体何なのか
 
ということも。

 

 

 

 
それは、ハンマーをもって、自分がもっている既成概念を潰してゆく 金槌
 
という作業でした。
 
 
 
 
そうやって再構築してきたことで
 
今があるのだと思います。