やっと帰宅中。(猫撫ディストーションは昼休みに無理矢理購入済み。)
数百秒後の世界を期待しながらの雑想。



今更すぎる話ですが、小説や漫画などといった「本」ベースの媒体と比較した場合、「ゲーム」という媒体には、背景のCGがある・キャラクターのCGがある・BGMがある・(作品によっては)キャラクターの声がある、そしてそれらがゲームの展開に応じて切り替わる・・・という特徴以外に、プレイヤーの操作・選択に応じて物語が、世界が展開されていくという特徴があります。
この操作―――マウスクリック―――にダイレクトに対応する物語展開や、キャラクターの表情の微妙な変化こそが美少女ゲームの本質的な楽しみであるだとか、「選択」という行為を媒介しての主人公とプレイヤーの同一化がどうだとか、そういう話は過去に幾度も誰かしらから言及されてきたことですし、他ならぬ元長氏自身が指摘されていたことでもあります。
この点は物凄く大きいです。やはり物語への、世界への没入度合いが全く違ってきます。
間断なく積み重ねられるシューティング的な快感と、物語と世界に、スナップショットではなくダイナセットで接続する感覚。これはゲームというパッケージ以外では再現出来ないでしょう。

パッケージといえば、物語が一つのパッケージで完結していることも大きな差異ですね。
ゲームは、プレイ前に自分がどんなボリュームで、どんな展開のものを相手にしているかさっぱり分からない。
本ベースの媒体の場合、どうしても、どれだけ集中していようとも、カバーの更概文で、続刊情報で、またはページの残量で、物語の展開に予断が生まれてしまいますが、ゲームにはそれがない。

また、クリックなりスキップなりの操作を行わなければ先の物語は読めない点も大きな違いでしょう。
本ならちょっとダレて、又はふともどかしくなって、魔が差した瞬間に後ろの方をパラパラ捲れば、それだけで話のオチは分かってしまいます。作者の意図していただろう世界展開は、そんな些細な気分のムラの前に敗北し、永久に伝わることがなくなってしまいます。
ゲームには、それはありません。


何が言いたいのか自分でもよくわからなくなってきましたが。
ゲームを相手にした時、プレイヤーは「ゲーム世界で自由に選択できるように振る舞える」と思いながら、いや、思わされながら、実のところゲームクリエイターの意図する視点操作に完膚なきまでに支配されているのです。
元長さんは、また藤木さんは、その特徴を十分に、十二分に承知した上で、さらにプレイヤーがシナリオライターの意図を読むだろうと知った上で、なおプレイヤーを気持ち良くゲームに没入させ、その上で会心のタイミングで物語を・世界を変容させ、プレイヤーを混乱へ、酩酊へ導くことができる稀有なシナリオライターだと確信しております。
色々あって、自分の意図するところのゲームはこの数年リリースできていなかったお二方ですが、松島Pのディレクションの下の新天地で、どんな楽園を見せてくれるのか。

丁度駅に着きました。
次はthe end of the end of the worldにてお会いしましょう。




あ、これだけは。
∩( ・ω・)∩#erogebanzai