診察前に葛藤していた。
「今まで通りに素直に出来事を話したくない。治療に対する自分の感想も話したい」と感じていた。しかしながら、偏頭痛があり自由に話すことができなかった。ほぼ今まで通りに診察までの出来事を話した。
主治医は「猫ちゃんと仲良くして下さい」という言葉で締めくくった。私も話したいことを話せて満足していた。けれど帰宅途中の食品の買い出しも買いたい物がピンと来ないので、良く買っていた物をカゴに入れるなど、自分の頭が自分のものではないような歯痒さを感じた。
家に着いて猫の世話をする。その後どうも釈然としなかった。何も手につかない。何となく「これでいいのか?」と不安だった。「猫と仲良く」する為に猫ジャラシで遊ぶも集中できない。私が集中しないと猫も遊んでもらってる感じがしないのか、乗って来ない。
私は猫と遊ぶのをやめて掃除に切り替えた。猫砂が飛び散っている床に掃除機をかけて丁寧に床を拭き上げた。身体を使って作業したせいか、気分もスッキリしてくる。晩御飯はお弁当を買ってきたので、ゆっくりとお風呂に入った。
今日の出来事に思いを巡らせていると、今まで気づかなかったことに気づいた。先日テーブルの上を片付ける際に一瞬怖くなって、「こわいよ〜」と口から出た。邪魔になるので一旦ケージに閉じ込めた猫に対して、「こわいよ〜」と言ってみた。猫は自分の立場からか、閉じ込められているにも関わらず慈愛の満ちた表情で「そうなんだね。つらいね」とも言いたげにこちらを見つめていた。
これは私の主観だけれど、私は満足して猫に力をもらった。それから私は自分を怖がらせる自分の思考に対して「お前なんか関係ない」と言い、自分のインナーチャイルドに対して「生きろ!生きろ!生きろ!」と声を掛けた。それを何度も何度も繰り返した。そしてテーブルの上は綺麗に片付いた。猫に自分の恐怖を受け止めてもらったから、自分に対して「お前なんか関係ない。生きろ!生きろ!生きろ!」と言葉掛けをしながら、最後まで作業を続けられた。そのことに診察で話せたことで気づかせてもらった。
気づいた瞬間、とても感慨深かった。「だから先生は『猫と仲良くして下さい』と言ったんだ」と何となく思った。治療では先生は自分の感情をあまり出さない。強く褒めたり励ましたりすることは、愛着障害者にとって余計なことになってしまう。愛情を掛けることも、「壊れたシャワー」くらいにチョロチョロとする方が丁度いいらしい。
先生に「猫が居たからそう出来たんだよ」と言われることもなく、後から自分で気づくことができた。それがとても嬉しかったんだと思う。