懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。


 今日は。
 今年2026年の甲子園の春の大会は、大阪桐蔭智弁学園を7―3で破り、歴代最多タイ5回目の優勝を果たしました。
残念ながら、沖縄尚学夏春連覇横浜高校春の大会二連覇もなりませんでした。
 さて今回は、暫く間があきましたが「ドカベン 高校1年編 7 」(リンク)に続き、明訓の春夏連覇をかけた高校二年生の甲子園春の大会をお届けします。
その前に、最近お気に入りの本田美奈子の曲をきいてください。

 

 〇新世界~

 



  
<パーフェクト&5打席連続敬遠 ドカベン 高校2年編1 春の甲子園大会 Part1>




●「高2編」プロローグに代えて
~甲子園史と新たな伝説~

 唐突ですが、ストーリーの説明上、最初に甲子園史を紐解いてみます。

●甲子園春夏連覇
 甲子園の春夏連覇を最初に成し遂げた高校はどこかご存じですか?
それは栃木の作新学院で、1973年に達成しています。
ただ春と夏で、エース投手が異なります。
 春の選抜は後にロッテに進んだ、制球力抜群の八木沢荘六でした。
ところが夏の大会の開会式で八木沢は赤痢と診断され、代わってマウンドを決勝まで務めたのは、控え投手だった加藤斌(かとう たけし)でした。

 〇【昭和の甲子園 真夏の伝説(7)】エース八木沢が感染症…試練乗り越え作新学院が史上初の春夏連覇
   


  今回の『ドカベン』高校2年の春の選抜大会では、栃木の江川学院には背番号10の(あたる)と「ミラクル」エースの大橋の二人の投手がいます。
さすがに春夏の連覇はしませが、ここでは理由は明確にされていませんが、エースの大橋の代り背番号10の中は2回戦で先発し、尾張第一高校相手にパーフェクトピッチングを達成してしまいます。
高校球児で、パーフェクトやノーヒット・ノーランと言えば、作新学院の江川卓でしょう。

●江川卓と水島新司
 その作新学院は、江川卓を擁し、1973年に春夏と甲子園に出場し、再び旋風を起こしています。

●江川卓
 高校時代の江川の活躍は「怪物」として語り草になっています。
ストレートがホップするとか、高校生時代の江川が生涯で一番速かった、とか。
作新学院1年時夏に栃木大会で完全試合。73年初夏甲子園出場。春は60奪三振で記録を持ちます。

  〇週間ベースボールオンライン
   https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19550002/

 


  その凄さを画像で確認してみましょう。
〇【昭和の怪物】高校野球史上最強・江川卓!ノーヒットノーラン・完全試合を連発した伝説の投手のプロ野球人生とは!

 
  
 甲子園での活躍を『水島新司の世界 ドカベン&大甲子園』から見てみましょう。


●怪物江川と呼ばれた史上最強の「甲子園の星」
・初めて甲子園のマウンドにたったのが、3年生の1973年春の選抜。
この大会で全国デビューを果たした江川は60奪三振を記録するも、ベスト4で敗れる。
・1973年夏の栃木県予選は5試合の内3試合をノーヒット・ノーランで勝ち、甲子園に出場
 大雨の中、銚子商業との2回戦、延長12回裏1死満塁で、江川が投げたストレートが大きく外れ、満塁押し出しで敗退。

●江川と水島
 江川と水島の関係は深いものがあります。
再び、『水島新司の世界 ドカベン&大甲子園」から見てみましょう。

・江川に会いたくて居てもたってもいられなくなった水島は、作新学院が泊まっていたホテル芦屋に部屋を取って、アシスタントを連れ、「ドカベン」の仕事を持ったまま、宿舎に乗り込んだ。

 試合のない日、江川が『ドカベン』を描くのを見に来てくれて、アシスタントとしてベタ入れてくれた。
水島は一緒にふろに入り、その時の江川の高校生には見えない背中にびっくりして「いい体しているな!」と声をかけると、水島は江川に「ブリキみたいですね」と言われた。

 近くの芦屋公園で江川とキャッチボールをした。
10球だったが、3球カーブを投げ、それをキャッチした水島に対し、「オレのカーブが取れるのはすごい」と江川の一言。

●僕Kaneの補足
 実は、この後も江川が進学した法政大学在学中も、江川と水島の交流は続きます。
以前どこかで、書いたと記憶していますが、これについては別途。


●ストーリー ネタバレがあります。注意
 今回の高校2年春の大会編では、その江川をモデルにしたのではないかと思われる中が登場します。
そして甲子園の歴史関連の題材が散りばめられています。

●新しい登場人物
 中 不美夫(あたる ふみお): 江川学院 投手背番号10 甲子園でノーヒット・ノーランを達成


●ドラフト会議
 ドラフト会議が迫り、土井垣犬飼兄の去就に注目が集まる。
土井垣は明訓が負けたらプロ野球入り、犬飼は明訓を破ったらプロ入りすると宣言する。

 甲子園に向かう明訓高校の新幹線の席に、明訓の応援を大儀に、明訓を研究するために横浜学院の谷津吾郎捕手が突如現れる。
今回も、明訓の宿舎と土佐丸高校の宿は同じ「芦田旅館」

●予選第1回戦 
 高校2年春の甲子園は、、各チームの1回戦から水島は書き始めている。
(明訓 VS 桜島大商高)
 明訓の圧倒的有利の下馬評であるが、開会式直後の試合のためか、開会式直後の試合は選手をまるで変えてしまう。
8回表まで0対0、打席に入って里中の当たりはレフトのフェンスを越え、ソロホームラン。
その後、山田のダメ押しツーラン。
ノーヒットにしょげる殿馬。

 吾朗の山田の調査は始まる。
山田の電車への”散歩”に付き合うと、揺れる電車の中、捕手のポーズで座る山田
真似ができない吾朗。
 通過する駅の名前を読み取る山田だが、これも真似できない吾朗。

( 北の誉高校 vs 土佐丸高校)
 マウンドにいる犬飼武蔵。
 土佐丸高校の選手は、なぜか全員黒い眼帯をつけてプレーしている。

 9回裏 土佐丸高校がスクイズで勝ち越し。

(信濃川高校 vs 新居浜高校)
 テレビで甲子園の他校の戦を観戦している明訓ナイン。
なんと、徳川前クリーン ハイスクール監督が、全員が低身長で、長野の貧打で防御率No.1の投手古川のチーム信濃川高校の監督になっていた。

 8回まで新居浜の投手にパーフェクトに抑えられていたが、この回から突如、4番の上大川の初ヒット・初ホームランに続き、打ち始める。
10点を獲得すると、監督の三振命令で、試合を止める。

●予選2回戦
(鳥取大砂丘学院 VS 明訓) 
・4回まで3対3の同点で、里中も苦戦。
・5回 3塁のランナーが本盗、打者2ストライクバントを決め、勝ち越し。
 大砂丘学院 監督「わしらはガキの頃から この砂に足がなじんでいるんだぜ」
 「甲子園の土は鳥取の砂丘から運ばれて来た砂だぜ」

・7回裏、山田の満塁場外ホームランで勝ち越し。、
 
(尾張第一高校 vs 栃木江川学院戦)
 エース大橋に代り、登板した新二年生の背番号10の中不美夫がパーフェクトピッチング。
・次に当たる明訓ナインは、中のピッチングに色目きだち、各自素振りを始めだした。
 山田は、木にゴムを括り付けてのバッテイング練習、
 それを陰から観察していた吾朗はそれに驚く。

(明訓 VS 江川学院)
・1回表
 1番投手 中
 里中は中の打撃を見極めるため、1球目ど真ん中のストレートを中に投げ込む。
その球をホームランにし、悠々とダイヤモンドを走る。 
 「”怪物くん”出現」

・1回裏
 中のスローボールに岩鬼凡打、殿馬は”秘打 なすがまま”で、打席の後方に立ち、中が投げにくくなり、フォアボール。
2死ランナー無しで山田を、なんと敬遠。
 微笑は三振を取る。

・4回裏
 明訓 ノーヒットの中、再び山田を敬遠する中。
 
・7回裏
 ノーヒット・ノーランの中で、4番山田からの打順で敬遠。
 5番微笑・6番石毛にバントをさせ、7番山根に期待するも、なんと、中のいわき東の緒形にも匹敵するフォークで三振。

・8回裏 8番北が四球を選ぶと、里中は強打の構えから、バントするが三塁手がハンブルするも、結果はヒットで、2試合連続のノーヒット・ノーランが破れる。
 岩鬼にデットボールで、満塁に。
 ここで、土井垣監督がとった作戦は、ダブルプレーが無いように2番殿馬、3番石毛に三振だった。

 二死満塁の中で、こともあろうに、投手中の投球は依然敬遠!で、1対1の同点に。


 

  アナウンサー「まったくこんなことが かつて長い高校野球球史に、あったでしょうか・・・いえ、おそらく無いでしょう。なくて当然 二死満塁の敬遠なのです」
 4万観衆からは罵声が飛び、見ていた徳川信濃川高校監督、犬飼たちは、土井垣の三振の作戦、それでも敬遠を指示した江川学院監督に呆れる。
 、
 吾朗「拝啓土門さま 山田さんの敬遠はただの敬遠ではないような気がするのです。」

・延長の10回裏
 里中フォアボール、山中センター前で、4番山田も、5度目の敬遠。

・12回裏
 岩鬼が敵失で生き、2番殿馬。
 岩鬼は、勝手に三盗する。
 殿馬のリズムが合って来たと感じた中はスロー・ボールに切り替えた。
 ここで殿馬は”秘打回転木馬”で一度回ったバットでバントのような打球。
 ボールは中の前にショートバウンド。
 間一髪アウトのコールに執拗に食らいつく殿馬、中も一塁に注目する中、岩鬼がホームへ入り、明訓サヨナラ勝ち。

 吾朗「敬遠投手のくやしさよりさみしそうなんです とにかく今の中くんが。」

 ここで、ストーリーのご紹介は一旦、やめて残りはPart2に譲ります。

●想像から現実へ
●江川学院 中 投手
 『ドカベン』では、江川学院の中が2回戦で、パーフェクト・ピッチングを見せます。
しかし、第三戦の明訓戦は好投をしますが、4番山田は5連続敬遠。
 中投手の5連続敬遠はその後、現実の甲子園大会で行われます。
それは1992年の星稜高校松井秀喜選手の5打席連続フォアボールです。

この水島予言について、『日本野球はいつも水島新司マンガが予言していた!』からご紹介します。
(写真:)

●星陵高校 松井秀喜
 漫画『ドカベン』では1977年江川学院中投手は明訓の山田以外の打者にはノーヒットノーランの好投を見せるも、4番山田にはまさかの5打席連続敬遠。
甲子園に怒号&帰れコールが鳴り響きます。

 それから約15年後の1992年に今度は実際の甲子園球場に「怒号&帰れコール」が轟ます。
それは星陵高校4番・松井秀喜明徳義塾高校が行った 伝説の「5打席連続敬遠」です。

 漫画での敬遠が実際に起きたのです。

 も少し詳しく説明しています。

○「5打席連続敬遠」が成り立つのは山田太郎と松井秀喜の両怪物だけ 
 甲子園球場からラッキーゾーンが撤去されて迎えた1992年。
高校球界を席巻した怪物が「ゴジラ」と呼ばれた石川・星稜高校の4番松井秀喜。
 春の選抜では1試合7打点に2打席連続弾&2試合連続弾など、当時の大会記録を次々達成。

ラッキー・ゾーンの撤去で「本塁打減」が予想されていたのでなおのこと、その超高校級のパワーと打撃センスがより際立ったことになった。
 

 特に問題になったのは土壇場9回表の第五打席、2対3と1点を追う星稜の攻撃。
2死三塁、単打やエラー、暴投、捕逸でも同点という場面で、4番松井に打順が回って来た。
もし、松井が塁に出れば逆転のランナーになる‥‥という厳しい状況でも、明徳義塾は松井との勝負を避けて敬遠四球を選択。
松井が一塁に歩いた後、明徳義塾への不満と抗議で応援席からメガフォンやゴミがグランドに投げ込まれ、試合が一時中断する騒ぎとなった。


 試合再開後、次の5番打者が倒れゲームセット。
だが喧騒は球場の枠を超え、日本中にで議論を起こす社会問題へと発展。
松井との勝負を避けて試合に勝った明徳義塾の馬淵史郎監督の作戦は「高校野球は勝利至上主義でいいのか」と賛否を呼び、バットを一度も振ることのなく敗れた松井秀喜は伝説の存在になった。

・松井秀喜本人のコメント

ドカベン文庫版6巻で松井秀喜本人が巻末の「解説」で、この5打席連続敬遠についてコメントしています。
「甲子園大会ではやはり、”5打席連続敬遠”が一番の思い出かな。僕は一度は勝負があると思ったんですけどね。
『ドカベン』の中では、山田太郎が5打席連続敬遠されながら、明訓は勝ったんですよね。でも僕たちは負けましたから…・」


・水島が松井との対談でこの「5打席連続敬遠」をなぜ描いたか

 その松井の場面をどう見たか「週刊ベースボール」1994年1月3日・10日の記事
「ランナーがいなくても、どんな条件でも敬遠。
 絶対にありえないと思っていることだから描くの。夢の世界だから。
それを現実にやらせた選手が現れるなんて想像もできなかった。

(中略)
弟子たちに『ドカベン』の5打席連続敬遠のところを持ってこさせて、テレビにかじりついていた。
相手のピッチャー、相手の監督を本当に応援したよ。
頼むから続けてくれ、ここまで来たらやってくれ、とね。

 1・2回戦の物語はどうだったでしょうか?
次回Part2は準決勝までをお届けする予定です。