20歳だった。
1月15日 成人式
1月17日 阪神大震災
1月18日 母を亡くす
当時、大学生で冬休み中だった僕は、年末からアルバイトを掛け持ちし、無意味に忙しくしていた。
その理由のひとつに、目の前にある逃れ難い「現実」から目を逸らしたかったから。
すい臓癌の末期で、日に日に弱りゆく母の姿。
父や姉はほぼ毎日、病院に見舞いに行っていた。
しかし、僕は...。
半年前の体の、半分まで痩せ細り、黄疸で土のような色の顔になり、痛み止めの麻薬で幻覚を見て言葉を漏らす母。
現役の高校の教師で、ついこの間まで厳格で、完璧だった母。
別人と化した母を僕は見れなかった。
必要もないアルバイトを重ねて、見舞いになかなか行けない理由づけをしていたのかも知れない。
はっきり覚えてないけど、週に2回位しか見舞いに行かなかった。
しかし、大晦日は病院の母の個室に泊まり、二人で年を越した。
母はほとんど眠っていたが、時々目を覚ましては僕に「いいから帰りなさい。」 と言った。
僕は、「大丈夫。」と答えていた。
何が大丈夫なんだか。
最後に生きている母に会ったのは、成人式当日の朝。
式に行く前に病院に行き、着慣れていない背広姿を母に見せた。
「格好いいね。」
その言葉は、母がものすごく頑張って顔の筋肉を操り、微笑みを作り、声をしぼりだしたものだった。
僕は、母にお礼言い、挨拶をして病院をあとにした。
長く居られなかった。
父に借りた車に戻り、ひとりで泣いた。
成人式の翌々日、地震があった。
うちの家は倒壊しなかったが、家の中はひっくり返った。
母が入院していた病院もかなり古い建物だったが、倒れることはなく持ちこたえた。
地震の翌日、世間がひっくり返ってる中、母は静かに永遠の眠り についた。
52歳。
激動の一週間。
おそらく、僕の人生において、後にも先にもこの一週間を超える一週間はないだろう。
1月15日 成人式
1月17日 阪神大震災
1月18日 母を亡くす
当時、大学生で冬休み中だった僕は、年末からアルバイトを掛け持ちし、無意味に忙しくしていた。
その理由のひとつに、目の前にある逃れ難い「現実」から目を逸らしたかったから。
すい臓癌の末期で、日に日に弱りゆく母の姿。
父や姉はほぼ毎日、病院に見舞いに行っていた。
しかし、僕は...。
半年前の体の、半分まで痩せ細り、黄疸で土のような色の顔になり、痛み止めの麻薬で幻覚を見て言葉を漏らす母。
現役の高校の教師で、ついこの間まで厳格で、完璧だった母。
別人と化した母を僕は見れなかった。
必要もないアルバイトを重ねて、見舞いになかなか行けない理由づけをしていたのかも知れない。
はっきり覚えてないけど、週に2回位しか見舞いに行かなかった。
しかし、大晦日は病院の母の個室に泊まり、二人で年を越した。
母はほとんど眠っていたが、時々目を覚ましては僕に「いいから帰りなさい。」 と言った。
僕は、「大丈夫。」と答えていた。
何が大丈夫なんだか。
最後に生きている母に会ったのは、成人式当日の朝。
式に行く前に病院に行き、着慣れていない背広姿を母に見せた。
「格好いいね。」
その言葉は、母がものすごく頑張って顔の筋肉を操り、微笑みを作り、声をしぼりだしたものだった。
僕は、母にお礼言い、挨拶をして病院をあとにした。
長く居られなかった。
父に借りた車に戻り、ひとりで泣いた。
成人式の翌々日、地震があった。
うちの家は倒壊しなかったが、家の中はひっくり返った。
母が入院していた病院もかなり古い建物だったが、倒れることはなく持ちこたえた。
地震の翌日、世間がひっくり返ってる中、母は静かに永遠の眠り についた。
52歳。
激動の一週間。
おそらく、僕の人生において、後にも先にもこの一週間を超える一週間はないだろう。
来年は17回忌。
墓参りに行くと感じる。
母、おばあちゃん、父、従弟。
あっちの世界もなかなか魅力的な面々だ。
まだだいぶ先になると思うけど、再会が楽しみだよ。