今日は。
オックスフォード英語辞典(OED)は2025年12月の改訂で、「Ekiden(駅伝)」「yokai(妖怪)」をはじめとする日本由来の言葉11語を追加したとの発表が1月にありました.。
2024年3月の改訂で、 Onigiri(おにぎり)、Karaage(唐揚げ)、Donburi(丼)の食文化や、 Isekai(異世界)、Mangaka(漫画家)、Tokusatsu(特撮)などアニメ文化等に関連する言葉23語追加されています。
英語世界への、食文化のメイカルチャーはもとより、日本のサブカルの浸透が伺えます。
さて、今回は、ビートルズのオリジナルではないのですが、漣健児が日本語カヴァー・ソングに仕立てたこの曲を聞いて下さい。
〇ザ·キューピッツ ミスター・ムーンライト
この曲は、65年に「コロンビア」からデビューし、合計4曲のビートルズ・日本語カバー曲を残しているザ·キューピッツのシングル『シー·ラヴズ·ユー』のB面です。
A面の『シー·ラヴズ·ユー』は作詞は漣ではなく島村葉一なので B面曲をお届けします。
ちょっとザ・ビーナッツ風なデュオで、歌は少し聞けますね。
<ビートルズと漣健児 Part2>
先週「60年代の日本でのビートルズ熱の高まりと『ミュージックライフ』」(リンク)は、64年頃の日本でのビートルズ熱が高まる様子を、雑誌「ミュージックライフ」から見てみました。
今週は、再び「漣とビートルズ」に話を戻します。
日本でビートルズ熱が高まっていくのに、なぜ漣が日本語カヴァー・ソングー翻訳詞ーから離れていったかを考えています。
Part1(リンク)では漣の見解とそれに対する僕Kaneの考えをまずご紹介しました。
色々と書きましたが、一言でいうとビートルズそのものと彼らの歌は唯一無二のモノということになるのかもしれません。
今回のPart2では、まず作家の高橋克実の見解をご紹介します。
●作家高橋克実の見解とKane
●作家高橋克実
前にご紹介した「新しい音楽」の中から、1947生まれで、作家の高橋克実の見解をご紹介します。

それは、ビートルズの頃から(日米あるいは日英)同時に発売するというのが当たり前になってきた。
それまでは日本というのは、向こうで流行ってて「ビルボード」で評判になってから、そこからチョイスして日本のレコード会社が発売を決めていたでしょう。
二ヶ月から三か月ぐらいブランクあったわけね。
だから我々は原曲を聴く前にカバー・ポップスを聴くことが多かった。
原曲の前に日本語が馴染んじゃった訳ね。
ところがビートルズのときになってから、世界同時発売という形になって、カヴァー・ポップスが浸透する前に、ビートルズが耳に入っちゃうわけでしょう。
その違和感だったんじゃないかな。
ビートルズが好きだったせいもあるんだろうけど、最初「東京ビートルズ」の歌詞なんか随分安易につけてるなと思ったもの。
でも、今あらためて聴くとあれ(Kane補足:漣訳)、やっぱりセンスありますよ、東京ビートルズの歌詞はね。
結局それが馴染まなかったというのは、絶対、同時進行的にそういうシステムにレコード業界が移り変わっていったといいことだと思う。
●僕Kaneの見解
●高橋克実説への違和感
僕は、この説にも違和感がありました。
1960年代はまだまだ日本と米国のレコ―ドの発売時期にまだまだブランクがあったのでは・・・、と。
ネットでしか調べていませんが、世界同時販売は’67年リリースの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』からのはずです。
それまではやはり発売時期に差があります。
日本で最初のザ・ビートルズ名義の曲は、一般的に1964年2月5日に東芝レコードから発売された「スリーファンキーズ」(リンク)の『抱きしめたい』です。
このシングルは米国では、1963年12月26日に発売されていますが、英国では1963年11月29日発売ですから、英国発表より約3か月の差があります。
●僕Kaneの推測 ー音楽市場の変化
僕が推測した、ビートルズ日本語カヴァー・ソングが日本で受けなかった理由を書きたいと思います。
①シングルからアルバムへ
1950年代から60年初期の英国・米国は、シングル中心でした。
が、60年中期から、シングルからアルバムにレコードの中心が変化してきます。
それはアーティスト自身とレコード会社の2点で考えられます。
アーティストは自身の作品を表すのに、シングルではなくアルバムという形態を重んじたと考えます。
自分の考えを表すのに、アルバムの方が適していると。
例えば、ボブ・ディランの登場はシングルではなくアルバム・デビューですし、1963年8月に米国にてシングル『風に吹かれて』は発売されますが、それは63年5月リリースの2NDアルバム「フリー・ホイリーン」(リンク)からのシングルカットです。
『時代は変わる』は、3RDアルバム「時代は変わる」に収められ、米国ではシングル・カットされていません。
そして、それは、一般リスナーはもとよりアーティトにも影響したのではないでしょうか。
具体的にはザ・ビートルズの「ラバー・ソウル」や、ザ・ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」といったアーティストに影響し、アルバムを「一貫したテーマや物語を持つ芸術作品」として扱うようになりました。
アルバムのメインのシングル曲は日本語で聴き、それが収められるアルバムの他の曲は英語となると、アルバム的にバランス上難しいと思います。
そうなると、日本語カヴァー・ソングの存在が難しくなります。
(ただ、ビートルズは、初期は、シングルとアルバムを別物に考えていたと考えますが・・・。)
②英語の曲の大衆化
1950年代と異なり、60年代は、海外アーティストと英語の曲への土台ができてきていました。
それは二つの要素があると考えます。
一つは、漣健児自から出版していた雑誌「ミュージックライフ」の功績です。
ビートルズを始めとする米国、英国のアーティストを紹介するのがミュージックライフだったのではないでしょうか?
この雑誌により、「60年代の日本でのビートルズ熱の高まりと『ミュージックライフ』」」でみ見て頂いたように、日本において海外アーティストの情報は豊富に広報され、外国語による表現・伝達が一般化してきました。
二つ目は、60年代は、日本における一般大衆の英語に対する壁が低くなったためだと考えます。
50年代はまだ英語を受け入れる環境が日本にはなかったと推測します。
慣れない英語では、人々は音楽を楽しめません。
だから、英語や他の言語を日本語にし、人々が気軽に楽しめる日本語訳のポップスがヒットしたと思います。
ですが、60年代の日本人はアメリカ文化へあこがれ、それを理解するための英語を勉強しました。
僕の個人的体験を書きますと、好きだったサイモン&ガーファンクルの詞を理解するために、英語の辞書を引きまくりました。
●コーヒー・タイム
いい機会ですので、他のビートルズ日本語カヴァー・ソングを聞いてみましょう。
トップでご紹介したザ・キューピッツの『エイト・ディズ・ア・ウィーク』
〇エイト・ディズ・ア・ウィーク/ザ・キューピッツ
●再び 漣本人の見解②
こう考えていた時に、Part1でご紹介した漣がビートルズの登場で、日本語カヴァー・ソングが廃れた?との発言の漣本人の書いたものが見つかりました。
●漣の発言のまとめ
〇漣さざなみ健児イロいろアリーナ Part.1
〇漣さざなみ健児イロいろアリーナ Part.2
ここから少し抜粋し、ご紹介いたします。
〇日本語詞に向かない曲の登場
なんといってもビートルズの登場と、それにより続々とアーティストのメッセージがポイントとなる曲、ボブ・ディランやサイモン&ガーファンクルの登場こそが、日本語詞やアダプテーションに意味がないことになっていったのです。
そして、日本でもグループ・サウンドを中心に、またフォーク・ブームをフォローの風としてオリジナル・ソングがもてはやされていく時代に繋がっていったのです。
〇「エレキ・ギターなかりせば
≪ラジオ≫から≪テレビ≫へと、音楽の媒体伝播力が静かなうちにもしかし確実な産業革命の中にとりこまれていく一方で、レコードの形態の主客の座が78回転のアセテート盤から45回転のEP盤・33回転のLPレコードへと変化・変質しはじめていた背景をみすごせないことだ。
それに伴う音響機器と再生機器の日進月歩の進化と発達も手伝って、否応もなく世は歌の世界を容赦なく変革させていく方向に向わせていったのだ。
加えて特筆しなければならないのはエレキ・ギターの爆発的な普及とカセット・テープの劇的変化と急激なマルチ化であろう。
〇ビートルズの革命
そのアメリカン・グラフィテイの象徴的な二大スターが、エルビス・プレスリーとビーチ・ボーイズに代表され、ゆるぎないものとされていた。そこに世界のポップ・シーンをいきなり変えてしまう革命児 ビートルズがローリング・ストーンズらとともに登場して、音楽の世界から思考と思想を吹き込んだファッションの世界に至るまで、そして何よりも歌の流行のメカニズムのセンターにいたディスク・ジョッキー達の手から、すべてを革新させてしまったことだ。
また、聴いている人達の英語力も50年代とはかわり、また歌手のメッセージとしての歌詞に重い意味があることになってきたのだ。
アクセントとかイントネーションといった微妙な歌いまわしをスッ飛ばしてしまったハード・ロックもパンク・ロックも、そしてストリート・ロックも、実は歌詞とか詩としてより、メッセージとしての意思を「伝達することば」に意味があるようになっていく。
●漣の見解のKaneの解釈
漣の「日本語詞に向かない曲の登場」で、日本語詞が意味のないことを①ビートルズの登場それに続く②ボブ・ディランやサイモン&ガーファンクルの登場としています。
総括的には、それでいいと考えますが、ビートルズの初期と中・後期に分けるべきだと思います。
〇ビートルズ初期
ビートルズの登場が米国で、「歌の流行のメカニズムのセンターにいたディスク・ジョッキー達の手から、すべてを革新させてしまった」
それの影響で、もしくはそれと同時に「ボブ・ディランやサイモン&ガーファンクルの登場」が「続々とアーティストのメッセージがポイントとなる曲」が登場した。
それが日本にも伝播してきた。時を同じにして、日本では日本人の英語に対する苦手意識がなくなり、英語に親しみを持てるように変改していて、50年代にはなかった、「聴いている人達の英語力も50年代とはかわり、また歌手のメッセージとしての歌詞に重い意味があることになってきたのだ。」
〇ビートルズ中期から後期
ディランの影響はビートルズにもおよび、ビートルズもメッセージを持った曲を作り出すようになります。
そのため、初期にはビートルズの日本語カバー曲が存在しますが、中期から後期は日本語カバー曲ではなく、英語でのカバー曲が多く発表されるのではないのでしょうか?
余談ですが、ディランの60年代に発表された日本語カバー曲は、僕は聞いたことがなかったのですが、あるにはあったのですね。
〇Don't Think Twice, It's Alright 友部正人
90年以降は、(1990年)三ルチルの「ミスター・タンバリンパン」、高野寛(2018年)、「天国への扉」アンジェラ・アキ(2009年)等々の日本語カヴァー・ソングがあります。