赤い男爵。 | ぐるんはうす(のい) -grünhaus(neu)-

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緑色の甲虫に人生掛けちゃってるおぢさん(笑)の趣味ブログ☆
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ヤフブロ難民( ;∀;)
※2019/5/4以前の記事はYahoo!ブログ時代のモノになります☆

♪現在(いま)はいいのさ、すべてを捨ててぇ~♪

・・・それは赤い彗星(・_・)ヾ(^o^;)

ルネッサ~ンス(* ̄∀ ̄)ノ■☆■ヾ( ̄∀ ̄*)

・・・それは髭男爵(・_・)ヾ(^o^;)


はい、どっちも違いますね(ーー;)


判りにくいボケでしたね(>_<”)


スルーしてやってください(⌒∇⌒)


本日は第一次大戦において赤い男爵と呼ばれた、
ドイツのエースパイロットのおハナシ♪

イメージ 2

真っ赤に塗られたフォッカーDr.Ⅰを駆り、当時としては
前人未到の総撃墜数80機を達成したパイロット、
マンフレート=フォン=リヒトホーフェンです\(o ̄∇ ̄o)

1892年5月2日、リヒトホーフェン男爵家に生まれたマンフレートは
(正式にはマンフレート=アルブレヒト=フライヘル=フォン=
リヒトホーフェン・・・って長っ!)
1911年、士官学校を卒業すると騎兵として軍務に就いていたそーですが、
騎兵が既に時代にそぐわなくなり、航空部隊へと転属。

当初は偵察員だったのですが、当時のエースパイロットとの出会いをきっかけに
戦闘機乗りへと転進♪

第一次大戦最中の1916年9月に初撃墜を記録。
翌17年1月までに16機を撃墜して最高勲章を受勲したそーです。

イメージ 1

この時期、リヒトホーフェンはエリートパイロットが集まる部隊の中隊長に任命☆
戦闘中の識別を容易にする為各機固有の塗装が成され、リヒトホーフェンの機体は
真っ赤に塗られたとのコトです\(o ̄∇ ̄o)

画像はF-toys複葉機コレクションのアルバトロスD.Ⅲ
リヒトホーフェン中尉機であります!

さて、その人物像はといいますと、プライドが高くケンカっ早い反面
騎士道精神を重んじていたそーで、撃墜され捕虜になった相手に対しては
手厚くもてなしていたとか(・o・)

その振る舞いと「赤い機体」は、軍のプロパガンダも手伝って敵味方双方に
広く伝わり、敵方のイギリス軍から赤い男爵(RED BARON)
呼ばれるよーになったそうです♪
(他にも「赤い騎士」や「赤い悪魔」など)

敵味方を問わず「最高のエースパイロット」と言わしめた男は、
1918年4月21日、フランス・ソンム川付近の空中戦で戦死します。

26歳の若さで散った「英雄」はイギリス軍によって当地に手厚く埋葬され、
ドイツ軍に対し哀悼の意を送ったとのコトです。

「飛行機」がまだ貴族階級のモノで、地上においては「戦車」や「毒ガス兵器」
が登場した時代、別世界のハナシといえばそれまで(実際こーいった「美談(?)」
は戦意高揚の手段としても使われたとも・・)ではありますが、その「赤い機体」
(特に三枚羽のDr.Ⅰ)と逸話は後世に語り継がれるモノとなったワケですね\(o ̄∇ ̄o)

そして第一次大戦の撃墜王(ことスヌーピー)は、宿敵レッド・バロン
破るべく、今日も愛機ソッピース・キャメル(こと犬小屋)に乗り込み
大空を華麗に舞うのでしたっ!(笑)