はいさい~😃

✳️…1945年4月から始まった 沖縄戦
今日は 沖縄が台風🌀の影響で
雨風🌧️が強かったので
手を休めて
兼ねてから 母の戦争の追体験を
して来ました。
満91歳になる母。
記憶も体力も まだ 大丈夫なので
元気なうちに
急ぎ足🚙💨
で 沖縄県の南部、戦争が一番
激しかったところへ
行きました。
…
1945年5月…家の裏山の壕に
少しの間…家族と親戚 約8人がいたようです
1944年10月10日の那覇大空襲の時は、この山からも那覇市の燃え盛る火柱が見えたようです。
…
1945年5月の末に
アメリカ軍が近くまで
迫っている事を伝え聴いて
母達は…南を目指して
逃げます❗️
…
今の南城市大里仲程という村

✳️…与那原から上陸したアメリカ軍に追われる形で
逃げます。
…
東風平(現在の八重瀬町)を…
転々としながら…
南へ逃げます。
…
僕が
「お母さん達は、どこの壕に
逃げてましたか?。」
との問いに…
…
ほとんどの人々が
南部へ脱出していて…焼け残った
家や半壊の家があれば
そこで
休む事が出来たようです。
もちろん
朝から夕方までは
激しい艦砲射撃💥や機銃掃射
が凄まじかったので
岩影や焼け残った木の下に
隠れながらの 逃避行🏃だった
ようです…。
糸満市の真壁村に着く前に
いとこのお姉さんが 艦砲射撃💥で
大怪我をして
もう…助からないとの事で
真壁村で 完全に焼け落ちていない 家に残して…やむなく😭
置いて…
家族は…南へ南へと
逃げます。
…
今日のランチは
その 真壁村で 唯一 焼け残った家
「真壁ちな~」
という おそば屋さんに
行きました。
母は
80年前の記憶が甦り…😨
その当時の 真壁村の話を
してくれました。
✳️…ほとんど 艦砲射撃で💥
破壊されていたようですが
奇跡的に この家が
焼け残ったのに 驚いて
いました😳。
最後は
糸満市の米須村(ひめゆりの塔)
近くまで逃げ延びて来た 母達は
焼け残り半壊している民家に
入って 一晩寝たようです。
…
朝 早く
逃げる支度をしている時に
アメリカ兵が数人現れて
銃を…向けられ…😨
そのまま
捕虜になり…
糸満市の喜屋武村まで
歩かされて行った…。
との事です❗️。
…
目を背けないといけない
ほど…酷かったようです…。
…
沖縄戦を歪曲する
政治屋さんもいますが
僕は…
沖縄戦の廃墟に生まれ育ち
体験者の声を…
小さい頃から聞いて
来ました。
…
戦争につながるものには
全て反対します❗️。
沖縄が平和な島
聖書的な和解の島になる事を
祈っています🛐。









