宇宙の果

父親がその昔、#宇宙 の果てには何があるのか?と言っていた事がある。
父は「壁があるというのならば、その壁を越えていきたい。そしてまた壁があるならば、それを超えてゆきたい。」
「更に壁があるならば、更にそれを超えて、その繰り返しで、壁があるたびに、それを超えたい」
と言うようなことを言っていた。

今年(R6)7月か8月頃に、なんとなく、真理の様なものに気づいてしまった。

結論から言うと、宇宙の果ては、闇に包まれているのではないか。その闇とは 

#ダークマター の事ではないか。
光では、通常の光学系の観測では、観測できない物で埋まっているのではないのか。
と感じた。

どういうことか。

果てを考える事は、同時に、始まりを考えると言う事にも繋がると思ったので、
物事の、宇宙のはじまりも考察してもみた。

之は、#物理 の法則と言うよりも、#哲学 に近い考えになるのだが、
生き物は生を受ける時に、光を発する所から始まる。

つまり、光学系で観測できる瞬間から始まる。
即ち宇宙やこの世の始まりは、やはり、#ビックバン、光が生まれる所からなのではないか、と感じる。

そして、この世が生まれる前は、やはりなのでは。

そこにあるのは、ダークマターでは?
ここは宗教的考えだが、
生き物がこの世に生まれる以前には、その魂は何処にいるのか?それは恐らく、

#霊界 ではないのか?

つまり生きている間は、絶対に辿り着けない所なのではないか。

この世のはじまりの以前も、この世の果てのその先にも。
この世の果てのその先も、生きているうちには辿りけない、

死後の世界なのでは無いのか。

つまり生を受ける前は、宗教的な世界に居て、生を受けて、
光を発して初めて、光学系で観測できる物理の法則の世界に、

やって来たのではないのか?
そして死後に再び、死者しか行けない世界に行ってしまうのではないのか?

現在は其れを例えると、霊界とかダークマターと言ってしまうが、将来は別の言葉で置き換えられる事を、切に望むものなのです。

そしてそれらは、観測できないので、とても遠くにある様に見えて、

実はすぐ隣にあるのかも知れないのです。
之も宗教や哲学的だが、神や仏は、何時で何処でも存在する。ただ見えないだけ。

いつでも我々の行いを、じっと見ている。
遠い存在の様でいて、実はすぐ近くにいる。
自分の隣が、世界の果てなのかも知れないなんて、信じられますか(笑)

#哲学 #人生 #相談 #皆さまはどの様に考えますか?