懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。


今日は。
 先月から上映されている映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の原作は米国作家アンディ・ウィアー。
この作品はビートルズに捧げられているということで、映画にビートルズの『Two Of US』が使用されているということを最近知りました。

 〇The Beatles - Two Of Us // Project Hail Mary 
  


 滅亡の危機に瀕した地球の運命を託された中学校の科学教師グレースが、宇宙の果てで同じ目的を持つ異星人ロッキーと出会い、共に命をかけて故郷を救うミッションを描いているといいます。

 〇「原作に敬意を表し、彼らの楽曲を使うしかないと思った」ザ・ビートルズの楽曲使用の裏側を語る『プロジェクト・ヘイル・メアリー』特別映像
  

 さて、今回は『ドカベン』は「高2春の大会」のPart1「パーフェクト&5打席連続敬遠」(リンク)の続きです。
  
<「さとるボール」誕生:ドカベン 高校2年編2 春の甲子園大会 Part2>
●新たな視点での展開
  今回の春の甲子園大会は、Part1も含めてですが、描き方が今までと少し違います。
横浜学院谷津吾朗のレポートと、徳川の読みVS山田の読みで、話が展開されています。

●横浜学院谷津吾朗の視点で描く
吾朗が明訓内部に入り込んで、視察し土門にレポートしています。
 
1.吾朗の視点での山田と明訓
 (1) 山田の電車への”散歩”に付き合うと、揺れる電車の中、捕手のポーズで座る山田。
   真似ができない吾朗。
 (2)電車の中で通過する駅の名前を読み取る山田だが、これも真似できない吾朗。
(3)エース大橋に代り、登板した新二年生の背番号10の中不美夫がパーフェクトピッチング。
 次に当たる明訓ナインは、中のピッチングに色目きだち、各自素振りを始めだした。
 山田は、木にゴムを括り付けてのバッテイング練習。
(4)池の前にぶらさげた5円玉を捕手のスタイルで見つめる山田。
 穴の大きさが大きく見えるようにする。
 山田には相手はだれでも構わない、自分を鍛えるだけ。

2.吾朗の視点での江川学院の中 
 「敬遠投手のくやしさよりさみしそうなんです とにかく今の中くんが。」と、何かを感じている吾朗。
 実は、後でわかるのですが、この時は中にある問題が起きていました。

●徳川監督 対 山田の視点
 更に重要なのは、吾朗のレポートと、徳川の読みVS山田の読みで、話が展開していることです。
特に、1回に里中が突き指をしてから、それを隠すような山田の配給とそれに対する徳川の対応は今までになかった展開ではないでしょうか?

●ストーリー 2(続き)


 準決勝第一試合と第二試合の描き方が対照的です。
第一試合 明訓 対 信濃川高校は実際に野球中継を見ているように、小気味よく試合が続いていきます。
一方、第二試合 土佐丸高校対赤城山高校は、あっさり書かれています。 

 さあ、それではPart1のストーリーの続きです。
●準決勝
(明訓対信濃川高校)
・吾朗「拝啓土門さま この試合は今迄とは違います。なぜなら山田さんの相手は直接対戦する選手ではなく徳川さんですから」
 この言葉がこの試合を端的に表しています。


(1回表)
・投手へのサインをだすのは、明訓の選手の特性をよく知る徳川監督。
 悪球打ちの岩鬼には体制を崩すボール
 リズムの殿馬には、リズムを崩す投球
 速球には強いが変化球には弱い山岡には変化球攻めをかける。がバントで切り抜ける
・山田は敬遠とおもいきや、4球目から勝負を仕掛けるが、山田はその球を逃さず、先制2ランホーマー。
 これは計算の内、狙うは里中、と徳川監督。

(1回裏)
 徳川監督は”と金作戦”を敢行。

「バントは地味だがいうなれば将棋の歩よ。・・・一歩一歩敵陣を攻めていきゃ”と金”になり、この”と金”がたまりゃ飛車にも角にも、いやさ王将にもなるぜ」


・右打者のはずの1番打者が、下手投げの投手が嫌な左打席に入る。
 三塁前のセーフティバントで、岩鬼がハンブル。
 2番打者は里中のウエストボールを大きく乗り出してバントし、1塁ランナーは三塁に。
 3番打者がスクイズで、1点。
 4番打者はバントの構えから、山田を前に誘い、一転して後ろに下がりヒッテイングに切り替え打撃妨害を狙ったが、山田は難を逃れる。


 打者がバントに切り替えると、三塁前に転がしたボールを岩鬼が1塁への暴投で、バッターランナーは3塁セーフ。

 三塁に、岩鬼、里中、山田が集まったところで、3塁ランナーはタイムがかかっていないことを見抜き、本塁へ走り里中とのクロスプレーになるも、里中がボールを落とし1点を加える。
  その際に、里中は親指を突き指するも、右腕に包帯を巻き、ケガをカモフラージュする。

・里中はマウンドに立つと、徳川監督にばれないように、バントの球が里中の前に転がるも、突き指がばれないように、山田が処理。

(2回裏)
・徳川「(山田は)バント戦法が続くと読んで、バントしやすいスローボールを投げさせて来た。」

(3回裏)
・信濃川高校は左打席のまま、ヒッティングしてきた。
 それを見た山田は、里中に全力投球を2球させる。
 バッターは打てないと読んだ徳川監督は、山田の思惑通りにスクイズに切り替える。
 山田の前の小飛球をわざと山田はワンバウンドで捕球し、トリプルプレーでピンチを乗り越える。

(9回裏)
・懸命に逃げ切りにかかる負傷里中だが、回を追うごとに突き指の状況は悪化。
 1アウトフルベースの危機。
 徳川「下手にバントすると、伸びがあるだけにフライになる・・・無理しかないが打つしかないな」

・山田は突如、「やっぱりだめか親指の突き指」とマウンドの里中に駆け寄る。
 そこで徳川監督がとった策は、バッターを左から本来の右打席に切り替えさせた。

 山田はランナーがいるにもかかわらず、キャッチ―は地面に膝をつけてはいけないという基本を無視してきた。
 バッターはスクイズ失敗、三塁ランナーをタッチアウト。
 里中の球はノーサインで落ちていた。同時に1塁にいたランナーは三塁に進んでいた。

 次のバッターは三振。


 里中は親指を使わないでのシンカー(さとるボール)を投げていた。
 徳川監督、観戦していた犬飼監督は山田にだまされた!、と。
 「山田よ もはやわしの手におえないまでになりよった。
  わしの打倒山田は終わった」

(赤城山高校 対 土佐丸高校)


(1回表)
・投手犬飼武蔵は片目で、スローボールの投球。
 

 その中、山田と里中は変装し、病院に行く。
 テレビ:6回終わって1対1。土佐丸は木下の両投投げの前に快音なし」

 山田と里中が宿の戻ると、隻眼の青年(犬神)が、土佐丸高校の宿舎に現れる。


(9回)
ワンアウト フルベース、木下の初球の球をスクイズし、土佐丸の勝利

 決勝戦(明訓 対 土佐丸)のストーリーは、次回Part3でご紹介します。

●コーヒーブレーク
 ●甲子園の土 ~甲子園に関する話題2~
 甲子園の土はどこからきているかご存じでしょうか?
そのヒントを水島はPart1で、鳥取大砂丘学院の監督に語らせています。

 ・鳥取大砂丘学院の監督「甲子園の土は鳥取の砂丘から運ばれて来た砂だぜ」
 甲子園の土は、鳥取県砂丘の砂を使っているというのです。
調べてみると、確かに甲子園球場のHP(抜粋)にこんな解説がありました。

 〇阪神甲子園球場HP
  https://koshien.hanshin.co.jp/qa/answer06.html

 

 

  甲子園球場の黒土について教えてください。
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・黒土の産地
 岡山県日本原、三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋、大分県大野郡三重町、鳥取県大山などの土をブレンドしている。(毎年決まっているわけではない。)
・砂の産地
 京都府城陽
・黒土と砂の割合
春は雨が多いため砂を多めに、夏はボール(白球)を見易くするために黒土を多くブレンドしている。
・甲子園の土を初めて持ち帰った人
川上 哲治(1937年、夏の23回大会)という説があります。
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 さて、話を本題に戻します。

●「さとるボール」の誕生
 ●「さとるボール」
  Part2の最後は、里中が信濃川高校戦で、親指を突き指したことから偶然に投げられた「さとるボール」を考えてみましょう。
 「さとるボール」は親指を使わないシンカーです。


  このさとるボールに極めて近いボールを投げていたのが、西武ライオンズの黄金時代を支えた押さえの切り札・潮崎哲也投手。
一瞬ふわっと浮き上がり、そこから鋭く落ちるシンカーを武器に三振を量産し、「魔球」とまでいわれました。

 潮崎選手のシンカーも中指と薬指でボールを挟みで抜くというもの。その落差はさとるボールを上回っているという声もあるが、ボールの軌道などは「似ている」と見る人もいる。

  〇潮崎哲也 魔球シンカー  奪三振ショー

 



 ●水島新司と「魔球」
 ところで、「さとるボール」は魔球なのでしょうか?
 その答えが、下記のHPにありました。

  〇まさに「野球狂」水島新司マンガから生まれた発明の数々
  https://qjweb.jp/news/64897/

 


  オグマナオト(ライター/水島新司評論家)と、ツクイヨシヒサ(野球マンガ評論家)の対談(ショック!水島新司、漫画家引退徹底討論)で、水島の多大な功績を語っている。
 「さらに、70年代は主流な表現だった「魔球」を描かなかった点も特徴。
 それは「原理を説明できないことは描かない」という(水島の)哲学から来ていたと両氏は語る。

  水原勇気『野球狂の詩』)の「ドリームボール」は、原理を紐解けば下手投げからのスクリューボール。里中智(『ドカベン』)の「さとるボール」は下からのシンカー。
 のちに西武・潮崎哲也の決め球として現実のプロ野球で実現しているのだ。」

  「さとるボール」は新しい球種ではありますが、水島新司にとって理屈のないハチャメチャ?な魔球ではないようです。