「必要な用事以外は外に出てはいけない」強制的ロックダウンが一段落し、いくばかの制限は残るもののわりと普通に活動できるようになり、そしてまた、強制力はないものの「必要な用事以外に外に出ないことを厳しく推奨する」不安定な状態になりました。

 

ずっと続けてきたインテルカンビオ(ランゲージエクスチェンジ)も、やっとみんなでまた集まれるようになったものの、第2派を恐れてみんなどんどんバルセロナを出てしまい、きちんと再開できるのは9月以降になりそうです。

 

私の周りには、基本子持ちの家族が多いのですが、インテルカンビオには独身で一人暮らしの人も、100歳近いお母さんと二人暮らしの人も、普段は孫の家に入り浸りのおばあちゃんもいて、

エドの同僚には、まだ子どものいない夫婦や、パートナーが他の国にいる人など、これまた異なる環境の人がいて。

 

今回のロックダウンを通じて、こういう生活環境というのは実に多種多様なんだなぁと再認識すると同時に、

ロックダウンがそれぞれの形に及ぼす影響の違いにも色々と考えさせられました。

 

コロナ禍は、なんらかの形で誰もにマイナスの影響が出ていると思いますが、その中からあえて勝ち組を選ぶとすれば、私とエドが思うにそれは、

 

子どもがいない、二人ともリモートで普通に仕事できる夫婦・カップル

ではないでしょうか。

 

エドの同僚にはいます。

二人とも大学の研究者。

リモートワーク、まったく問題なし。

むしろ仕事はかどるビックリマーク

お互いがいるから寂しくもないし、欲求不満にもならない…

(*もちろん途中ですれ違ったり喧嘩したりする可能性はありますが、それを言い出したらきりがない)

 

でも、これが一人暮らしだと全然違います。

 

彼や彼女と遠距離な人。

パートナーがいない人。

最初は時間がありあまって、だらだら本読んだりドラマや映画を好きなだけ見たり、と楽しんでいても、ロックダウンが長引くにつれて精神的にどんどんきつくなってくるみたいで。

 

先週会ったインテルカンビオのMちゃんも、

「規則正しい生活のほうがいいかと思って、毎日2時間は運動するし、オンラインで勉強もしてるし、買い物も料理もきちんとしているんだけど、それでも夕方になって夜が近づくにつれてなんともいえず不安になるの…」と言っていました。

 

彼女が海外にいるエドの友達も、ロックダウンが長引くにつれて、次いつ会えるんだろうはてなマークという想いがつのり、どんどん元気が

なくなっていきました。ビザの問題などもあり、まだ再会できていません。

 

じゃあ一人ぼっちじゃなくて、子どもがいたらどうか

これは言うまでもないですね。

いろんなところで言われていますが、

 

仕事はかどらーーーーーーんガーンガーン

オンラインスクールきつーーーーーいえーんえーん

 

まぁ子どもの年齢にはよります。間違いなく。

うちは、上は自分たちで勝手に勉強できて、それに3人で遊んでくれたからよかったけど、

赤ちゃんがいる家庭、まだ小さい子どもが複数いる家庭はどれだけ大変だろうかガーンと想像しては恐れおののいていました。

これが中学生以上の子どもだったりしたら、家のことも手伝ってくれて色々楽だったのかなぁ。

 

でもとりあえず、「やることなくてヒマ」「静かすぎて不気味」

という一人暮らしの友達に聞いていた状況には、陥るはずもなく😂

数時間単位で子どもを彼らに貸し出したかったです、ほんとにビックリマーク

 

あとは、リモートワークができる仕事か、

失業を余儀なくされたか、

その辺りも影響したし、

学校のオンライン教育の質や量にもよったし、

もちろん夫婦の関係によっても違ったし…。

 

インテルカンビオのメンバーはおばあちゃんが多いのですが、

おばあちゃんたちもこれまた多種多様なロックダウンを送っていました。

 

孫と会えなくて寂しかったり、

逆に孫が「コロナ疎開」してきて賑やかすぎたり、

自分も不安だけど、一緒に住んでいる100歳のお母さんのことがもっと心配だったり…

 

でもほぼみんな共通して友人や知り合いを何人も亡くしていたので、本当にお気の毒でした。

 

 

先日村上春樹の本を読んでいて、

「想像力」の対極にあるものは「効率」というステートメントにとても考えさせられました。

 

学者であるエドはそもそも「効率的」という言葉が大嫌いで、

大切なアイデアや考えは、ぼ〜っと想像する時間から生まれるんだビックリマークと日頃から言っていますが、

 

今回のコロナ禍に関しても、

その影響や今後の対策について色々考えていく上で、

いろいろな数字や分析を見るのはある意味効率的な理解ではあるけれど、

 

様々な状況に置かれて、異なる影響を受けている人たちの話を丁寧に拾い上げていくこと、

少しずつでも掬っていくこと、

そういう「効率的」とは言えない行動から、

もっと幅広い未来を「想像」する可能性が生まれてくるんじゃないだろうか、と少し思いました。