革鞄が大好きです。
鞄だけでなく小物ももちろん好き。
革のお手入れをする時間は、本を読んでいるときと同じくらい至福のひとときなのです。
革製品を扱うメーカーの中でもお気に入りのところがいくつかあって、
土屋鞄製作所、KAKURA、ojagadesign、genten、HERZなど。
特に好きなのがHERZ。
理由はいくつかあるけれど、一番は《バランス》です。
きちんと、と、あそびゴコロ、のバランスがとても良いから。
シックすぎる革鞄はなんだか息苦しいし肩が凝る。何より見ていると眠くなる。
カジュアルすぎる革鞄は付いて行けないスピードで走り去ってしまいそう。少し寂しい。
HERZの鞄は一緒に歩いて散歩ができる感覚です。

そんなHERZ鞄の中でも特に好きなラインはorgan。
シンプルだけど可愛らしさがあるんです。たまらない可愛らしさ。

そこでひとつご紹介。
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この鞄はオンラインショップや地方店舗には出ていないサンプルのバッグなんです。
だから品番も名前もまだ無いんです。これから付くのかな、どうでしょう。
仕上げたあとに水を入れて揉み込む“洗い加工”が施されています。
そうすることでこの特徴的で独特の皺が出るんだそうです。
イタリアンレザーで元々たっぷり油分が含まれているのでお手入れも簡単。
ミンクオイルやラナパーなしでも使っていくうちに艶が出てきます。
雨が降っても拭いてあげるだけで大丈夫ですよ、と職人さんが話してくれました。
最初は硬くてごわついていた革が少しずつ馴染んで柔らかくなっていく様子は、
まるで人との関係を築いていく過程にそっくりで、これも楽しさのひとつ。

ファスナーやホックなどの留め具は一切なくて、
癖づけされたフラップを合わせてかぶせるだけの包み込むようなデザイン。
内側に定期入れをしまうのにぴったりなポケットがひとつ。
しっかりしているのにあまり重くないので楽に持つことができます。
電車に乗って座ったとき、待ち合わせで早く着いてベンチに座ったとき、
膝の上にこの鞄を乗せると入口のところのカーブがちょうど体にフィットして絶妙。
意外なところで気が合うな、という小さな発見があるところも、
やっぱり友達と親しくなるときに似ているかもしれません。

色はアンバー。
チョコも黒も良いけれど、アンバーの深い色合いと皺の風合いは最高の相性です。


今回は箱庭円舞曲さんの『円』というお芝居のことを書きたいと思います。
作品のことを書く前に、なぜ私がこの舞台を観るに至ったかという話を書きます。

昨年3月、新宿FACEと森ノ宮ピロティで上演されていた『誇らしげだが、空』という舞台を観ました。
小林健一さんがご出演されている、というのが私の観劇の目的だったのですが、
舞台を観ていて、ふと、ひとりの俳優さんをとても良いなぁと思ったんです。
それが“寝愚僧”という落研サークルの大学生を演じていた須貝英さんでした。

地方に住んでいるので、なかなか観たいと思った舞台に必ずしも行けるわけではなく、
いくつもの「タイミングが合えば観たかったな…」という想いを繰り返しながら1年が過ぎました。
その間、私はずっと須貝さんのブログを読み、呟きを読んでいました。
彼の文章は、どこに居ても、遠くに居ても、触れることのできる上質な表現でした。
同じように世界を見ている感じがする、同じように自己や他者や事象を分析しているように感じる、
物を捉えるときの視点や切り口を新鮮というよりは安心だと感じる、そう思いました。
こんな風に考えている人が私の他にもちゃんと居るんだ、と思ったんです。
それはとても救済に似た感覚です。
そんな人が、私なんかよりもずっとずっと素晴らしい文章で、想いを綴ってくれている。
読んでいるといつもにやにやしていました、嬉しくて(笑)

もしも無人島に1冊だけ本を持って行けるなら、須貝さんのブログを印刷して綴じ本にしよう、
あるいはそれまでに書籍を出版してくれるといいな、とまで思っているくらいです。

前置きが長くなってしまいましたが、これが今回この舞台を観るためだけに東京まで行った理由です。
企画のコンセプトや作品のテーマを読んで、今の自分に必要だと思いました。
それに何よりも、役者・須貝英を観たかったんです。

『円』は今まで上演されてきた箱庭円舞曲の作品の登場人物たちにスポットを当てた、
オムニバス形式のスピンオフ作品です。
私は初めてこの劇団のお芝居を拝見したので、出てくる登場人物たちはみんな初めての人々。
バックグラウンドがあればより味わい深く観ることができたかもしれませんが、
何も前知識がない状態でもそれぞれの短編の世界観や空気感にはすぐ引き込まれました。

イントロとエクストラを含む合計12の短編集です。
それぞれが独立した物語ですが、出てくる人たちがちょっとずつ他の短編とも繋がっていて、
あ、この子はさっきの話のあの子と同じなんだな、という箇所が沢山ありました。
その人物たちの様々な場所での多様な一面を覗き見ているような不思議な感覚です。

須貝さん(Twitterではいつも英ちゃんって書いてるので違和感があるけどまぁブログなのでw)
が演じていたのは人事室室長の乾くんと、ゲイの芸術家・光岡。
観ている人がその登場人物をマスコットのように感じて思わず好きになってしまうような、
そんなお芝居を見せてくれる役者さんがいる一方で、
目の前に居るその登場人物がただそこで生きている様を、
昨日も明日も今日と変わりなく生きていくであろう景色を、
観ている人が思い浮かべることができるような、そんなお芝居を見せてくれる役者さんもいて、
須貝さんは後者なんだと私は思っているのです。
もちろんどちらの要素も役者さんというのは兼ね備えていらっしゃるとは思うんですけど。

乾くんは、「あぁ、いるなぁ、こういう人(笑)」って思うんです。
いるなぁと感じることは、リアルで、人間的で、“必要不可欠な無駄”が沢山あるってことです。
無駄を全部削り取ってしまうと、それはただの記号になってしまうから。
記号みたいなお芝居は、分かりやすいけれど私は好きではないんです。
だからいつも、温度が感じられる表現が好き、掠れや歪みやノイズが残った表現が好き、と書きます。
乾くんにどこにでも居るようなリアルを持たせながら、
けれどその瞬間、その舞台の上にしか居ない意味を背負わせて存在させていた須貝さんを観て、
私はまた彼の文章を読んでいるときと同じように、少しにやにやしていました。

光岡はゲイで、玉置玲央さん演じる親友の健二のことがずっと好きで、
想いを伝えようと何度も試みるんですけど、如何せん消極的なのでいつもうまく行かず、
そうこうしているうちに健二がこんなことを言い出すんです。
「俺、結婚する」
びっくりして、ひたすらびっくりして、光岡は動揺しまくっているんですけど、
そこにさらに追い打ちをかけるように(もちろん健二にそのつもりはない)この言葉。
「光岡」
「な、なに?」
「挨拶、お願いしたい」
「……」
「友人代表挨拶」
ここで沈黙があって、
「…分かった」
となるのですが、この「…分かった」を言うまでの須貝さんの表情がとてもよかったんです。
客席が三方向に設置されているタイプの舞台だったんですけど、
私はちょうど目の前でこのシーンを観ていて、
このなんとも複雑極まりない状況の光岡が《沈黙》の間に見せた様々な感情、
もっと早く伝えていたら何か違ったのだろうかという後悔とか、
これでもうこの想いを伝える機会は永久に失われたのだという喪失とか、
愛する人の幸せをなぜ無条件に喜んでやれないんだという自分への嫌悪とか、
それでもやっぱり大切な人が自分に向けてくれている信頼を嬉しいと感じるどうしようもなさとか、
いろいろ飲み込んだ上で口にする「…分かった」という一言と曖昧な微笑み。
この日の空が彼にはどんな色に見えたのだろう、
この日の夜はどれほど長く、夜明けはどれほど途方もない彼方に感じただろう、
と、そんなことを思いました。

ただただ次々と展開されていく、一見なんの関わり合いもないように感じられる12の物語が、
観終わったときにはなんとなくそれぞれ繋がっていたり重なっていたりしていて、
誰かと誰かがいつかどこかでちょっとだけすれ違っていたりして、
そう思った次の瞬間、あぁこれって人生そのものだなぁと気づかされました。
観ただけでその感覚に到達できる、到達させられるって、凄い作品だと思いました。
得られたものは、《感想》ではなく《感覚》です。

他のキャストの方々も魅力的な方がとても多かったので、また改めて書けたらいいなと思います。
観に行って本当によかったです。
この作品のおかげで私の円と須貝さんの円の一部が重なったことを幸せに感じました。
多くの作品でさらに円が重なって、新しい色に出逢えるといいな、と思っています。

須貝さんとこの作品を創ってくださった方々に感謝しています。
そして、私にこの作品をどうしても観に行ってほしいとずっと言ってくれていて、
観に行くと決めたことを誰よりも喜んでくれた友人に、心から感謝しています。



前回の記事では主に津田さんの役について書いたので、今回は他のことなどを。

さすがに複数公演観ていると、
いろいろな場面で「あ、こんなことしてたんだ」と見つけられることがたくさんあるんです。
そういう《発見》を経て、とても良いなぁと思った登場人物、キャストさんについて。


まず、タモト清嵐さん。
生徒役の皆さんは、元のクラスメイトと新しいクラスメイトを兼ねている方がほとんどでしたが、
タモトくんが演じていた二人がいちばん対照的というか、まったくカラーの異なる人物だったなと。

面白いなぁと本当に思ったのは《山内》です。
旧クラスの雅彦と、その連れにあたる新クラスの渡部。どちらも佐藤永典さんの役。
その渡部の後ろの席に座っているのが山内なんですけど、
細かく観ているとすごく渡部と山内の関係性が見えてくるんです。
新しいクラスにやってきた悠也と直人は、もちろん事故のことを引きずっているし、
リストに添ってわりと突拍子もないことを突然やったりするわけですが、
クラスメイトは当然戸惑うし反発するんですよね。
その中で、渡部って細かく見ているとときどき様子がおかしいんです。
理由は最後に明かされる《渡部は雅彦の連れだった》という事実によるもので、
それが分かって振り返ってみると、
あぁだから雅彦は、他のクラスメイトたちがただ二人を拒絶する場面でも、
それとは少し異なる反応、客観性を持ちきれていない態度を取っていたんだな、と分かる。

そう思って次の公演で渡部を観ていると、
その後ろに座っている山内がさらに細かく《渡部は雅彦の連れだった》に即していることが分かります。
「こっちがなんも言えないのが分かってて突っかかってくるのは卑怯だ」という神野の言葉に、
「なんにも言えないのは俺たちが“奇蹟の生還”だからか?」と悠也は返す。
そして新聞を取り出して読み上げるんですね、
「《“奇蹟の生還”なにが生死を分けたのか?》」と。
その挑発的な言い方にもちろん雅彦を亡くしてる渡部は反応するんですけど、
山内も同じタイミングで渡部のことをひっそりと止めて抑えているんです。
そのくせ、先にキレるのは山内。
山内は凄く冷静で賢い人なのだと思います。そして同時にとても優しい。
彼は自分のために悠也や直人にキレているわけではなくて、
渡部のために怒ったり、憤ったり、腹を立てているんだな、というのが伝わるんです。
悠也がラジカセで音楽を大音量で流すシーンも、山内は常に渡部のことを気に掛けていました。
ポンって肩に手を置くシーンが何度かありますし。
でも言わないんですよね、雅彦と渡部のことは。それもまた優しさなのでしょう。
二人を教室に残してみんなが帰っていくシーンでも、最後に教室を出るのは渡部ですが、
その手前でちょっと振り返って渡部のことを気遣っていたのは山内です。
送り火のシーンでやっと山内の口から《渡部は雅彦の連れだった》事実が明かされますが、
ここに至るまでに、↑に挙げたような本当に細かい多くの伏線が散りばめられていました。
出番はそれほど多くないけど、全部ちゃんと詰まっているんだなぁって、途中からいつも観ていました。

山内を演じているときのタモトくんはとても男気に溢れていて、
悠也との取っ組み合いの場面とか、凄く鋭さとか勢いがあるんです。
でも旧クラスの《孝》は全然そんな感じではなく、どこか不思議なテンポの子だし、
アフタートークのときのタモトくん自身も非常にふわっとした雰囲気だったので、
ギャップという面でも一番観ていて面白さを感じました。


続いては主演のお一方、相葉裕樹さん。
相葉くんを観たのは『リンダリンダラバーソウル』(DVDでですけど)以来で、
ここまでしっかりと拝見したのは初めてだったんですけど、
仕草とか間の取り方がとてもいいなって思ったんです。
【動物を殺す】を発表したとき、そんなことをするのは嫌だと反論する直人に、
「でも虫は殺すだろ、蚊とか。虫は良くて動物はヤなのか?
 大きさ?動物は大きいから殺すのが嫌なのか?」とやんわり追いつめていく場面。
悠也ってかなり乱暴な面があるし、自分勝手でキレやすい青年ではあるんですけど、
それでもどこか憎めなくて、根底にあるものはとても素直な心なんだろうな、と思えるんです。
そう思わせてくれるのは相葉くんの醸し出すひたむきさなのかなって観ていて思いました。

冒頭のイタズラ電話のシーンで、
電話を切るときの直人の「うん、楽しみだよ!」をマネしてみたり、
「おまえの笑い方って平和だよな」と言ったことで馬鹿にされたと思い込んだ直人が怒って、
それがまったく理解できなくて「なんでだよ、平和っていいじゃんか」と呟いたり、
悠也はとにかく素直すぎて、そのせいで言葉が足りなかったり、オブラートに包むことを忘れたり、
感じたことがそのまま全部表に出てしまったりして、それが彼の感じる生きづらさに繋がってる。
「ぼーっとしてたいんだよね」と電車の中で言っていた言葉が本当に悠也の本音なのでしょう。

自分のことを大したことない人間だと本気で思っていて、
だからこそ“生き残ってしまった”ことへのプレッシャーや責任感を重たく感じてしまう。
期待されることが息苦しいんだと思います。
彼の野中への反発の理由って、それなんじゃないかなと思うんです。
あんなことがあったのに元通りを期待しないでくれ、って。
だからこそ、女医の「身体はね、自分の元の姿を憶えてるの」という言葉に対して、
「優秀なんだな、俺なんかよりずっと」と自嘲に満ちた感想を零したのでしょう。
自分には何もできない、そんな器じゃない、と思いながら、
でも何かしなければいけないようが気がする、
何かすることで《生き残ったのが俺でよかったんだ》と思いたい、
自分でいいんだという答えが欲しい、だから正しいか全然分からないけれど、
意味があるのか分からないけれど、みんながふざけて言ったようなことでも、
【やりたいことリスト】をやることで自分を保っていたのだと思います。

私は個人的には悠也のこの葛藤って、凄く理解できるんです。
赦されたいと思っているのかな、たぶん。


という感じで二人の登場人物について書いてみました。
他にも好きなシーンとか、いいなって思ったキャストさんとか、いろいろあるんですけど、
長くなるのでまたいずれ♪