しかも毎日朝は晴れてても夕方くらいに激しいにわか雨が降る
不思議な天気。うちは屋根裏なので、雨が降ると屋根を打つ雨の音がバチバチと頭の上から聞こえてくるのですが、
それを聞くとちょっと楽しい気分になります・・・
それはそうと、、
実は3月には悲しい出来事が2つありました。いつかはここに書こうと思っていたのですが、
それは2人の命が失われるというニュースでした。
一人は大学で出会ったフランス人の友達が、ラグビーの試合中に亡くなるというショッキングな出来事。
明るくて、エネルギーに溢れてて、この子のことを嫌いになる人は世界にどこにもいないだろうな、ってくらい朗らかで楽しい女の子。
去年の11月ごろ、私が学校の狭いカフェテリアのソファーに座って勉強していたら、
隣に座った子が「あなたは日本人?」「私も北海道にいたよ!」と話しかけてきてくれたのです。それがきっかけで知り合った、大切な友達でした。
それまでに親しくなる機会のあったフランス人の友達は、人から紹介してもらったり、何かのイベントで出会ったりするのが主で、だいたいは自分から近づいていって友達になるパターンが多かったのですが、
おそらく相手の方から、しかもたまたま居合わせたところで声をかけてくれたのは
これまででその彼女ひとりだけ。
本当にうれしくてうれしくて、
その日のことは、きっと留学の思い出の中でも大事な1日になるだろうなと思っていました。
そんな大切な友達が亡くなったと聞いたとき、最初はそれが本当なのかしばらく信じられませんでした。
お別れのセレモニーに行って、その子の友達がお別れのメッセージを述べていって、
それを聞いていたらいかに彼女がみんなから愛されていたか、みんなが彼女と楽しいときを過ごしたのかが伝わってきました。
セレモニーの後もその子をよく知る友達たちは、みんな涙を流しながら、でも彼女がいかに楽しくて面白かったかの思い出話をしながらみんな笑いながら泣いてる状態。
「カミーユ、あなたがいなくなったことは世界の損失だ」
みたいなことを言っている友達がいて、本当にその通りだなと思いながら、私は涙が止まりませんでした。
自分と同年代の人が亡くなるということは私の身の回りでは初めてで、
とてもショッキングでした。特に彼女の家族のことを思うと心が痛みます。
まだ彼女のfbも残されているし、時々頭の中が混乱するのですが・・・
ご冥福をお祈りしています。
そして、もう1つの出来事とは、日本でもニュースで報道されたようなのですが、
こっちの大学の学長のデコワン氏という人がNYのホテルで変死するという事件。
国連の会議に出席するために訪れていたNYのホテルで、裸の状態で「変死」しているところが見つかって、真相はまだよくわかっていないという出来事。
私自身、そのニュースで名前を聞くまで学長が誰なのか恥ずかしながら全然知らなかったので、
事件自体が釈然としなくて不気味だけど、
自分とは直接関係はないので悲しみにくれるほどの感情は起きなかった・・・
しかし彼のニュースが伝わるとすぐ、周りの友達は彼の死を悼んだり、彼への感謝の意を述べたり、ほとんどのフランス人の友達はfbのアイコンも追悼用のものに変えたり、
とにかくその反応の大きさ、学校中の悲しみの大きさにびっくり。
おそらく日本だったら、もちろん学長がなくなったら喪に服すことはするけど、
でもそもそもみんなかろうじて学長の名前は知ってても(?)、学長が何をしたか、どんな研究者なのか、どんな人柄なのかetcはそんなに知らないんじゃないかな?そしてそこまで悲しまないんじゃないかな。
でもこっちでのそれほどの反応を見て、すごく不思議に思って、彼がどんなことをしてきたのかをニュースでみたら、
ものすごく納得。
彼は着任してから十数年、
経済的・社会的に恵まれない家庭出身の生徒にも入学の門戸を広げたり(私の留学先はグランゼコールといって大学とは別のエリート養成学校と言われていて、そこに通う学生は親も政治家や官僚、企業の管理職などなど、家柄のいい子どもが多いと指摘されてるし、実際に見ていてもそう。ブルジョワジー)、
学費を親の年収に従って決定するシステムにしたり、
外国人留学生の受け入れ枠を広げたり、
してきたんだって!
しかもその人柄もとても好かれていた模様。
とにかく私がこっちに来てそれらのシステムを見て、
「この学校は、よく議論に上がる"教育の問題点″の改革に素早く対応しているな、行動力がさすがだな」
と思っていたのですが、それらはほとんどが彼の改革のおかげだということを知ったのです!
日本でも教育によって格差が再生産される、とか留学生の受け入れも減ってきているとか、議論も批判もたくさんあるけど、でも実際にその批判を受けて何かを変えるまでしたところはほとんどないんじゃないかな?
それを考えたら、彼がいち早く問題解決のために学校を改革した行動力はすごいし、
特にトップ自らが自分の地位に甘んじることなく、時代に応じて、必要に応じて学校を変えていったのは、トップとしてあるべき人だったんだな、って思うのでした。
しかも、外国人留学生の枠がここまで広げられていなければ、私も今こうしてパリにいることはなかっただろうし・・・そう考えると、私が留学できたのも彼のおかげかもしれないのです。
ということで彼に恩を感じ、先日あったサンシュルピス教会でのセレモニーに参列してきました(カトリックのミサで、何をしていいのかまったくわからなかったけど)。
別れの3月・4月でした。
皆さんを悲しい気持ちに巻き込んでしまったらすみません

でも彼女・彼のようにみんなに惜しまれるような、周りの人を笑顔にしたり社会のためになることができるような人になれるよう、
精進しようと思いました。
遠くから見守っております。

