私がカリフォルニアの英語学校でディベートの訓練を受けていたころ、授業のない土日は近くにあった動物病院で実習をしていました
すでにNYにある獣医大学に所属し動物行動学を学ぶことになっていましたが日常会話ではなく、きちんとしたディベートができる能力をアップしたいと考えたからでした
考えるより、まず行動!の私・・・動物病院にだめもとで自習をさせていただけないかとお願いしたところ
即答で快く受け入れてくださいました
アメリカは動物の福祉や権利がはっきりと守られた国、その国にある動物病院での実習ができることがとてもワクワクしていました(^∇^)
ある日、ネコちゃんを連れたクライアントが病院に訪れました
そのネコちゃんは検査の結果、腎臓の機能が落ちていることがわかりました
腎臓機能は低下しているものの、検査のデーターからは治療をすれば改善の余地があることがわかりました
ところが・・
ネコちゃんの御家族は治療にかかる費用が払えるかどうか自信がないようでした
院長は「費用が払えないならば安楽死という選択もありますが少しお時間をさしあげるので今後どうするか考えてください」と伝え、診察室を後にしました
私は院長と一緒に診察室を後をしましたが、そのクライアントは安楽死を選択しました
私はそのやりとりを目の当たりにしてとてもショックを受けてしまいました
日本人とアメリカ人の間には大きな文化や考え方の違いがあります
実際にコーネル大学の行動クリニックを訪れるクライアントさんも既に心に安楽死を選択しカウンセリングを受けにこられる方もたくさんいらしゃいました
私の友人で現在NYで獣医師として勤務しているMちゃんは病院内で安楽死のプロセスをサポートをする任務をこなしています
彼女はもともとは小動物の臨床獣医師でしたが、日本人の持つきめ細やかさと心の優しさからクライアントさん側から安楽死をするときにはM先生の元で・・
という希望が多くみられるようになったからです
彼女は始めそのような希望をクライアントさんからもらうことにたいへん困惑していました
私は「そのコの最期を見守ってあげることができることはとても大きな仕事、その仕事を任されることを感謝して全力でサポートしてあげることを忘れないで」と伝えました
ワンちゃん、ネコちゃんの中には重度の病気になりそれ以上の延命処置を望まずにもう旅立つ準備ができているから旅立つことを許してほしいと願うコたちもいるのは事実です
しかし、日本に生まれ日本人として生きてきた私にとっては「安楽死」という選択を自ら行うことに苦悩を強く感じます
自分の選択でそのコたちの命の最後に線を引くことはできないように思えます
地球に住むすべての動物の尊い命に愛と光を・・・