Chen夫妻は、長年行ってきた不妊治療では、子どもを作ることができないとわかり、養子を迎えることを決意しました。
二人は、生まれたての男の子を迎えに、カリフォルニアの病院に行きます。 動画は、空っぽのベビーシートを持っていくところから始まります。
子どもの名前はJacobと決めていたご夫妻。 看護師さんからベビーを紹介されたときの二人は、ただただ神聖な命をそっと抱き、涙をあふれさせていました。

動画は、Jacobの10カ月後が紹介されています。新生児から赤ちゃんさかりのJacob。二人はすっかり父母の顔になっていました。

人間の子どもほど、未熟で人の手を必要とする動物がいるのかわかりませんが、一人で生きられない幼い命を、大人である私たちは大切にする義務があると思うし、なによりも、愛と平和の中に育つ権利が子どもにあります。

血のつながりで親子になる場合も、縁で親子になることもどちらも祝福されたことだと思います。

私が「おばあちゃん」と呼んでかわいがってもらった、父方の祖母は、本来の血のつながりからいうと、父の異父姉でした。
子どもができない祖母が、自分の年の離れた弟を養子に迎えたのです。
成り金の金持ちの家に嫁いでいた祖母ですが、子どもができないことで、自分の地位が危ぶまれていたといいます。
しかし、戦後のどさくさで、夫の会社も相当の借金を背負い倒産。
さらに、夫の愛人が、お金の切れ目が縁の切れ目とばかりに、夫との実子を連れてきて「面倒をみれ」とおいていくしまつ。

祖母は、なんのつながりもない二人の子どもを突然育てることになったのでした。
すでに50代の祖母。そこから3歳と小学校1年生の子供たちの面倒をみていきます。

祖母は、二人を憎んでいたのか?
いえ、二人をとても可愛がっていました。

私がお姉さんと呼んでいた人は、戸籍上では父の妹。
でも、私たちには血縁のつながりはありません。二人の気持ちは本当のところはわかりませんが、生みの親ではなく、祖母を「母」と呼んでいました。

自分が何者だと考える時、生物学的な父母のことが気にならないいうことはないかもしれない。
ただ、子どもから父母と呼ばれる大人は、血ではなく愛を与えられること。そうでなければ親である資格はないと思っています。