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記憶の美術館

アーカイブされた記憶を紐解き、永久保存したい日常をつづる

昨日、WOWOWでサッカーの日本人審判の方たちのお話を見て感動してしまったんですね。








審判員て、大変な職業だったなんて知らずに見てました・・・いままでの試合。







FIFAの国際審判になっている方たちが主に取材をうけていたのですが、静岡には養成学校もあるそうで、そこではたくさんの審判員の方たちが鍛錬にはげんでいるそうです。







鍛錬といっても、肉体的な鍛錬に加え冷静さ、審判同士の問題共有による鍛錬も含まれるのだとか。







たしかに、誤審やなんかで審判が叩かれることも多いですよね。







裁判員制度が始まったばかりの日本ですが、何かにジャッジを下す、しかもサッカーの場合瞬時に行わなくてはならない・・・







こういう時の重圧は、相当のものがあるのではないでしょうか。







番組の中では、特にプレッシャーがかかる、レッドカードを即判定した時の模様や、投石によって試合を中止にせざるをえなかったケースなんかが取り上げられていました。







ジャッジもプレッシャーだけど、やはり彼らが一番目指しているのは、スムーズな試合ができるように選手達とコミュニケーションをとること。







顔の表情、手の動き、ホイッスルの一吹き、どれをとっても選手達へのメッセージがこめられているのだそうです。







驚いたのは、FIFAの国際試合では、審判は心拍計を装着しているというくだり。







後からデータで審も評価されるんでしょうか・・・







でも、一番印象的だったのは。、最後のほうに語られていた、サッカーにもテニスのように電子的なジャッジができるようにする時代が来るかもしれない、その意義や議論について。







サッカーでは根強く、審判も人間であることを忘れずに、誤審も含めてのスポーツであることを前提としている歴史があるそうです。








そういえば、ヨーロッパのスポーツ全般、たとえばテニスもそうでしたし、クリケットやサッカーなんかは、誤審があったとしても、それは神様が見ていなかっただけ、運の良し悪しも含めて、相手と一緒にスポーツができることを楽しもうよ、っていうセンスが重要なんだという話を聞いたのを思い出しました。







日本のような島国ではよくわからないものなのかもしれませんけれど、重要なのは勝ち負けがではなく、こうして一緒にスポーツができることがなんだっていう気持ち。








これは、他国と隣接している地域で、命をかけた戦争があるからこそ、スポーツのありがたみがわかる、というような時代的な背景もあるのかもしれません。







でも、そんな背景は置いておいて、日本人ジャッジの客観的かつ冷静な判断が国際試合でとても評価されている・・・







こんな文化的背景のあるスポーツ、そしてスポーツマンシップは、電子制御のジャッジがはいることで変化が訪れてしまうのでしょうか。








重要なのは、誤審が無いことじゃない・・・








ただの観戦者でしかありませんが、この感覚を理解するのとしないのとでは、その違いは大きいと思いました。