『卒業』で没になった『パンキーのジレンマ』と『オーバース』 Part2 | 懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

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懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。

 今日は。

はやくも、2020年1月が終わろうとしています。
本当なら、このブログの約束事で、新年はビートルズ物から開始することがルールになっていますが、諸般の事情で今年は別のテーマから入ります。
 

<S&Gアルバムとしてのサントラ『卒業』第二回
 :『卒業』で没になった『パンキーのジレンマ』と

      『オーバース』 Part2 >

 

 

「映画で没になった『パンキーのジレンマ』と 『オーバース』 Part1」

を書いた後に友人から、「ラジオ深夜便」 2020年 1月号

「あの日 あの時 思い出のスクリーン 58」 青柳 秀侑(ひですく)が書いているよ。
もう1月は卒業のシーズンが始まるからかなというメールが入りました。
この記事の他にも、ネット上ですがやはり「卒業』について書かれた記事を読みました。
僕はたまたまこのテーマで書いたのですが、後から考えるに確かにそんな季節なんだなとあらためて考えました。
Part1のストーリと合わせて読んでいただければ幸いです。

 

又、今回は僕のあくくまでも推測なので、みなさんがどう考えているかコメント頂ければ嬉しいです。 

 

●映画に使われなかった曲
 この映画のために書かれたと言われている2曲『パンキーのジレンマ』と『オーバース』はどこで使われるはずだったのでしょうか?
また、果たしてこの映画のために書かれた新曲はこの2曲だけだったのでしょうか?
 
<映画のために書かれた2曲>
そこで最初の命題です。
この映画のために書かれた2曲『パンキーのジレンマ』と『オーバース』はどこで使われるはずだったのでしょうか?
 
<オーバース>
 まずは、『オーバース』。
この曲、最初は『タイム・ソング』という名前でした。
このタイトルがもう語っていますね。
この曲は、最後の『ザ サウンド・オブ・サイレンス 2』」の部分だと予想されます。
熱い思いで、バスに乗り込んだ二人のこれからの人生を暗示するものとして。
 
 こんな詩でこの曲は始まります。
どうして、自分たちをだましあうことを止めないんだろう?
 ゲームは終わったよ
 いい時代も悪い時代もなかった
 ニューヨークタイムズみたいに」
 
オーバース
 曲を聞いてみましょう。

 

 

 熱い思いで一緒になったベンとエレーン。
 
歴史は繰り返すのでしょうか?
ロビンソン夫妻がそうであったように、ベンとエレーンは、夫婦としてはあまりうまく行かないのでしょう。
それを暗示ではなく、ストレートに表現したポール。
 
それに反して、「サウンド・オブ・サイレンス1」で始まったドラマを「「サウンド・オブ・サイレンス2」に繋ぐことで、反復により、見事に表現した監督のマイク・ニコルズ
孤高の青年ベンは、エレーンとの恋に落ち孤独や葛藤の中から家庭を築きますが、その先に待っているのは、一度青年の時に抜け出した孤独や葛藤。
今度の孤独や葛藤は、中年にさしかかった時に、家庭の中という舞台を別の形に変えています。
 
表現としては、僕はマイク・ニコルズに軍配を上げたいと思います。
(曲としての『オールド・フレンドタイム・ソング』は僕は大好きですが。)
 
実はもう10年以上前に本屋で小説『卒業 Part2』を見つけました。
ベンとエレーンの二人のあれからのことが書かれていて、気にはなったのですが、購入することも、手にすることもしませんでした。
『卒業』の続編だとは分かったいたのですが、読むのがなぜか怖かったので。
でも、いい機会なので今度読んでみたいと考えています。
さて、二人の運命はどうなっているのでしょうか?
 
この曲はもう一つのシーンでの使い方が考えられます。
 ベンロビンソン夫人を夫人の自宅に送っていき、そこに旦那のロビンソンが帰宅して、ベンにこの夏は羽目を外すように勧め、娘のエレーンをデートに誘うように勧めるシーンです。
もう本当に家庭が崩壊していているロビンソン夫妻の状況にもピッタリです。
もしかしたら、こっちのほうが素直な使い方かな?
どなたか、ご意見を聞かせて頂けませんか?
 
<パンキーのジレンマ> 
 続いて、『パンキーのジレンマ』について書いてみます。
〇「パンキーのジレンマ

 

 

  この曲の使われた映画のシーンについて、僕自身も色々悩みました。
ジレンマという言葉から、ずっと、ベンがエレーンを追いかけるシーン、つまり『スカボローフェア』の部分かと考えていました。
でも、どうも曲調があわないのです。
まだ僕はこの『パンキーのジレンマ』の詩をあまり理解していなかったようです。
詩を読み直して、考えが変わりました。
最初の「ミセス ロビンソン」のパート1ではないかと予想します。

 第一に、僕の記憶では、この逢引きのシーンではポールの曲は使われていなかったと思います。
(後で、検証しましょう
 検証してみました。実はS&Gの別の曲が使われていました。
 「サウンド・オブ・サイレンス1」が二人のベッドでロビンソン夫人の体にジャンプするシーンに使われていました。
  ここでも、やはりベンのテーマ=「サウンド・オブ・サイレンス1」として、ベンの気持ちを表しています。
  又、なんと「4月になれば彼女は」がここでも使われているのです。)
 
  そしてつぎの理由は、詩に出てくる中尉になる主人公と、地下室で、人を避けるように暮らす徴兵拒否者のロジャーからです。
まるで、前途洋々のベンと人を避けるロビンソン夫人のようです。
サウンド的にも、少しコミカルでこのシーンに会うと思いませんか?

 極めつけは、「パンキー」という言葉。
僕は「パンキー」はずーと人の名前と考えていたのですが、実は、人の血を吸う虫なのですね。
これは、若いベンを食い物にするロビンソン夫人のことなのでしょうか?
 
  後ろの方に、僕が訳した『パンキーズのジレンマ』を載せておきますので、興味のある方は読んでみてください。

 『ミセスロビンソン』は最初から映画のために書かれと曲と思われていますが、実は最初はポールにとっては映画のために予定していた曲ではありません。
映画製作の最後の方で、S&Gの二人が監督に確かラッシュを見せられて、出来上がった作品です。
シーンを特定していませんが、恐らくミセスロビンソンのパート2で、軽快な曲を必要となったマイク ニコルズが、S&Gにリクエストをしました。
そこに、映画とは別にポールが書いていた、『ミセス ルーズベルト』という曲をアートが紹介したと言われています。
 
<2曲が映画で使われなかった僕の推測>
 なぜ、『パンキーのジレンマ』と『オーバース』の2曲は使われなかったのでしょうか?
サウンドが理由ではないと思います。
両曲とも、出来は良く、後に『パンキーのジレンマ』『オーバース』ともにアルバム『ブックエンド』に収められていることからも分かります。

それは、主に「詩」によると思われます。
あまりに、このシーンにはまりすぎていて、この二人の気持ちを語りすぎてしまったからではないでしょうか。

 話は変わりますが、映画監督の黒沢明が、「映画と音楽は掛け算である」言っています。
また映画音楽は「音楽が必要な部分は完ぺきな音楽を書くなよ。何か足りない音楽を書いてくれと黒沢監督に言われた」語っているのを、彼の映画の音楽を担当したこともある作曲家の池辺晋一郎がテレビ「らららクラッシク」で語っています。
まさにこのことが必要ではなかったのではないでしょうか?
ポールは詩で表現し過ぎて、音楽が没にされてしまったのではないでしょうか?
 
参考までに、、黒沢は「その代わり、音楽が必要なシーンは何か足りない映像を撮る」「何か足りない映像と音楽が合わさって1になるんだ」と結んでいるそうです。
 
一般に、映画音楽は詩がなく、サウンドだけのものが多いと思われます。
そういう意味では、この『卒業』は、詩を使った曲をふんだんに使う新しいタイプの作品だと思います。
(このあとに、ビージーズの曲を使った映画『小さな恋の物語』がヒットしています。)
サウンド・オブ・サイレンス』や『スカボロー・フェア』はある意味、詩に普遍性がありましたが、この『パンキーのジレンマ』と『オーバース』は、映画のために書かれた曲で、あまりにその場面に合い過ぎて、皮肉にも、曲としては、グッドでも、映画音楽としては、やり過ぎてマッチしないことになるのではないでしょうか。
 
●もしかしたら、映画のために書かれた曲
 僕は「パンキーのジレンマ」や「オーバース」の他にもポールが映画のために書いた曲が有るのではないかと考えています。
それは、「アメリカ」動物園にて」です。
 
アメリカ
 
Paul Simon's music-1967 to 1969 (Alternative version)の2:27秒あたりにベンがエレーンを見つめる映画卒業のシーンがあります。
サウンドと詩がピッタリではありませんか?

 

 

 

動物園にて
 

 

 

 
 「何かが動物園で起きているよ」
 エレーンと
 動物園でデートするエレーンとそのフィアンセ。それを邪魔しに行くベンのシーンにぴったりではありませんか?

これについては、別のまだ考えがまとまっていませんので、今後の課題にしたいと思います。
 
 
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『パンキーズのジレンマ』
Kellogg’のコーンフレークだったらいいのに
ボールの中を漂って、映画のことについてしゃべりながら
少しリラックスして 豪勢な暮らしをする
時折LAを遊ぶレーズンに話しかけるのに
レーズンのかつらをなにげなく見ながら
 
イングリッシュマフィンだったらいいのに
最大限にトースターをいかそうとして
僕を落ち着かせたい
茶色にできあがるところだ
僕はポイゼンベリーが好き
どのジャムより
僕は「ポイゼンベリー ジャムの市民」ファンだから

Oh サウスカリフォルニア
もしも僕が中尉になったら
僕の写真をピアノの上に置いてくれるかい
「マリジェーンへ
  こころから マーティン」
  
徴兵拒否者のロジャーは
地下室のそばに去っていって
みんな知っているよ
そこでつま先で歩いているのを